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花園館の夏休み  作者: 桜庭 葉子
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一.海へ

 新幹線から外を見るとなんとなく物事がずれて見える。空に浮かぶ雲や遠くの山はなかなか動かないのに、目の前の田んぼや家はぐんぐん通り過ぎる。最初はすれ違う屋根の色の数を数えていたけれど、一駅過ぎるころには疲れたので遠くの山に視線を向けていた。

「いい景色だろう。雄大で、穏やかで」

 父さんが声をかけてきた。昼間だというのにビールで少し頬を赤らめていて、ほんのり酸っぱい汗の臭いが漂ってくる。まるっきり旅行気分なのだろう。当然だ、いつもは残業ばかりで激務に追われているのだから。かといっていたわる気持ちにもなれなくて、再び窓の外へと顔を向けた。

「大丈夫、叔母さんは……あれだ。変わり者だけど、悪い奴じゃない。ナツのことも可愛がってくれるよ」

「うん……」

「まああれだな、お前は少し疲れてるだけなんだ。叔母さんとこで休めばきっと元気になる。あそこの魚はうんまいぞ、風だっていい。父さんも何度か泊ったことがあるが、朝は波の音で目が覚めるんだ。キッチンに行けば美人の……ああ、名前はなんだったか……まあとにかく美人が朝飯を作ってだな、甘い野菜にぷりっとした目玉焼きを……」

「眠い」

 長くなりそうだ、と直感してそう嘘をつけば、父さんはパッと口をつぐんだ。きっと見えないところで冷や汗を流しているのだろう。父さんは変わってしまった。子供に距離を取るようになった。面倒だから関わりたくないのか、それとも本当に気を遣っているのだろうか。空を見ながら答えの出ないことを考えているといつの間にか本当に眠気が襲ってきて、気が付けば目的の駅の名前がアナウンスで流れていた。

「叔母さんはもう駅で待ってくれてるらしい。辺鄙なとこだからなあ、父さんも道を覚えられなくて……ああ、でも辺鄙な分景色はいいんだぞ。空気もきれいだしいつでも海水浴がだなあ」

「酔いすぎだよ」

「い、いいじゃないかたまの休みくらい。父さんも、お前も、お休みで来てるんだからな」

 どもりながら弁解するのを尻目に荷物をまとめ、身を縮めるようにしてそそくさと通路をぬける。お酒を飲んで暴れる人もいるらしいが、父さんは上機嫌になる方だから別に問題はない。ただ、お酒を飲んだ父さんの臭いが今でも好きになれない。ツンとして頭の奥がくらくらして、そこに古い油の臭いまで足されるのだ。たまったものじゃない。

「おうい、迷子になるぞ」

 よたよたと追いかけてくる父さん。遠目に見ると白髪が目立って、年取ったな、と思わずにはいられなかった。同じ駅で降りる人はそんなにいないのかホームは空いていて、開放的なガラス窓が目に涼しい。ただどこかから吹き抜ける風はぬるく、外の陽ざしの強さを物語っていた。

「ああ、こりゃあ猛暑だ。帽子」

「いらない」

「なんだよ、去年まで被ってたろう。被らないなら父さんが被っちゃおうか」

「いいよ。被っても」

「おいおい、そこは止めるところだろう?ほら、文句言わずに被りなさい」

 父さんは投げるように麦わら帽子を被せ、上からぐりぐりと頭を押さえつけてきた。遠慮のないその手に少しイラッときて身を引くと、少し目を泳がせてからホームへと逃げていく。こういうのも年頃、という言葉で片付けてしまえるようになるのだろうか。心の中で父さんを気の毒に思いつつ、わざとゆっくり背中を追った。

 改札を通り抜けると父さんが誰かと話しているのが見えた。男のようだ。知った人でも見つけたか、と思って近づいたが、何のことはない、叔母さんその人だった。さっぱり刈り上げた黒いくせ毛に、濃いブルーのシャツが格好良く映えている。胸元に揺れるシルバーチェーンのネックレスも冷たくきれいに光って見えた。

「やあ、ナッちゃん!」

 叔母さんはいつもと変わらない様子で手を伸ばしてきた。叔母さんは誰に対しても、いつでも握手を求めてくる。いつも通り応えながらこんにちは、と挨拶すると満足そうに微笑んでくれた。

「さて、お腹はどう?」

「そこそこ。飯は済ませてきたんだ」

「らしいね」

 叔母さんはスンスンと鼻を鳴らした。

「兄さん、酒臭いよ。おまけに発泡酒だね」

「え、そんなに?相変わらず鼻がいいな」

「昔っから感覚は冴えてんのさ。でもまあ、ちょっとお使いしなきゃいけなくてさ。ちょっと待ってておくれでないかい」

「あの美人にか」

「ご明察」

 父さんはニヤっと口角を上げる。さっきの話で“美人”は家政婦か何かのことかと思っていたけれどそうでもないらしい。誰のことか聞いてみたい気がしたけれど、なぜだか叔母さんに悪い気もして言い出せなかった。

 叔母さんはすぐ戻るから、と言って一人バーガーショップに駆けていき、ほどなくして茶色い大きな紙袋を抱えてきた。中から漂う熱い塩の匂いが食欲をそそり、空腹でないはずなのにお腹が軽く鳴る。その音に気が付いたのか、叔母さんはクスッと笑ってから紙袋を持つよう促してきた。

「さ、車に行こうか。ナッちゃん、それ傾けないようにお願いね。ポテトくらいなら二、三本食べちゃっていいから」

 軽く言ってくれる。少し重い袋を抱えなおしながら、二人に見えないよう苦笑いした。



冬に夏の話を始めるという狂気。


あらすじにも記載しました通り、本作はセンシティブな問題を取り扱う予定です。

執筆スキルや知識の浅い状態でどこまで描くことができるかはわかりませんが、できるだけ続けてみたいと思っています。


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