プロローグ
あの頃のお前は、世の中の全てに唾を吐いていた。
何が悲しくてそんな瞳をしていた?
何が寂しくて背中で泣いていた?
教えてくれ。
まだお前に答えを聞いていないんだ。
ドブネズミみたいに美しくなれたかい?
この街のメインストリート
わずか数百メートル
寂れた映画館とバーが5、6件
浜田省吾の「MONEY」のような
筑豊の小さな町で17歳の少年
マサキはタバコの煙と共に深いため息を吐き出した。
時は平成初期。
スタジオの帰り道、その日も
肩に担いだギターが、ずっしりと重く感じていた。
楽器屋や雑誌のメンバー募集で知りあった奴らと
一体、何人あって来ただろうか?
なかなかメンバーが決まらない
バンドがやれない苛立ちを
どこにぶつけて良いか、解らずにいた。
多分、会って来た人数は
東京スカパラダイスのメンバーを越えているだろう。
マサキは高校には行っていない。
登校拒否や中退ではなく
最初から行かなかった。
とても、高校に行きたいと言える
家庭環境ではなかった。
父親が女遊びの絶えない男で
酒は飲まなかったがDVも酷かった。
小学生になる頃に、両親は離婚。
母親に引き取られたが、再婚、離婚をし
中学生になる頃に、また再婚した。
新しい3人目の父親とも、気が合わず
家に居心地の悪さを感じていた。
家にはとにかく、金がない。
母親はキッチン・ドリンカーってやつで
毎日毎晩、ワンカップを水の様に一気に飲んでは
目が座っていた。
そんな母親を見るのもイヤでイヤで仕方なかった。
母親が汚く見えて仕方なかった。
母親に抱いていた幻想は、見事に打ち砕かれていた。
幼い頃に母方の祖母に預けられ
児童福祉施設に預けられ
また、祖母に預けられ
一時は、父方の方の祖母に預けられた事もある。
ただの親子が一緒に暮らすまでに
十年かかった。
幼いながらにも、いつかは一緒に暮らせる!!
それだけを信じて、それだけを心の支えに
普通の子供が思わなくても良い事を
思いながら生きて来た。
しかし、一緒に暮らしてみれば
この有り様だ。
そんな環境にいたマサキは
一日も早く家を出て
バンドで成功する事を夢見ていた。
華やかな世界に憧れているのだ。
一度、寮のある建築会社に入ったのだが
とてもじゃない生活だった。
仕事が終われば、酒
話題と言えば、パチンコ、競馬
そんな環境に居る事が
まだ十代のマサキには耐えられなかった。
半年程で、その会社を辞め
クソみたいな家に戻り、アルバイトをしながら
バンドのメンバーを探す事にした。
年はなるべく近く
音楽性の近いメンバーを探したが
なかなか上手く行かずにいた。
やはり、同じ17~18歳とは言え
ほんの僅かな期間でも、社会の荒波に揉まれた
やつと、学生とでは「感覚」が違う。
もちろん、金銭的な感覚もあれば
社会的な常識の感覚のズレもある。
が
何よりも音楽に掛ける情熱的なものも
違った。