第一章 009 牢
遅れてすいません。
小さい子供が見ても、大の大人が見てもとても笑い返すことのできない笑みを浮かべたボルドーは突如として現れた。というより、ボルドーに引き寄せられたという表現の方があっているかもしれない。ボルドーの声が聞こえていたかと思うと、さっきまで誰もいなかった牢屋の前にその男はいたのだ。
思わず全員の表情が固くなる。
「おいおい無視か?それに加えてどんな顔してんだよ。お偉いさんだから俺のことなんか頭にないってか?ふざけたやつらだな」
「そんなことは…」
導たちの反応に不満を持ったボルドーが怒りを露にする。これは不味いと思った導がとっさに弁解を図ろうとするも、今に至った状況の整理だけで脳は精一杯で言葉が続かない。
「機嫌とろうってか。そんなことしたって無駄さ。俺のお前らに対する態度は変わらん。上からの指示だ。さっさと出ろ」
三人は心の中を見透かされていたことに驚く。しかし、導にはもうひとつの疑問点があった。
さっきあいつが言っていたお偉いさんってなんだ?確かにファズは昔何かすごいところに遣えていたらしいしそこは理解できなくもない。だけど、セリアも上位階級の人なのか?それであんなに情報量が多い…。ますますわからなくなってきたな。
「おいちんたらすんなや。何度も言わせるんじゃねぇ。さっさと出ろ」
そろそろ怒りが爆発寸前だ。これ以上反抗的な態度をとって機嫌を悪くしても意味はない。
それに加えて今の状況下ではセリアについて深く考えるのは難しい。
そんなことを考えた導は状態をよく進めるためにも素直に指示にしたがう。
多分だが、今回するのは労働作業か?出荷する前にいい状態にはしておきたいだろうけど働いてもらって経費削減みたいなとこもあるのか。
「よし。それじゃあお前ら男二人はこっちだ。黙ってついてこい」
導とファズが連れ出される。セリアは取り残されたままだった。
「ちょっと…私はどうすればいいの?私だけはずっとここ?」
「いや、嬢ちゃんには後でちゃんと役割を与えてあげるよ。もうそろそろ巡回を終えたヘラドが来る頃さ。それまでおとなしく待っているといい」
ヘラドか。担当が違うんだろうか。多分だが俺ら男は力仕事とかとりあえずブローカーの要望にあったことをさせられるんだろうな。
そう考えを巡らせると大きな問題があることに気づく。
待てよ?セリアは女の子だ。それで男にはできて女にはできないとか言うそういうのがあるからわざわざ別々にしてると思っていた。多分だけどそれは間違っていない。セリアにしかできないことをさせるつもりと考えるのが一番しっくりくる。
そうだとしたらそれは…
「おい。何してんだ?」
「えっいやその何て言うか…」
しまった…!
いきなりの質問にとっさに対応することができず、持ち前のコミュニケーション能力のなさが発揮されてしまった。
ボルドーがこちらに近づいてくる。そして息がかかる位置まで顔を近づけて耳打ちされる。
「なにか気づいたみてーだな。そうだ。あの嬢ちゃんはヘラドがつれていって楽しむんだとかよ。大勢の野郎共の中でな」
「なっ…てめぇ!」
導は頭がカッとなる。もともと短気な性格から、こういう場面でもそれが出てしまう。考えがまとまらない。
その時、セリアが目に入った。平然を装っているように見えるが、目に不安の灯火が揺らいでいるように見えた。
たった数時間しか話していないセリアに何の思い入れがあるのだろうか。そんなものはほとんどない。だけどそれを心は許さない。忘れてしまいたいと思っても忘れようとできない。なにかが俺を…俺の心を、体を鎖で締め付けているような感覚。この…この感覚は一体…。
「口利きがなってねぇようだな。ここでへんなことされても困るからな。少々手荒な手段を取らせていただく」
なんだ?あいつ。
ボルドーは空中を打っていた。操作していたのだ。この時、導がもし怒っていなければ。そして導自身の記憶を総動員することができていればなにかが変わっていたであろうか。
▶権限主ノ変更ヲ確認シマシタ。奴隷ノ主ヲ一時的ニ個体名“ボルドー”ニ変更シマ
ス。
突如としてそんな言葉が頭のなかで発せられる。なんだ…この機械音は。懐かしいスマホの自動音声の声に心なしか似ている気がする。しゃべり方は片言で聞きづらいものだったが、微妙に聞き取れた。
奴隷の所持者を変えるってことは今はボルドーが主ってことなんだろうな。でもなんでそんな必要がある。
「スキャボドレインcode:0467」
「グハッ!?」
ボルドーがなにかを唱えた瞬間首に激痛が走る。烙印を押された部分が激しい光を放ち、熱を発する。その痛みは体全体にまとわりつき、全身の力が抜けていく感覚がある。烙印の傷跡は紅く、そして時おり黒く輝いていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ」
「シルベに何をしたの!?」
「おい、シルベ。大丈夫かっ?」
全身を焦がす勢いで侵食していたその力は、数十秒で消えた。
くそいてぇ…。全身に力が入らないし、その影響で体を動かせない。ものすごい倦怠感が体に残っている感じだ。
「倦怠感が残ってるだろ?痛かっただろ?これでも威力を抑えた方だがな。いいとこ暮らしの戦闘経験のないようなボンボン奴隷にはもってこいの魔法なんだわ。次もしもお前らが逆らうような態度をとったら…どうなるかわかるな?死にはしない程度に生き地獄を味わってもらうからよ」
「今からの働き。シルベがこの有り様じゃできないんじゃないのか?」
それもそうだ。
というかなぜ初日で俺らは働かされると思っていたんだ?
俺らは普通の奴隷よりかは価値が高い上物ってとこなんだろう。
そんなやつらに傷がつく恐れがあるのに働かせようとするのか?ましてや女の子を襲って十分楽しんだあとに売るって言うのには品質が下がるだろうからしたがらないはずだ。
ということは…まさかこれは?
「上物のお前らを働かせたり襲わせたりするわけないだろ?牢の外に出して変なことをされても困るしよ」
「それじゃあこの一連の流れは?」
「なんでこんなことをお前らに説明しなければならないのかとても気になるが。上からの指示だし特別に教えてやるよ。お前らが変な気を起こさないようにするためだ」
「なっ…」
試された…。
よく考えてみれば最初から十分おかしかったんだ。それに気づかなかったなんて…。
「そういうことだ。勿論これから外に出てもらう用なんてない。牢に戻ってもらおうか」
もう言い返す力も残っていなかった。素直に牢にはいるしかない。
視界がだんだんぼやけてくる。ヤバイかも、な。牢にはいって間もなく、視界が真っ暗になった。その時かすかに暗闇の檻に閉じ込められたような感覚がした。
「……ベ、……ベ」
遠くで声が聞こえる。何て言ってるんだ?聞こえるような大きさで言ってくれ。
「……ベ、………ル……ルベ……シルベ……シルベ!」
「はっ…ゲホッゲホッ」
意識が戻る。視界が開け、周りの音がうるさく感じてくる。
ぼんやりとした意識のまま周りを見渡してみると、そこには見知らぬ男の人と女の子がいた。
誰だ?こんなやつ俺はしらないし。というかここどこだよ。
「おい、お前ら誰だ?」
「やっと目を覚ましたら何言ってんだ。ここでの冗談は本当に洒落にならねぇからやめてくれ。俺はファズでむこうの嬢ちゃんはセリア。俺たちは今牢獄に囚われてるんだよ」
そうだった。思い出した。
あまりにもショックが大きかったのだろうか。ぼんやりとしか覚えていないが、ボルドーからくらった魔法の効果が肉体的にも精神的にも耐えきれないものだったという線が一番しっくり来る気がする。
「うけた自分が一番わかってるかもだけど…。あなたがうけた魔法は陰魔操の【闇属性】に分類される魔法“ドレイン”の対象者を奴隷に絞ったものだわ」
「陰でそれでいて闇って相当陰湿なものに聞こえるな…。というか、魔操だっけか?それについて俺に詳しく教えてくれないかな?」
「あなた…魔操についても知らないのね。本当にどうやって生きてきたのかな…。魔操っていうのは魔力を操って様々な目的に用いるためのもの。それにもそれぞれ種類があってまずは“陽魔操”と“陰魔操”の2つ。この2つは何が違うかといったら、魔操を使う本人の持つ魔力がどちらかによって変わってくるわ。そしてそのなかに【火属性】【水属性】【風属性】【雷属性】【土属性】【光属性】【闇属性】の7の属性に別れているわ。」
つまり14種類の魔操が存在するってわけか。
異世界らしいっちゃ異世界らしいな。
そんなことよりも気になる点がいくつかある。
「なあ、5つはわかるんだがよ。光と闇ってのはどういう効果の魔操を使うんだ?俺がくらったのは精神攻撃と肉体攻撃どっちもだったみたいなんだが。それとあとひとつ。陽と陰って何が違うんだ?」
「まず1つ目の質問に答えるわ。光属性も闇属性も基本は特殊攻撃。光属性はバフを。闇属性はデバフをつけることができるの」
「さっきシルベがくらった“ドレイン”はデバフ以外も効果があったようだがそれはどうしてだ?」
それもそうだな。さっきの話だとデバフ効果しかつかない。そうだとしたらせいぜい倦怠感を与えるくらいしかないはず…。なのになぜあんなにも体に激痛が走ったのか。
「それは魔操師としての素質がそれだけあのボルドーにはあるってこと。さっきもいったと思うけど、あいつは魔操の力がすごい。ランクも2か3はあるんじゃないかな」
「なるほど、な」
「そして2つ目の質問に対してだけど…。」
なぜかセリアが言葉を濁して言いたくなさそうに見える。
そんなにいうのがやましいことなのか?
ちらっとファズに目を向ける。こちらもなにか暗い表情だ。
「何があるのか知らないが…頼む。教えてくれ」
「こういうのはあまり教えたくないんだけどね…。陽と陰の違い。それは本人の持つ魔力によって変わるって言ったでしょ?」
「ああ」
「古代の話まで遡るんだけど。その魔力はもともと陽しかなかったの。でもある日一人の魔操師が何があったのか知らないけどとんでもない魔操式を展開した。その魔操式の内容は人々の体内に存在する魔力を堕異させるもの。そしてこの世に2つの種類の魔操ができたそうよ」
「堕異って言われてもあんまわかんねぇな。しかもその話もだいぶアバウトじゃねぇか」
ぶっちゃけ、その堕異したところでなにか不味いのかとか言うのは全然わからない。恐れてるみたいだけどそんなに恐れる必要ってあるか?
創世の魔法使いと、それをめぐる人々の魔導冒険譚、とかいうような話が地球にはあったけど、それに出てくるようなでかい組織もないはずだ。
「あなたは驚異に感じていないようね…。私たちはよくわからないけどこの事について考えれば考えるほど脳が締め付けられる感覚がするの」
「それは…すまなかった。無理に話させたね」
魔操についての話はこんなところにしておこう。
多分だけどこれ以上聞いたところで俺の衰弱した脳が処理しきれることはないだろう。
「なぁお前ら…。肝心なことを忘れてねぇか?」
ファズが重々しく口を開く。
俺らが忘れてる肝心なこと…。
いや、思い出したくない。
忘れたままでいたい。
嘘であってほしい…。
「俺らのたてた作戦は…実行できそうにねぇ。それにもし出荷される時に反抗しようとしたところでさっきのシルベみたいに簡単に倒されちまうだろ。つまりな。俺らがここから脱出することは不可能なんじゃないか?」
「……そう…だな」
「…ええ」
沈黙が続く。
そんなこと…わかってたさ。俺がここから出ようなんて思ったところで出れないことくらい。
でも異世界に…あんなに憧れてた異世界に来て早速死ぬのか…?
まだなにもしてない。
「そんなことをいってもしょうがないわ。私たちはここでどちみち奴隷となる。でもその奴隷を買い取った人がいい人かもしれないじゃない!」
「セリアちゃん…すまねぇ。」
「謝らないで。あとちゃん付け禁止ね。ここでは皆同等の存在なの。残りの短い間だけでも…楽しみましょ」
俺は何を考えてんだ。こんな子に場を取り繕わせるなんて。本当にバカだな。
どんなに醜く足掻いたって俺はこいつらを生き延びらせる…。
その日の夜。
「久しぶり。といっても数時間ぶりかな?やっぱり君はまたここに来た」
「………おい、俺はもう死ぬ日が近いみてぇだぞ」
「相変わらず人の話を聞かないねぇ。そこがまた面白いんだけど。」
導は『記憶の回廊』に来ていた。
この状況を打破するために。