第一章 007 失われた日常
『もう一回だけ聞くぞ?この惨劇は誰が起こしたのかな?』
これで何回目かもわからない質問が飛んできた。
『だからですね…。僕ですって…。自分でも信じられないというか信じたくないんですけど』
そしてまた同じような返答をする。
『はぁ。ファズが言ってることは正しいのよ。何度するの?この言い合い』
クベラはさすがに疲れてきているのか、ため息混じりで答える。
『誠に申し訳ございません。クベラ様。ただですね…。ファズ・ネデラルと言えばポンコツで有名なもので…このようなことができるとは到底思えないのですよ…』
そう言って憲兵はこれを指差す。そこにはもう先程の男の身柄はないが、レンガ造りの地面が極端にえぐれているのだ。そこから半径2mの間は亀裂が入っている。
『しかもだな。あの男がクベラ様を襲ったのは確かだ。周りの住民からも連絡の際にそう伝えられていた。ただお前も見ただろうがすごい傷だったぞ?駆けつけた癒操師が言うにはわかるだけで言うなら肋骨は粉砕しているそうだ。頭蓋骨にも何らかの大きな傷があるらしい。生きてるのが不思議なくらいだとさ。それをするには魔操の最上位を使えないと無理なはずだ。どうやってああしたのか。そこもわからないんじゃあなあ…』
『それは僕にもわかりませんよ。突然こんなになってしまったんですもん』
そうなのだ。どうしてこんな状態になっているのか。それはずっと家のなかにいて見ていた人々にも、すぐそばで見ていたクベラにも、そしてその状態を作り出したであろうファズ自身にもよくわからないのだ。
『まあ情報がないからには嘘を書くわけにもいかない。それとクベラ様が君が守ってくれたと言っている。それを考慮して一応君の活躍により撃退とかにでもしておくよ。またなにかわかったら教えてくれよ』
何回にも及んだ話し合いの末、一応ファズのお手柄だということで処理して、憲兵は帰っていった。
『やっと終わったわねファズ。お疲れ様』
そう言ってクベラはファズに労いの言葉をかける。しかし、ファズは反応しない。
『ちょっと、ファズ?』
『…うっおぇぇぇ……』
急にファズは吐いた。それもすごい勢いで。
『ちょっと大丈夫なの?』
そうクベラは聞くが、ファズは答えることができない。
先程までの今までファズは経験したことないような張りつめた緊張感から解放されたことで、さっき見た男のひどい有り様を思いだし、急に吐き気が込み上げてきたのだ。
激しく損傷して、後頭部から見えた頭蓋骨の一部。血で真っ赤に染まったレンガ。その光景はさすがに6歳の少年にはこたえるものがあったのだ。
そんなファズが落ち着くのを待ち、二人は家へ向かったのだった。
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あの出来事から20年がたち、二人は結婚していた。
一人の娘にも恵まれ、順風満帆な生活を送っていた。すでに二人ともゴッツァレア家から離れ、自由の身となっていた。
毎日笑顔の絶えない家庭で、近所からの評判もよかった。
ファズは見違えるほどたくましくなり、魔操の才能はなかったものの、剣技がそれなりにできるということで今は憲兵をしていた。
クベラはもとよりもさらに美しくなり、今は3歳の娘ミフラとともに、専業主婦として、家のなかの家事をしていた。
そんな幸せな日も、突如として終わる。
その日もいつものようにファズは仕事にいっていた。その間に事件は起きた。
コンコンコンっ
『はーいちょっと待っててくださーい』
夕方ごろいつもファズが帰ってくる時間にノックがなった。クベラはそれがファズだと思い、何のためらいもなくドアを開ける。
そこに立っていたのは3人の男だった。
『よぉ、邪魔するぜ?』
『なにするのっ!?』
いきなり家の中に押し入ろうとするのをクベラは必死に止める。だが、そんな行動ももともとお嬢様だったクベラには無理があった。止めていた手を掴まれ、引っ張られる。
『あっ』
体制を崩したところに小太りの男ボルドーが溝に肘で一撃を入れる。その手さばきはなれたもので一瞬でクベラを落とした。
『ママー?』
奥の部屋から帰りが遅いクベラを心配したミフラが出てくる。
『ミフラっ…来ちゃ…ぁめ…!』
クベラは必死にそう叫ぶ。だが、それは声にならず、余計にミフラを心配させる。ミフラはクベラを助けたいと思う。
苦しいときにはゆそーしさんを頼るべきだとは言われていたが、ゆそーしが誰かわからない。
そしてミフラは最悪の手を取ることになる。
『おじさんたち…もしかしてママを助けてくれるゆそーしさん?』
『いや、ちぁ…』
『ゆそーし?…ああそうだとも。おじさんたちが癒操師だ』
クベラの声を遮るように頭に深い傷を負った男が言う。その言葉にミフラはパッと目を輝かせた。そして男たちの元に近寄り助けてくれと願った。
『お嬢ちゃん。ママは絶対に助けてやるからよ。お前はしばらく寝とけよぉっ!』
頭に傷の入った男がそう言うなりミフラを蹴り飛ばす。ミフラは3歳の女の子だ。壁まで吹き飛び、派手な音を立てて落ちる。
『うっし、お前ら連れてけよ』
二人が片付いたのを見て長身の男がそういった。
素早く紐で縛り、家の外に出る。
家の外に出て、辺りを見回したときだった。そこにはファズがいた。
『おい、てめぇら何してやがる。なんでうちのかわいい娘とクベラをつれていってんだぁ!?』
その様子を見てファズは激昂する。
『おやおや?面倒ですね。ファズさん。あなたの奥様と娘様はいただきましたよ』
刹那。
クィィィィンッ!
ファズは目にも止まらぬ早さで剣を抜き、長身の男も剣を抜いていた。その剣と剣がぶつかり合い激しい金属音が響く。
『やりますねぇ…が!あなたでは私に勝つことはできない』
『ふん、そんなの──』
シュッ スパンッ
横から放たれた投擲ピックも切り落とす。ファズの剣の腕もなかなかなのだ。
『おや?油断してるのかと思ってましたが…そうではないようですね…』
『当たり前だろ』
『ではボルドー、ヘラド下がっていなさい。久々に楽しめそうな相手です。敬意を込めて…こちらも本気でいきますよっ!』
長身がそう叫んだ瞬間、二人の周りの重力が重くなった。重圧がファズを襲う。しかし、ボルドーとヘラドには効いていないようだ。
『グッ…おい。俺の考えがあってればな。この技は力魔操じゃねぇか?』
『さっすが憲兵さーん。例え魔法が使えなくても知識はあるんですねー。知ってるんだったら最初からいきますよっ』
二人はまた剣を構える。その剣は片方はしなやかに。もう片方は鋭く重圧を振り切るように。両者の戦いはさらに白熱していった。
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『ふんっ、はっ、たぁッ!』
『なんの、ハァハァ…これしき…!』
その中では身動きがとれないファズ。その中でも悠然に動き回る長身。さすがにそれは部が悪すぎたようだ。ファズは防戦一方になってしまっていた。
『あなたもなかなかしぶといですねぇっ!』
長身はそう言って剣を大きく振りファズと距離を取る。
ブオンッ!
突然音がなったと共に、重くなっていた重力が解除される。振られた剣が空気の圧を切り裂き、もとの重力に戻る。力魔操が解除されたのだ。
『力尽きたのか?情けねぇやつだな』
力魔操が解除されたことで余裕ができたファズ。魔力を消費した長身が圧倒的に不利だと思い、油断したのだ。
『ふむ、やはりあなたは油断していたようですね』
ヒヤリとした感覚がファズを襲う。なにかがおかしいことに気づけない。でも体はファズに警鐘をならしている。目の前に迫ってくるのは今までと同じ剣。
(とった!)
とっさにファズは剣を弾く手段に移る。先程までの剣捌きが美しくしなやかだったのに対し、今の剣は大きく振りかぶりまるで重剣のように使ってきたのだ。
(そのように使っていたとしても所詮は同じ剣。もともとの重剣にはかなわん!)
グゥィィィィィィン!
激しい衝突。巻き起こる旋風は大地を揺るがし、燃えるような熱が辺り一帯に伝わる。
カランっ
折れた剣の先が地面に落ちる。
『な、なん…だと!?』
折れた剣はファズの重剣だったのだ。
『そんなもんじゃないですよ?私の剣は剣を壊すだけでとどまるような生半可なもんじゃないんですよ』
ブシュッ!
ファズの腹が縦一線に切れる。そこからは鮮血が飛び出し、今までの戦跡に色を塗っていく。
『グッ…クハァッ』
口からも血が溢れる。すでにファズは瀕死状態だ。
『醜い…実に醜い!威勢よく一人で突っ込んできて一人にも勝てずに血をだし這いつくばるだなんて…あなぁた本当に憲兵さーんなんですかぁぁ?』
『くっそ、やろぉぉぉ…』
『では、また会う日まで。ほらつれていきますよ』
そう言って長身の男はボルドーになにか耳打ちしてから、クベラとミフラをつれていく。
『おい、待てや!』
ファズはそういうなり、一人の長身の男に殴りかかる。しかし、その拳は長身の男に届く前に爆発する。
『乱暴はよしてくださいよファズさん』
『グハッァ…!』
結局なにもできないままクベラとミフラは連れていかれた。
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目を覚ましたときファズは自分の部屋のなかにいた。先程までの傷はすべて癒えており戦っていたことが嘘みたいだ。
『なんだ…?これは?』
そこには一枚の紙切れが置いてあった。そしてそこには丁寧だがどこか威圧を感じるような字でこう書いてあった。
“これからは俺らの指示に従え。従わなければお前の娘と妻を殺す”
くしゃっ
ファズは顔を歪め、その紙をくしゃくしゃにする。それが罠かもしれない。でも従わなければ娘と妻は殺されてしまう。
葛藤するファズだったが、ひとつの結論をだし、決心を固める。
いつか二人が助かることを信じて。
この日からファズの日常は失われたのだった。
今回も主人公不在!
次回はきっと出てきます