第一章 003 漆黒のハサミ
「おい、待てや!」
ファズはそういうなり、一人の長身の男に殴りかかる。しかし、その拳は長身の男に届く前に爆発する。
「乱暴はよしてくださいよファズさん」
「グハッァ…!」
ーー一体何が!?いやその前にファズさんの方が大事だ。
導は必死の覚悟でファズのところまで駆け寄り
(大丈夫か、ファズさん!?)
と声をかける。しかしファズはなにも言わない。視線すら動かさない。
ーーくそ、なんで!?
そうこうしているうちにあの親子の姿は見えなくなる。最後に残った一人の小太りの男がなにかを呟く。その途端ファズの受けていた傷は回復していく。
「あ?」
「眠っとけよファズさん」
小太りの男は懐から瓶を取り出す。青い液体が入っている瓶だ。導はこの瓶に見覚えがあった。今その液体をかけられそうになっているファズがさっき数分前に導にかけたものと同じだ。つまりそれは強烈な睡眠薬。
ーー!まずい。このままじゃ俺もっ
ファズのすぐそばにいた導にも液体がかからないわけではない。二人まとめてかかってしまうのはどう考えても悪い状態だ。
(ファズさん避けてっ)
そんな導の必死の叫びも届かず青い液体はファズと導の頭に降りかかって
ーーあれ?
その液体はファズにだけかかった。正確に言えば導の体をすり抜けたのである。
ファズにはかかり、抵抗もできず、深い眠りに落ちる。そのあと小太りの男はなにかの文字だと思われるものを書き残していった。
導には目もくれなかった。導は頭のなかにあるアニメの記憶を総動員にして考える。
ーー見えているにしては反応がおかしい。つまり見えてないのか…?いや違う。見えてないだけだったら俺にも液体はかかるはずだ。つまり俺はここに存在していないってことなのか?
ーーそもそもここに来たのはなぜだ?暗い路地でファズさんに液体をかけられて…じゃああの液体が原因か?
しかしそれでは今目の前にいるファズにも同じ現象が起きるはずだ。それが起きていないということは他に別の原因があるのだろう。
ーー液体かけられたあと俺は殴ろうとして…そうだ。意識がなくなる直前俺の手がファズさんの胸に当たった。それが原因なのか?
そして導は一つの結論に至る。
ーーこれは…ファズさんの記憶?
目の前の光景を見る限り、少なくともこの中の誰かの体験を追体験しているわけではなさそうだ。つまり、第三者の視点でこの出来事を鑑賞しているということである。
ーー霊体離脱ってとこかよ…それじゃなにもできねぇじゃねーか。
パチンッ
「!?」
「ほとんど正解だけど最後のは違うかなー」
聞き覚えのある声。そして指をならした直後に崩れゆく世界。歪んだ世界は徐々に姿を変え、一つの空間を作り出す。
その空間の中には導と黒い服の誰かしかいない。その黒い服の誰かの放つ圧倒的な威圧は導の体にも伝わってくる。
「おい…お前はなんだよ?」
「君さ初対面の人に対してその反応は失礼なんじゃないかい?」
笑いながらそう言う。そして彼は深く頭に被っていたフードをとる。
「ようこそ『記憶の回廊』へ。僕の名前はエルナリオ。この空間の支配者とでもしておこうか」
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「エルナリオ?いかにも異世界らしい名前だな。ここはマドレティア王国なのか?それとさっきのファズさんの出来事は?ほとんど正解ってどういうことだよ!?」
導のうちにあった疑問とイライラが爆発する。しかし目の前のエルナリオは面白がるように
「質問は順番にいってくれよ。僕もそこまで完璧じゃないんだ」
と言う。
「なに言ってんだ?」
導にはまだ状況があまりつかめていない。導の様子を見てエルナリオはそのことがわかったのか、呆れるように言う。
「これ以上質問が増えるのは面倒だから先に答えておくよ。僕が君が事故で死んでしまうことから救った。それだけじゃないこの世界に君を呼んだのも僕だし、さっきファズとかいうやつの記憶の断片を見せたのも僕だ。まあさっきのは半分君がつそうしたっていうのもあるけどね」
衝撃が導を襲う。
ーー俺を事故から救った?確かにあのときも同じような声が聞こえていた。そこは辻褄が合う。でも『さっきのは半分君がそうした』っていうのはどういうことだ?俺がファズさんの記憶を見ようとしたっていうのか?
「ああ君さ。自分の心のなかで考えてるって思ってるかもしれないけどそれは間違い。この空間で思ったこと考えたことはすべて僕にはわかるんだよ。『半分君がそうした』ってのは本当さ。君が彼の記憶の鍵を開けたんだよ。君がこの世界へと転移するときに僕が与えた一つの能力のおかげでね」
「能力、か。ほんとにアニメみたいだな。俺がファズさんの胸に触れたことでさっきのが見れたってことはトリガーは『胸に触れること』であってるか?そしてそのお前が俺に与えた能力が『記憶鑑賞』ってところか」
導はこれまでの記憶と出来事を頼りにそう結論付ける。
「君はアニメの記憶に依存しているようだね。まあそっちの方が手っ取り早い。そうさ。トリガーはそれであっているよ。だけど能力が『記憶鑑賞』だって?笑わせてくれる。僕が与えた能力がそんな安っぽいもんじゃないのはわかってほしかったね。確かに鑑賞も間違っちゃいない。でもね。本当の能力は『他者の記憶に干渉することができる』っていう能力なんだよ。君の考え方に合わせるなら『記憶干渉』だね」
「『鑑賞』じゃなくて『干渉』?お前『干渉』の意味知ってるか?少なくとも俺はファズさんの記憶に対して横槍をいれることはできなかったぞ?」
「君さすがに僕をバカにしすぎじゃあないかい?君に与えた能力は『記憶干渉』で間違いないよ。ただ君が使い方をわかっていないだけだ。今この空間に呼んだのもそれを説明するためさ。ありがたく思うべきだよ」
「ありがたく、か」
確かに導が能力についてよくわかっていなかったのは事実だ。でもまだなにかが引っ掛かるのだ。
そんな導のことなど気にせず、エルナリオは説明を始める。
「『記憶干渉』は『他者の記憶に干渉することができる』って言っただろ?でも君はそれができなかった。それはやり方が間違っていたからなのは間違いない。じゃあどういうやり方なのか。それは道具を使うことさ。君の記憶のなかにある、ものを切り離すものを想像してみてくれたまえ」
「切り離すもの…」
とっさに思い付いたのはどんな場面でもよく使うハサミだった。
「ふむ。ハサミか」
エルナリオがそう呟くと目の前に光が集まる。
「なんだ?」
集まってきた光は徐々に形を変えていき、漆黒のハサミへと変わった。
「漆黒のハサミかよ…ださいというかなんというか…」
「それは君の想像力の問題さ。恨むなら自分を恨みたまえ」
「ああそうさせてもらいますよ。でこのハサミを使えば記憶に干渉することができるのか?」
「そうさ。その道具を空間に向けて使うことで君は記憶の操作ができる。ただしできるのは取り除くことと空間から離脱することができるだけ。新たに付け加えることも内容をいじることもできない。まあその能力で君にはしてもらいたいことが…」
ザクッ
最後までエルナリオの言葉は続かなかった。続けさせなかったのだ。
「空間から離脱できるってことはこうすれば俺もここから離脱することができるってことだろ?」
「間違っちゃいないさ。使い方がわかったみたいで何よりだよ」
「まあ、ありがとよ。このハサミ大事に使わせてもらうぜ。残念ながらここにいると吐き気がするんでな」
そうなのだ。この空間にいると猛烈な吐き気が体を襲ってくるのだ。その吐き気に耐えるのももう限界だった。
「君がこれだけ耐えれたのにも僕は驚きだね。まあ君はいずれまたここに来たいと願うだろうよ。そのときはいつでも歓迎するさ」
「二度と来ねーよ」
そんな会話を最後に導の意識はもとの体へと戻っていった。
「ふむ。やっぱり彼は面白い。呼んで正解だったよ」
一人不思議な空間のなかに取り残されたエルナリオは静かに意味深な笑いをしながら姿を消していった。
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意識がもとの体に戻った感覚がある。でもまえに比べて手も足も重たい。身動きもとれない。頭がぼんやりしている。
ーー俺はファズさんの記憶に入るまえ何をしていた?暗い路地でファズさんに襲われたはずだ。そしてあの記憶に出てきた複数の男たちと親子。その関係を考えると…
「ヤバイことになってるんじゃ…」
「お?意識が戻ったか?珍しい兄ちゃんよ」
いかにも悪そうな顔をした小太りの男が獰猛な笑みを浮かべこっちを向いていた。