9 荷電粒子砲
「なぁ柳田――」
「―――っ!」
「あっ、止まれっ!」
「おい柳田。話がある」
「―――ご、ごめんなさいっ!」
「おいっ!」
「柳田さん。折り入ってお頼みがあるのですが……」
「―――っ!」
「なっ、なぜ逃げるっ!」
声をかける俺。走り去る柳田。取り残される俺。
もう何度目だろうか。今朝から数えて、2桁は超えている気がする。
今朝の一件があってから、逃げ出した理由を聞こうとする俺だったが―――柳田は俺から逃げていく。授業ごとの休み時間も、授業終了と同時に走り去られては捕まえることすら出来ない。夕凪も協力してくれたが、結果は同じだった。
――何故だ?
逃げられることは構わない。嫌がる柳田に無理を言って接触しようとは思わないし、向こうに負担をかけることはしたくない。
でも、俺から逃げる理由ぐらいは教えて欲しい。
腕時計に目をやる。時刻は16時40分。放課後ということあり、教室に残っている生徒は少数。数人の女子が、化粧品を広げて談笑をしているだけだ。
そんな時、教室の扉が開いた。夕凪だ。
夕凪は俺を見つけると、いそいそと駆け寄ってきた。その姿、まるで飼い主に駆け寄る子犬。
「あっ、岬君っ。今日の活動なんだけど、休みにしてもらって構わないかな。美樹ちゃんにカラオケ誘われちゃって……」
美樹――というのは、クラスメイトの女子だろう。セミロングの明るめな女子で、スクールワースト(ただしい)上位勢。
しかし、カラオケとはなんだ。KARA-O-K? ロシアの新型航空兵器か。そんな機種は知らんぞ。
「構わない。それより、話があるんだが……」
「なにかな?」
「柳田の居場所、知らないか?」
「あーっ……さっき、昇降口に向かうの見えたよ。たぶん、下校するんじゃないかな」
「くっ……遅かったか」
教室の窓を開き、校庭に目を向ける。すると、柳田の後ろ姿が見えた。たった今、校舎から出てきたようだ。
今から走って追いかけても、間に合うことは不可能だろう。
どうする……?
「―――っ!」
そんな時だった。脳裏をかすめる、未来での記憶。
「なぁ夕凪、『ニムロッド作戦』って知ってるか?」
「に、にむろっどさくせん……し、知ってるよっ! あれってサクサクしてて美味しいよねっ」
「お、おう」
俺の知ってるニムロッドと違う。なんだその食べ物。
1980年4月。駐英イラン大使館が、アラブ系テロリストグループに占拠された。彼らは『収監されているアラブ系活動家の開放』を条件に人質交換を申し入れたが、政府はそれを拒否。これに逆上したテロリスト達は、人質を殺害していく。
これを重く見たロンドン警視庁は、イギリスの特殊部隊「SAS」に指揮権を委託した。
そこで彼らが考案したのが『ニムロッド作戦』だ。窓枠にプラスチック爆弾を取り付け、閃光弾を放って突入。テロリストを殲滅し、人質を回収する内容だ。
作戦は成功し、途中に射殺された1人の人質を除いて全員が救助された。
この作戦において、彼らの制圧能力の高さもそうだが―――最も注目されるべきは、ラペリングによる突入を使用したことだろう。
ラペリングとは、ロープを使用した懸垂降下のことだ。建物の屋上からロープを垂らし、それを伝って降下する。
政府軍にいた頃は、何度も訓練をやらされたものだ。よくロープの結び方を間違えて、逆さ吊りになったなぁ。頭に血液が集まってくるあの感覚は、今思い出しても鳥肌ものだ。
「まぁいい。そこで見てろ」
ここは5階。地面との距離は20mも無い。失敗しても、受け身をとればかすり傷で済む。
「あれっ……なんで岬君は、窓の枠に足をかけてるのかな?」
「これをこうしてだな」
「なんでロープを机に巻き付けてるの? というかそのロープ、どこから出したのっ?」
「質問してばかりじゃなくて、自分で考えたらどうだ」
「う、うん。ちょっと考えてみる―――じゃなくて、危ないよ!? 落っこちちゃうよ!?」
「承知してる。じゃあな」
躊躇いは不要。
体を襲う浮遊感。一瞬にして夕凪が視界から姿を消す。ロープを掴んではいるが、降下速度はかなりの物だ。
『み、岬君ーー!』『やだ神奈、どうしたの?』『飛び降り自殺?』『やばすぎ』『なんで美樹、Twitter開いてるの!?』『いや現代人の性というか』『つぶやいてる場合じゃないよ!』
遠ざかるクラスメイトの会話。
……さて。
「柳田ァァァァァァァァァ!」
「えっ……ひゃぁぁぁぁぁぁあ!?」
校舎の壁を強く蹴り、ロープを手放す。
空中で1回転。校庭に着地する。
ズドンッ―――砲弾の直撃を受けたような衝撃が体を襲う。が、気にしている暇はない。
体制を直し、柳田に向き直る。
「柳田ァ……!」
「ひぅっ……」
逃げられないように、彼女の肩を掴む。びくり、と柳田の体が強ばる。
華奢な体は、少し力を入れただけで砕けてしまいそうだ。だが、離す訳にはいかない。
「強引な手段を取ってすまない。でも、聞きたいことがある」
「き、聞きたいこと……?」
「どうして俺から逃げる?」
「………」
柳田は、気まずそうに目を伏せる。
しばしの沈黙。お互い無言のまま、時間が過ぎる。
「……どうしても話したく無かったら、言わなくても構わない。俺も、諦める」
「……」
「ただ、柳田が不快に思ったことがあったのなら、教えて欲しい」
「………は、話すからっ。手、離して……」
「あっ、すまん」
柳田の肩から手を離す。
苦しそうに身をよじる柳田。心なしか顔が赤い。なんだなんだ、伝染性紅斑か。りんご病なのか。
「だって……」
そんなこんなで、柳田が理由を離すのを待つ。
柳田は口をもごもごと動かし、開いたと思ったらまた閉じる。気まずそうに目を伏せては、また同じように話そうとして失敗している。
どうやら柳田は、会話をするのが苦手らしい。
「焦らず、ゆっくりでいいぞ。時間はあるんだから」
そう言うと、柳田は驚いたような目でこちらを見た。少しの逡巡の後、強張っていた彼女の肩が和らいだ。どうやら、警戒心は氷塊したらしい。
柳田は目を伏せてながらも、ぽつりぽつりと喋り出した。
「怒ってるん、でしょ? 岬君、私に……」
「俺が怒ってる?」
「う、うん……」
俺が問いかけると、柳田は遠慮しがちにうなずいた。
「そんなに目つき悪いのか、俺って…」
「ち、違うっ。そうじゃないのっ……」
「おぉ……」
浮気の言い訳をする人妻の様なフォローが心に刺さる。
言い訳しなくてもいい。目つきが悪いから怒ってるように見えたんだろ。そうなんだろ……?
「中途半端なフォローはやめてくれ。整形してくる……」
「本当に違うんだって……っ」
ガラスのように繊細な声で、必死に抗議する柳田。思わず面食らってしまう。
どうやら本当に違うらしい。
「そうなのか。じゃあ、なんで」
「昨日の朝、岬君に声かけたんだけど……凄く、嫌だったんでしょ。じゃなきゃ、あんなに怒らないよね……ぐすん」
そう言って涙ぐむ柳田。
昨日の朝――言われて思い出す。
俺の住所を聞いてきた柳田に対して、警戒心丸出しの対応を取ってしまった件。その場は夕凪のフォローで何とかなったが……
「いきなり住所を聞いちゃうなんて、コミュ力不足と陰キャこじらせすぎって感じだよね。あはは……ぐすん」
「いや、お前は悪くない。それに、不快なんじゃなかったぞ」
「気使わなくていいよ。そういう扱い、慣れてるし……」
ついには俯いてしまった。気がつけば、涙によって作られたシミが、地面にぽつぽつと表れている。
あの件は、俺の経験不足。コミュニケーション能力の欠落が招いた事態だ。非はこちらにある以上、彼女の誤解を解かなければいけない。
「今朝、謝りに行こうと思ったんだけど……夕凪さんがいて。陽キャの逢瀬を邪魔したら悪いかなって……うぇぇぇえん」
よ、陽キャ? 陽電子キャノンの略称か? なんで荷電粒子砲が登場してくるのかわからん。だが、逢瀬という会話は聞き捨てならない。
「待て、勘違いするな。夕凪と俺はそういう関係じゃない」
「隠さなくっていいよっ。夕凪さんって小動物みたいで可愛いし、陽キャだし……私なんかとは多い違い」
「いや、あいつは荷電粒子砲じゃない」
「えっ」
「えっ」
何故だろう。会話の歯車が、対戦車ミサイルを喰らったかの如く飛び散った感覚がする。
しばしの沈黙。
ランニング中の野球部の掛け声だけが、校庭に響いている。エイッ、オー、エイッ、オー……
「……この話しは置いておくとして、昨日の件はすまなかった。本当に、お前を邪険にする気持ちは無かったんだ」
「それじゃ、なんであんなこと言ったの……?」
「恥ずかしいが……俺も、あんまり人付き合いをしたことがなくって。あれが世間話だってことに気が付かなったんだ。てっきりスパイか何かかと……」
正直に、ことの顛末を話す。
すると柳田は顔を上げ、糸の切れた人形のようにへたり込んだ。
「おい、大丈夫か」
「な、なんだ。てっきり、嫌われたのかとばっかり……よかったぁ……」
安心したのか、ほっと胸を撫で下ろす柳田。
どうやら、誤解を解くことは成功したみたいだ。
「まぁ、今話した通り、俺はあんまり人付き合いが得意じゃない。これからも迷惑をかけると思うが……クラスメイトとして、よろしく頼む」
「ううん、ぜんっぜん大丈夫。むしろ私みたいな陰キャ、岬君を不快な気分にさせちゃうんじゃないかって……」
「い、陰キャ……?」
い、陰電子キャノン……? ダメだ、言葉の意味を考えれば考えるほど、ドツボにハマっている気がする。もう考えるのはやめよう。
「それじゃあ、明日からよろしく頼む」
「うんっ。それじゃ……ばいばい」
「あぁ、またな」
そう言うと、柳田は小走りで校門へと走っていった。
「友達」という関係とは、まだ足りないかもしれない。だが、無事に誤解は解けて、クラスメイトとして打ち解けることが出来た。作戦は成功、だ。
さて、俺も教室に荷物を取りに行って、帰宅するか。
昇降口に戻ったところで、ふと、疑問が頭をよぎった。
今朝、俺の近所で待ち構えていた柳田。
……あいつ、なんで俺の住所を知っていたんだ。
………。………………。
……まぁ、いいか。どうせ夕凪が話したとか、そういうオチだろ。




