5 夕食はステーキ
「……ーい。おーーーーいっ!」
「ん……?」
耳元でピーピーと高音が鳴っている。
羽虫が耳の周りを飛び回っているらしい。
………騒がしいな。
「あうっ!」
べちん。
蚊だと思って右の平手を振るったら、予想以上に重い感触。
随分とでかい羽虫もいたもんだな………。
感心して、音の方向を向くと……
「……!…!…!!」
頬を抑えながら、目を潤ませて抗議する夕凪がそこにいた。
赤くなった頬がなんとも痛ましい。
「………かすった?」
「直撃だよっ!」
よかった。ヒステリックに騒げる元気は残っているらしい。
しかしご立腹のご様子。赤く腫らした頬をぷくっと膨らませて、抗議の眼差しを向けてきた。
「急に黙ったから、なんでだろ〜って思って近づいたの。そしたら急にビンタしてくるんだもんっ」
「これに懲りたら迂闊に近づくんじゃない。『歩く死神』こと岬 凛にな。ちなみに読み方はウォーキング・デッド」
「絶対今考えたでしょ、その2つ名……。というか、歩かない死神っているの?」
「知らん」
「知らんって……」
力なくツッコミを漏らす夕凪。憐れな女だ。
なんとなくふざけてしまったが、今回の件は俺に非がある。
「まぁ、普通にスマン。痛かっただろ」
「別にいいけど……私以外の人には、こういうことしちゃダメだからね」
「……夕凪にはしてもいいのか?」
「それは――言葉のあやとりってやつだよっ。私にも、しちゃダメっ」
「随分と哲学的なあやとりだな……」
何故とりをくっつけてしまったのか。
惜しい女だ……。
いたたまれなくなったので、時計に目をやる。5時3分。
自分の過去とか夕凪との馴れ初めを思い出していたら、思いの外時間が経っていたらしい。
「って、こんな話はどうでもいいの! ほら、今日の反省会をするよっ」
俺の対面に座り直した夕凪。
ここ数日。俺と夕凪は放課後にこうやって集会を開いている。
部室棟の端に位置する、使われていない一室。そこが集会の場所だ。もちろん無断使用。
長い間放置されていたらしく、設備は整っているとは言い難い。ただ、教師の巡回とかが無いので、いろいろと都合がいいのだ。
『俺に、学校での立ち回りを教えてくれ』。
先週、俺が頼んだことを、夕凪は律儀にも実行してくれている。
……都合のいい女だ。いいやつ。
「それで、今日の反省なんだけど……」
「あぁ、何か不味い点でもあったか」
「ありありだよっ。特に今朝のアレ!」
「えーっと……」
今朝のアレ。指摘されて思い出す。
朝早くに登校した俺は、朝のホームルームが始まるまでの時間を利用して、授業の予習をしていた。
なんでかって言うと、俺の中の歴史と、教科書の中にある歴史が一致しないからだ。原因はもちろん、未来の政府による歴史捏造だろう。
‥‥‥第二次世界大戦で日本が敗北したなんて、未だに信じられん。未来では、『天女様』が核兵器を弾き返して、アメリカを敗北に追い込んだって聞いたんだけどな‥‥‥。おかしいな‥‥‥。
まぁ、そんなこんなで、俺が教科書とにらめっこしていると‥‥‥
「あ、あの、岬君」
「‥‥‥」
「岬君? 聞こえてる?」
「……あぁ、俺のことか?」
クラスメイトの女子が、俺に声をかけてきた訳だ。
腰まで届きそうな黒髪が印象的な少女。細くしなやかな手足は、触れたら割れてしまいそうなほど繊細に見える。スラっとした体は、夕凪と対極に位置する高身長を誇っていた。
ただ、身長とは逆に声音は小さい。大人し目な印象の女子だ。
そんな女が、何の用だ? と訝しむ俺。
「うん。あ、あの……質問なんだけど」
「あぁ」
「岬君って、どこに住んでるの……? 」
俺と彼女が会話するのは、これが初めて。にも関わらず、彼女は真っ先に個人情報を探ってきた。
幾度もレジスタンスとの心理戦をくぐり抜けてきた勘は、ある解を導き出した。
「……誰に頼まれた?」
「えっ」
「俺の住所を探るよう、誰かから依頼をうけたのだろう」
初対面で個人情報を引き出そうとする理由など、それぐらいしか思い浮かばない。
誰だか知らないが、俺にスパイを差し向けるとはいい度胸だ。
「そ、そんなこと――」
「吐け。さもなくば、失せろ」
「ひ、ひどいっ。そんなつもりじゃ……」
嗚咽まじりに返事をする彼女。一見すると、何も悪意はないように思える。
しかし、油断は禁物だ。
椅子から立ち上がり、彼女の退路を塞ぐ俺。
「どうした。弁解があるのならしてみろ。――最も、信用するかどうかは別問題だがな」
彼女を問いただそうと、手を伸ばしたその時に
――
「すとーーーーっぷ! 」
「ぐぇっ」
首根っこを掴まれる感覚。視界がぐるりと回転したのを覚えている。
よくよく見ると、首にしがみついているのは夕凪だった。
「ごめん柳田さん。岬君、借りるよ!」
「あっ――」
有無を言わさず、俺を拘束する夕凪。
バランスを崩した俺は、ずるずると夕凪に引かれて廊下に姿を消した。
ここまでが、今朝の話だ。
「岬君が女子と話してる、珍しいーーっ。なんて見物してたら、いきなり喧嘩腰なんだもん。びっくりしたよ!」
「止めに入ってくれて助かった。まさか、あれが普通の世間話なんて思いもしなかったからな」
「まったくもう……けど、先週に比べれば格段に進歩してると思うなっ」
彼女の言うとおり、日を重ねるごとに反省点は減っていっている。喜ばしいことだ。先週のことは……思い出したくない。
「だから、そろそろ新しい目標が必要だと思う」
「新しい、目標」
思わず、夕凪の言葉を反復してしまう。
まるで九官鳥だ、俺は。
「新しい目標。それは――」
「それは?」
「それは――」
「……それは?」
「それは――」
「………」
「ひ・み・つっ!」
「………は?」
イラッとしたので、脇の下を掴んで持ち上げる。
小柄な体は、思ったよりも簡単に持ち上がった。
「うぇっ?」
そのまま一回転。二回転。三回転。ぐるぐるぐるぐるぐる。
駒だ、俺は。
回転回数が2桁を超えたあたりで、夕凪を開放した。倒れる寸前の駒のようにふらつく姿は、もはや滑稽としか形容できない。
「愚かな女だ……」
「う、ぅうぅぅぅ……恨むよぉ……」
窓から見える夕日をバックにふらつく彼女を見ていると、なんとも言えない郷愁感が心に湧いてきた。これが現代アートなのか?
流石に可哀想に思えてきたから、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出してあげた。
ちびちびとそれを飲み干す夕凪。まるで、母親の乳に吸い付く子牛のようだ。
「夕食はいきなりステーキだな」
「よくわかんないけど、怖いよぉ……」
夕凪が元の調子を取り戻すまで、3分を要した。
「ちょっと茶目っ気を出しただけなのに……」
「焦らされるのは嫌いだ。それで、目標とは」
「率直に言うよ。『友達』を作ろっ」
『友達』。
辞書を引くと、『勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人』と記載されている。
夕凪の言葉と辞書を意訳すると……「親しい人間を作れ」ということか。
「いや、もういるが」
そう言うと、少し意外そうな表情になった。
「えぇっ、あの岬君が友達って認める人っているの?」
「まぁな……つーか、あの岬君て」
人を孤独の代名詞みたいに扱わないで欲しい。
「ちなみに、誰?」
「夕凪神奈」
友人の名前を口に出す。
「えっ」
「夕凪神奈」
「う、うん。確かにそうだね……あ、ありがとっ」
夕凪は蚊の鳴くような声で礼を言って、小さくうつむいた。ちらりと覗く頬は赤い。熱でもあるのだろうか。
しばしの沈黙が部屋を包む。
静寂を破ったのは、夕凪だった。
「でもっ。私だけじゃいけないと思うのっ。友達は沢山いた方が楽しいよっ」
「決めつけるな、量より質だ。お前さえいればいい」
「だ、ダメったらダメ! 」
彼女は顔を赤くして反論する。
ふと、昨日インターネットで見た会話を思い出した。
こういう時は、現代風に言うと――
「……顔真っ赤で草」
「な、なにかな!?」
「いや……なんでもない」
どうやら間違いだったらしい。
「そっ、そういえば……」
思い出したかのように会話を振る夕凪。会話を逸らそうとする糸が見え隠れしている。何故だ。
「どうして岬君は、学校での立ち回りを知りたいの?」
彼女の口から出たのは、思わぬ質問だった。
咄嗟に返事ができない。
答えたくない、という訳じゃない。別に夕凪に話すことは嫌じゃないのだが、自分の中の答えを探すのに手間取っている。
生き抜くため? いや、生存するだけなら、学校に通わず働くという選択も出来るだろう。そもそも、学校に通う選択を選ぶ必要な無かったはずだ。
答えに手間取っていると、夕凪は慌てたように――
「別に、教えるのが嫌って訳じゃないからね。気になっただけで」
と、弁解してきた。律儀な女だ。
「俺は……」
脳裏をよぎる、未来での記憶。
殺される戦友。活気の失われた街。繰り返される戦闘。狂っている同僚女。
俺は、その全てが嫌になって2018年に逃げてきた。
それらとはかけ離れた、対局にあるもの。
それはきっと――
「平凡な生活を送る為、だ」




