3 女と食欲
夕凪神奈との出会いは、2018年 4月10日。高校に入学してからすぐだ。
2018年4月17日だから――きっかり1週間前だな。
――4月10日――
「はぁぁ‥‥‥‥」
ノリと勢いと軽はずみなムードで「高校」に入学した俺は、猛烈な勢いで後悔していた。
何故かって? 察してくれよ。
……学校生活が、思ったよりも高難度だからだ。
管理社会にいたせいで、俺は学校に通った経験すらない。似たような機関――設訓練施設で教育は受けたが、そこは自主性という物を嫌悪する場所だった。個性は忌み嫌われ、下手に問題を起こそうとするならば、容赦なく密告された。もちろん、クラスメイトとの友情なんてものは存在せず、密告される恐怖だけがお互いを支配していた。
そんな訳で俺は、思春期真っ只中の少年少女がすし詰めになっている教室での立ち回りなんて知るわけがない。
要塞制圧の立ち回りなら完璧なのに‥‥‥。
「くっそ‥‥‥」
理由は分からないが、俺は畏怖の対象として見られている様だ。
誰が噂しているのか知らないが、俺の父親はアメリカ海兵隊に所属していて『100人殺しのボブ』という異名で呼ばれているらしい。ちなみに兄はテロリスト。誰だこの噂流したの。
……まぁ、そんな噂が流れてしまうぐらい、クラスメイトと俺の雰囲気には開きがある訳だ。
怪しまれるのも時間の問題。
「早急な対策が必要だな……」
ため息を吹き払うように、真新しい学生鞄からパスケースを取り出す。
2018年に来た当初は、駅そのものの存在を知ることに手間取ったが、2ヶ月も経てば流石に慣れた。
スマートな手付きで改札にカードをかざす。
これで俺も立派な現代人の仲間入り‥‥‥とはいかないか。
時刻は午後六時。日は沈みかけているが、ここは天下の秋葉原だ。きらびやかに光る街灯。ひしめく店の灯りが、真昼の太陽よろしく街を照らしている。
ふと、脳裏に未来の東京の景色が浮かぶ。病的なほどに統制された街道と、墓標を想像させるビル群。道行く人々はどこか虚ろな表情で、くすんだ眼に丸まった背中をしている。
どんなに整然と整備された街並みでも、それに合った活気が無かった。
――いい時代、だな。
なんとなく感慨深くなって、辺りに目をやる。
仲睦まじく肩を組むカップル。
学生服に見を包み、馬鹿騒ぎしている女子高生達。
背を丸め、やつれた顔で歩くサラリーマン。
――これは、未来とあんまり変わってないな。
おっ。中には、女子高生に絡んでいるガラの悪い男なんてのも見える。
絡まれている女子高生は、俺と同じ制服を身に着けていた。クラスメイトだ。朝焼けのような煌めきを放つ栗色の髪に、トパーズを埋め込んでいるような金色の瞳。小さいながらもスラっとした体は、高速爆撃機のボディを彷彿とさせるしなやかさを伴っている。
確か名前は‥‥‥夕凪神奈だったか?
対する男は、軽めな装い――耳にはピアス、キラキラとした装飾の入ったネックレスに、髪は金色に染まっていた。
少しばかり気になったので、立ち止まってその様子を眺めることにした。
どうやら、男が夕凪に言い寄っているようだ。
「少しぐらいいいだろ?」
「ちょっと‥‥‥困りますっ。私、これから予定あるんで」
「そんなこと言わないでくれよー。ちょっとぐらいいいじゃん」
都会の喧騒に紛れて、会話が耳に入る。
夕凪の方は乗り気ではないようで、断る意思を見せて入るが、男は引き下がらない。
こんな状況だが、俺は少しばかり関心していた。あんな『軽い男』という人間が、存在することにだ。
未来では、宗教観念に基づく徹底的な倫理教育によって、ナンパなんて行動を取る人間は殆どいない。仮にやったとすれば、治安部隊に補導され、地獄のような『再教育』が待っているからだ。
だから俺は、ナンパ男という存在自体、物語にしか存在しない架空の生物だと思っていた。ユニコーンやスライムと同格。幻獣クラスのレアリティ。
食い下がらないナンパ男を見ていると、何故だか感慨深くなってくる。
‥‥‥あぁ、いい時代だなぁ。
ふと、考える。きっとこれが冒険小説だったら、俺が颯爽と駆けつけ、恋愛・涙・コメディーありの超大作が始まるのだろう。
だが現実は非情だ。
面倒ごとには巻き込まれたくないし、それがクラスメイト絡みだったら尚更だ。いらん噂をたてられ、悪目立ちするに決まっている。平穏な暮らしを送るため、リスクは極力踏みたくない。
という訳で、家路に帰ろうとしたが―――
「あっ」
くりくりとしたトパーズの瞳。ナンパ男を捉えていたはずのそれは、今、俺の視線の直線上にある。
夕凪 神奈と目が合ってしまった。
向こうはこちらの存在に気づいたようで‥‥‥
「あ、あのっ。彼氏が来たんで」
「は?」「は?」
呆気にとられ、反応がナンパ男と重なってしまった。
思わず周囲を見渡す。が、彼女の周りで立ち止まっている人間は、チャラ男と俺しかいない。
彼氏‥‥‥彼氏?
あの女、俺のことを彼氏って呼んだか? 頭がイカれてるんじゃないか。俺の同僚女といい勝負だぞ。
何故――と考えた所で、納得がいった。
――俺を彼氏と偽って、チャラ男のナンパを振り切る算段か。なるほどな。
面倒くさいことこの上ない。
チャラ男もこちらの存在に気がついたようだ。
飢えた狼のような、好戦的な瞳でこちらを捉え――たが、それはすぐに、嘲笑に変わった。
「あんな冴えない男が彼氏? ありえないっしょ」
「そうだそうだ」
「ちょっと、なんで君も便乗してるのかなっ」
夕凪の指摘を華麗にスルー。
ナンパ男に親指を立ててグッドサイン、頑張れよ。
さらば夕凪、俺は家に帰らせてもらう。
「じゃあな」
「ちょっとちょっと、待って、帰らないで!」
「‥‥‥じゃあな」
「ねぇってば!」
走り寄ってきた夕凪が、俺の体にしがみつく。そのままがっちりとホールドされてしまった。
「暑苦しいっ。しがみつくなっ」
「つれないなー。そんなこと言わないでってばぁ」
コアラのようにしがみつく夕凪を、振り払おうと体をスイングする。が、困ったことに、中々離れてくれない。
胸部とか腹部とか。柔らかい所が当たっているが、所詮は高校生のガキ。別になんてことはない。
最も、俺も同年代なんだが。
「‥‥‥早く帰りたいんだが?」
「話だけでも聞いてってばぁ、悪い話じゃないんだから」
ナンパ男に聞かれないよう、早口で耳打ちをする夕凪。媚びるようなささやき声が、エコーを伴って脳に反響する。くすぐったい。
「私も帰りたいんだけど、あの人、中々しつこいのっ」
「見ればわかる」
「じゃあよかった。哀れなクラスメイトを助けるためと思ってさぁ。一役、買ってくれない?」
「無理。腹が減ってる」
未来では基本的に、食事は簡素な物だった。
軍隊にいた頃は、茶色をベースにした合成肉や合成野菜に、栄養補助のサプリメントがデフォルト。
時たま、レジスタンスの基地から食料をぶんどることもあったが‥‥お互い食料が不足していたからまともな飯にありつくことは稀。
その点、2018年は楽園だ。好きなときに飯を、食えて、内容まで選べるなんてな。
今日はゴーゴーカレーとかいう店に行きたい。
「そ、そんなっ。私と空腹、どっちが大切なの!?」
「‥‥‥‥」
「『察しろよ』みたいな目で見ないでよぉ‥‥‥」
瞳をうるうるとさせ、愛玩動物のようにこちらにすり寄ってくる。
うっざ‥‥‥騒がしい女だ。
そんなこんなで格闘を繰り広げていると、置いてけぼりにされたナンパ男が睨みつけてきた。
「オイ、何俺を差し置いて、二人の世界に飛んでんだよ」
「あぁ、スマン。邪魔をするつもりはなかったんだが‥‥‥」
「邪魔する気マンマンじゃねぇか! この野郎!」
顔を猿のように赤くし、戦車の排気管顔負けの鼻息を放つナンパ男。聞く耳持たず、という言葉はこういう時に使うのだろう。
本当に邪魔するつもりは無かったんだけどなぁ‥‥‥。
――コミュニケーションって、難しいな。
このまま自分の意見を押し通すのもいいが、どれだけ時間を食うか分かったもんじゃない。
ここは俺が折れて、夕凪の言いなりになってやろう。
いきり立つナンパ男から視線を逸らし、夕凪に向きかえる。
「‥‥‥仕方ないな。この男を追い払えばいいのか?」
「うん、そう。それじゃあ、一芝居――」
夕凪が何かを耳打ちしてくるが、気にしなくてもいいだろう。どうせ女子高生の言うことなんて大したことじゃあない。
軍属時代、何度も訓練した動きを思い出す。
体の重心を腰に据え、両足を大きく開く。そして、腕の筋肉をバネを縮めるようなイメージで収縮させる。
――メキッ、メキッ
限界まで縮められた筋肉が、暴れ出さんばかりに軋み始める。腕をナイフで裂かれるような痛みが走った。
そのまま、大きく体を後ろに引き――
「はッ!」
収縮を解き放ち、拳を男の顎へ直撃させる。
中に浮くナンパ男。その姿はまるで、ナチス・ドイツのV2飛行爆弾を連想させる吹っ飛び方だ。
――ドサリ
目測で‥‥‥5mは吹き飛んだか。ヒューマンターゲットとしてはまぁまぁだな。
ある程度加減するつもりだったが……腕がなまっていたせいで力の加減を間違えてしまった。
「‥‥‥ふぅ」
2018年に来てからのブランクがあったが、どうやら筋力は落ちていなかったらしい。安心して胸をなでおろす。
ナンパ男はぴくぴくと痙攣しているが、死にやしないだろう。たぶん。
現代の司法制度は詳しくないが、じきに治安部隊――じゃなくて、警察だっけか?――が来て、彼はしょっぴかれるはずだ。なんせ、街の往来でナンパなんていう反人道的行為をしたのだから。
隣の夕凪に視線をやる。
彼女は金色の瞳をばっちし開けて、吹き飛んだナンパ男を凝視していた。
「これでいいか?」
「‥‥‥‥」
「沈黙は肯定と見なすが‥‥‥。じゃ、また明日学校でな」
「‥‥‥」
夕凪に別れの挨拶をしたが‥‥‥何故か返事が帰ってこない。その代わり、ガチ、ガチガチ、という油を刺さずに放置した機械のような擬音を立てながら、首をこちらに向ける夕凪。
‥‥‥まさか、この女。
「もっと殴れって? 正直、気乗りしないんだが‥‥‥」
「―――ちっ、ちっちっちっちが」
やっとこさ言葉を発したと思ったら、今度は時限爆弾のタイマーの如き音を発し始めた。
「‥‥‥は?」
何いきなり時限爆弾の真似してんだコイツ?
「‥‥‥それ、時限爆弾の真似か? すべってるぞ」
友人がつまらない洒落を言ったのなら、それを訂正してあげるのが友情という物だ。
正直コイツは友人でもなんでもないし、ただのクラスメイトなんだが、老婆心から指摘をしてやる。
「ちっちっちっ――ちっがうよ! 全部ちがう! 何やってくれてんのっ!?」
「なっ――逆ギレか!? こっちは良心で指摘してやってるのに‥‥‥」
ここで1つの可能性が思い浮かんだ。
――もしかしたら、2018年では時限爆弾の真似が流行っているのかもしれない。
それなら、目の前でギャーギャーとキレ散らかしている夕凪にも納得がいく。
‥‥だとしたら不味い。夕凪から見た俺は「流行りのギャグを批判するKY野郎」だ。
なんとかして誤魔化さないと。
「いや、すまなかった。イマドキの流行りは人間爆弾だもんな。俺としたことが失念してた――」
「――何意味不明なこと言ってんの!? 違う、違うんだってば!」
なっ――やっぱり流行っていないのか!?
周りに目をやれば、道行く人々が足を止めて俺たちを見物している。中には携帯を取りだして、写真を取り出す始末だ。
『ちょっとちょっと、喧嘩?』『やばーい』『Twitter上げちゃおうよ』『倒れてる方の男、やばくない?』『ねー』『血とか出てるよ』
どうやら、俺は知らず知らずの内にタブーを、犯してしまったらしい。
「おい夕凪――」
「――こっち、早く!」
「なぁっ!?」
ぐっ、と腕を掴まれ、ズルズルと引きずられる俺。抵抗を試みるが、拘束を抜け出すことが出来ない。
この俺を凌ぐ拘束術を持つ人間がいるとは……想像もしていなかった。
2話続けての回想です。
許して下さいorz