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18/18

18 戦車

俺のアパートから歩いて5分。神田川と神田明神に挟まれるような位置に、柳田のマンションはあった。


……いや、歩いて5分という表現は間違いだ。怒り狂ってるであろうココネの追跡を恐れた俺は、中央通りを通り抜け、電気街に差し掛かる頃には柳田を抱きかかえて全力疾走していた。


初めは並んで走っていたんだが、柳田が遅いのなんの。


まぁ、現代では標準的な速さなんだろうが……男女構わず兵役を課せられていた未来に比べれば、やはり見劣りしてしまう。

結局、抱きかかえて走った方が早いと判断した。


「ここまでくれば一安心、か。……ふぅ」


真新しい街灯の横で、ほっと胸を撫で下ろす……つもりだったが、両手が柳田で塞がっていることに気がつき、息を深く吐くだけに留まった。


「あ、あのっ……」

「ん?」

「下ろして……」


腕の中の柳田が、涙目で訴えてくる。

ココネを撒いた安心感から、両腕の柳田の存在を忘れてしまっていた。


「あぁ、今下ろす……痛かったなら、スマン」


柳田を地面に下ろし、謝罪の為、頭を下げる。

こちらの身勝手な事情で柳田を連れ回し、秋葉原を全力疾走したことへの謝罪だ。


「べべべ別に大丈夫。むしろ、ありがとうと言うか……」

「?」

「な、なんでもない。というか、私、重かった……よね? ごめん……」


ペコペコと、100tハンマーで叩かれたオジギソウのように頭を下げる柳田。長い黒髪がばっさばっさと上下運動を始める。そのまま首ごと抜け落ちてしまいそうな勢いだ。

どうやら、自分の体重に関して思うところがあったようだ。


「推定で……62.5kgってところか? 別に、重くもなんともないだろ」


行軍訓練じゃ、100kgの鉛が入った背嚢を背負わされ、30kmを歩かされた経験がある。それに比べれば柳田なんて羽毛みたいなモノだ。


「ろくじゅ……んんんっ!?」


柳田は電気を流されたようにむせ始めた。


「? 間違っていたか。すまん、どうも感覚が鈍っているらしくてな」

「いや、間違ってないです……。少数桁までピッタリです……。な、なんでぇ……」


そして……赤かった頬をさらに赤くして、俯いてしまった。

なんだ、この反応?

予想外の反応で、思わず面食らってしまう。

一体何が―――


『岬君にいいこと教えてあげる』

『なんだ』

『女性とコミュニケーションを取る上で、体系・年齢・体重の話はNG! 胸のサイズなんてもってのほか!』


―――あっ。


脳裏によぎった夕凪の言葉が、自分の犯した失敗を自覚させた。

今まで意識することは無かったが、柳田は女子。それも、華のJKというやつ。 

彼女の心の繊細さは、殺戮マシーンだった俺とは天と地程の差がある訳だ。


これは16年ぽっちの人生で学んだ教訓だが、女性というのは、他人に体重を知られることを極端に嫌がる傾向があるらしい。

これは現代だけの話じゃない。よくよく思い返してみれば、まだ俺が未来に居た頃、ココネにどやされた覚えがある。

詳しい経緯は忘れたが……あの時は、行軍訓練用の重りにココネを代用しようとしたんだっけな。その時の顔を赤くしたココネが脳裏に浮かぶ。

と同時に、今も俺を血眼になって探していることを思い出し、額にに冷たい汗が浮かんだ。


現実逃避気味に頭を振り、悪鬼羅刹と化したココネを意識の外へ放り出す。

今俺がするべきことは、柳田のフォローだ。


「なぁ柳田。いいことを教えてやろう」

「な、なんですか……」

「自衛隊の10式戦車は44tもある。これは柳田の約650倍だ」

「………」

「たかが柳田1人、たかが62kg、10式の前じゃ蟻と同義だ。気にする必要はない」

「比較対象が戦車……うぅっ……」


『62kg』という単語を耳にした途端、シオシオと萎れていく柳田。

渾身の例えだったのに――クソっ……失敗か!


――――


「あの………」

「どうした」

「ほ、本当にいいの? 私の家……というか、マンション、全然綺麗じゃないし、窮屈だし……」

「本当にいいの? はこっちのセリフだ。自分から提案しておいてなんが、いきなり家に泊めてくれなんて……」


あの時は勢いで頼み込んでしまったが、よくよく冷静になってみると、かなり図々しいお願いに思える。


「ううん、全然大丈夫……って言いたいところだけど、ちょっと緊張するかな」

「……申し訳ない」

「あ、謝らないでっ。あの、友達……というか、男の人を家に上げるのって人生初だから」

「嫌なら嫌と言ってくれても――」

「でも、友達の――岬くんの頼みだから、全然、大丈夫」


そう言って、柳田は微笑んだ。夕凪の小慣れた笑顔ではなく、彼女らしい、不器用な笑い方で。

そのまま数秒間、お互いの目を合わせると、柳田は恥ずかしくなったのか視線をそらし、扉に向き直った。


そんな彼女を見ていたら、脳裏を既視感が襲った。

その既視感は、疑念を確信に変えた。

俺と彼女は、どこかで――もちろん、未来ではなく、この時代で――出会ったことがある。いくら俺が人間関係に疎いとはいえ、引っ込み思案な彼女にとって、いきなり他人を家に泊めるという行為が持つ重みが軽いものではないことぐらい理解しているからだ。

友人とはいえ、俺と柳田の関係はそんなに深い訳じゃない。


「なぁ柳田。やっぱり、俺達ってどこかで――」

「た、立ち話もなんだし。部屋、入ろ……?」

「あっ……」


柳田はそう言うと、カバンから取り出した鍵で手際よく扉を開き、そそくさと中へ入っていく。

……押し切られるような形で会話が打ち切られてしまったが、まぁ、焦る必要はないだろう。


「ど、どうぞ……」

「あぁ、お邪魔する」


玄関をくぐると、ふわりとした、まるで砂糖菓子のような香りが鼻孔を突いた。


「……菓子屋でも営んでいるのか?」

「ど、どういうこと?」

「いや、なんでもない」


どうやら素の香りらしい。不思議なことに、現代の女子高校生――いや、女子高校生に限らないのかもしれないが――からは、心地の良い香りがする。それが柔軟剤によるものか香水によるものなのかは知る由もないが、どうやら柳田も例外ではないらしい。

ふと思い出すと、山岳行軍訓練後のココネからはカエルの匂いがしたっけ。女子といえど長期間の山岳訓練には勝てないらしい。南無三。


―――


俺をリビングに案内してから、柳田は夕食の準備をするといい、キッチンでいそいそと夕食を作り始めた。

手伝おうかと声を掛けたが、「ゆっくりしてて」とのことで、ぼーっとテレビを眺めてかれこれ1時間近くが経つ。 

ごとごとと鍋が煮立つ音から、どうやら煮物を作っているらしい。


「柳田ー。電話借りていいか?」


いいよー、と。キッチンの方から生返事が帰ってきた。

柳田のマンションのリビングとキッチンは独立しておらず、俗に言うLDKという構造をとっている。ので、こちらから料理に勤しむ柳田の背中が見えているが、向こうは集中しているようで、こちらを振り返ることはない。


リビングを出て、玄関横のスペースに備えられた固定電話に手を掛ける。

ポケットからメモ用紙を取り出し、そこに書いてある番号をプッシュした。


「俺だ」

『……誰ですか?』

「俺だ」

『あの、誰?』

「だから、俺だ」

『俺だ、じゃなくて、名前を聞いてるのっ。きみ、岬くんでしょっ!』

「なんだ、分かってるじゃないか」 


電話越しでも、夕凪の声は夕凪の声だ。


『あのね、電話越しに「俺だ」って言われても、普通の一人は分からないと思うっ』

「夕凪は分かってくれた。それでいいじゃないか」

『そういうことじゃなくて……あぁ、もうっ』

「……流石の俺でも、電話越しに相手の顔が見えないことぐらい知ってる。冗談に決まってるだろ」

『なんでそっちが呆れ声を出してるのかなぁ!?』

『……それにしても、意外だったよ』

「何がだ」

『岬くんの方から電話掛けてきてくれるなんて』

「まぁ……少し、用事があってな」

『用事?』

「あぁ。今、少し時間いいか?」

『別にいいけど、どしたの?』

「事情があって、友人の家に泊まることになって」

『うんうん……って、へぇー。珍しいね』

「あぁ、自分でも珍しいと思う。何分、友人の家に泊まるっていう経験は初めてでな」


未来では同じ部隊の連中と寝食を共にはしていたが、それは戦時下という特殊な環境あってこそだ。


『あー、注意事項とか聞きたい感じ?』

「そんなところだ」

『なるほどね。うーん……一般的なところから言うと、勝手に部屋を漁らないとか』

「あぁ」

『冷蔵庫を勝手に開けないとか……まぁ、何か家の物に触るときは、しっかりと許可を取ってからってことかな』

「なるほど。他には?」

『他は……って、誰の家に泊まってるの?』

「柳田」

『あー、柳田さんね。それなら…………ん?』

「なんだ」

『ちょっとまって。電話の回線、壊れちゃってない?』

「どうした、こっちは明瞭に聞き取れてるが……」

『うーん、そっかぁ。ノイズが酷くって、聞き間違えちゃったのかも。もう一回、言ってもらえる?』

「あぁ。今、柳田の家に泊まってる」

『……………』

「どうした?」

『あっ、わかった。ドッキリでしょ!』 

「いや、冗談なんかじゃ……」

『まったく、岬くんも人が悪いんだから――』


岬くん、ご飯できたよー、と。リビングの方から声がした。料理を作り終えた柳田が、俺を呼んでいるようだ。


「悪い、夕凪。そういう訳で――」

『そういう訳ってどういう訳!?』

「飯は何よりも尊い。また後でかけ直す」

『ちょっと――』



 

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