11 宗教組織より
7時を回った秋葉原駅は、人でごった返していた。仕事帰りのサラリーマンや、中国語を話す観光客。果ては、派手な民族衣装を着た人間――コスプレイヤーだっけか――までもが、我先にとホームへの階段へ殺到していく。
いつ見ても凄い光景だ。祭りでもイベントでもなんでもない日にも関わらず、ここまで活気があるなんてことは、未来では考えられない。
現代に来てから、幾度と無く目にした光景だが……未だに慣れることが出来ない。
そんな光景を横目で流しながら、ホームを降る。ホームに向かう人が殆どなのか、下りのエスカレータには、俺と夕凪以外、人はいない。
「ん、何か珍しいものでもあった?」
構内を見る俺の様子に気付いた夕凪が、問いかけてくる。
「強いて言うなら、全部」
「???」
小さなお目々をぱっちりと開いて、困惑する夕凪。
「わからんでもいい」
それを放っておいて、電気街口の改札へ向かう。
改札を出ると、これまた人、人、人―――重機関銃から排出された薬莢を連想するぐらい、人だらけだ。
「それじゃ、またねっ」
夕凪の家は、俺とは逆方面だ。神田川を跨いだ向こう側―――岩本町に住んでいるらしい。
「いや、ちょっと待て」
「どしたの?」
秋葉原駅を南に抜け、歩き出そうとした夕凪を呼び止める。
「家まで、送ってこうか」
「えっ。どうしたの、急に」
宝石のような瞳を見開き、驚いた様子で俺を見る。
「……ダメか?」
「べっ、別にいいんだけど……なんで?」
「『人付き合いを円滑にする50のメソッド』に、こうすれば女性はイチコロだって書いてあった」
「雰囲気ぶち壊しだよっ! なんで口に出しちゃうのかなっ!?」
そういえば、イチコロってどういう意味だ。
イチコロ……一殺?
あぁ、一撃で殺せるのか。なるほど。便利だ。
見たところ夕凪は死んでいないから、肉体的な死ではないのかもな。となると精神か、社会か。
「……お前、生きてるか?」
「ご覧の通りピンピンしてるよっ!」
「そうか……」
どうやらあの本は、嘘をついていたらしい。
なんやかんや言いながらも、夕凪は同行をOKしてくれた。
万世橋の上を、夕凪と並んで歩く。下に流れる神田川に目をやると、水死体のようにビニール袋がぷかぷかと浮いていた。
「いい、岬君。あぁいうことは、口せず隠しておくことっ」
「嘘はよくないだろ」
「時には嘘も必要なの、わかったっ?」
「………」
平穏な時代でも、嘘が必要だなんて。人と嘘っていうのは、離れられないモノなのだろうか。
そんなことを考えながら、ゆっくりと歩を進める。
そんな時だった。
「あのぅ、お時間よろしいでしょうか」
「……ん?」
しゃがれた声に、枯れた細枝の様な腕。喪服の様な、独特の服装に見を包んだ老婆が、そこに立っていた。
右の夕凪に目をやれば、彼女も同じように声をかけられていた。細身の体に、こちらも黒を貴重としたスーツ。オールバックに整えられた金髪が特徴的な男だ。
「何の用ですか」
一応、敬語で答える。
老婆は、ヒビだらけの腕を鞄へ入れる。そこから名刺を取り出した彼女は、俺にそれを手渡してきた。
「私、このような者です。よろしければ、少しだけ、お話を聞いていただけないでしょうか」
黒と白の入り交ざった、スピリチュアルなデザインの名刺。どうやら、宗教関係の勧誘らしい。
そこには、老人の名前と――
「っ……!」
名刺に書かれた文字を目にした瞬間、背筋が凍った。
冷や汗が頬を伝う。心臓を鷲掴みにされ、ぎりぎりと締め付けられる感覚。
「夕凪、行くぞっ!」
考えるより先に、体が動いていた。
「えっ……ちょっ、どうしたのっ」
夕凪の手を引っ掴み、その場から駆け出す。なりふり構っていられない。
ちらり、と後ろに目をやる。老人と、もう一人―――スーツに見を包んだ、金髪の若い男性――は、こちらを凝視している。死んだ人間を彷彿とさせる、くすんだ瞳で。
こちらを追ってくる様子は無いようだが、俺は立ち止まらなかった。
すくみそうになる足をを奮い立たせて、その場を後にした。
暗く濁った瞳が、いつまでも俺を見ているようで―――背中には、チクチクとした感覚が残っていた。
―――
『天上真理の会』。
1984年に発足。仏教、イスラム、キリスト。そのどれとも違う中心教義を持ち、『天女様』と呼ばれる、独自の神を崇める新興宗教。2018年現在の入信者数は50万と少し。
そして、来る未来での入信者は―――1億人。
日本国民、全員だ。
「……はぁっ、はぁっ」
逃げ込んだ路地裏は、街灯一つない。敷き詰められた建物の隙間から、薄い夕陽が漏れているだけだ。
煤だらけの壁面にもたれかかる。
「どうしたの、岬君………」
「……少し、走りたくなってな」
「嘘つかないでよ」
「……」
「ねぇ、あの人達が、どうしたのっ?」
心配した様子で、問い詰めてくる夕凪。困惑と心配がない混ぜになった表情だ。
答えられるわけがない。彼らの未来と、俺の素性はイコールだ。
仮に、すべてを話したとしよう。彼らは未来の日本を支配する組織で、俺はそいつらの兵士だったと。
俺は頭の残念な人間として認定され、平凡な日常とオサラバすることは容易に想像がつく。
だから話さない。
「………」
「ねぇ、ねぇ、教えて。黙ってちゃ、分からないから」
ふと、違和感。
どうして目の前の夕凪は、こんなにも焦っているんだ?
俺を心配して、だろうか。いや、それは道理に合わない。友人の様子が少しおかしいぐらいで、ここまで取り乱すようでは、学校生活はままならない。ましてや、クラスの中心人物である彼女ならなおさらだ。
俺ではなく、夕凪――彼女が、『天上真理の会』に過剰反応している。状況証拠だけで判断すると、そう思わざるを得ない。
………いや、考え過ぎか。
頭に浮かんだ考えを打ち消す。
地面に落としていた視線を上げ、夕凪に向き直る。
「今は、話せない」
「……どうして」
「平凡な学生生活を送るため」
「答えになってないよっ」
「なってる」
「なってないっ」
「なってる」
「なってにゃっ……ないよっ」
無限に続くかと思う程の押し問答。戦争を終わらせたのは、彼女の滑舌だった。
「噛んだな。俺の勝ちだ」
「ちょっ、意味わかんない勝利宣言しないでよっ」
「家、もう近いだろ。じゃあな」
「ちょっと―――」
わめく夕凪から逃げるようにして、路地雨を後にする。
後ろは振り返らなかった。