地震で狂った生活
話は九月の地震に戻るがここで私が予想大会に参加した理由を少しだけ触れておこう。私は自分の親族や友人、知人、恩人の為にお金が必要になった事が第一の理由。家が壊れたが地震保険に入っていなかった。仕事で納品予定のデータを損失したなど。
第二の理由は私にしか出来ない秘密裏の依頼をされた事。必要に応じて追加で依頼したい事があるという・・・。しかし、依頼者は謎だ。
あの日の大きな揺れとともに停電が起きたために情報が全く分からず数十分間ペンライトで部屋の被害状況を見ながら暗い部屋で電気が復旧するのを待った。幸い電池を非常用に置いていたので電池切れの心配はなかったが電話が通じない。私はこのままでは仕事に行けるかどうか?何か連絡方法がないか?考えられることを想定していた。しかし電気が復旧する気配がなく私は行動を起こした。
外に出て少し歩いていくと声がしたので近づいていくと近所の方々が地震により電気、電話が通じない事。スマホや携帯も電波状況が悪いらしい事を話していた。不安を紛らすためだろうか?家にいるのが不安なのか?いつまでもそこから離れようとせず話を続けていた。私は余震に気を付けるように言ってから広めの道路に向かった。
途中数人の人が懐中電灯を持って歩いていた。その人達に今がどのような状況か?訪ねたがよく分からない様子。さらに数分歩いて道路で最初に目にしたのは事故を起こして大破した車。信号機が停止したため起きたことは明白だった。
運転手の男が衝突を避けようと咄嗟にハンドルを左に回し電柱に突っ込んだらしい。助手席の女性はかなり動揺して怖がっている様子だった。一種のパニック発作のように見えた。男も動揺の色を隠せないでいる様子。周りにいた誰かが救急車を呼んでくれたらしい。救急車を呼べただけ運が良かったかもしれない。同時に私は病院へ早く行かなければならないと思った。もしかすると急患が運ばれているかもしれない。私は急いで家に戻り支度をして飛び出た。問題は足がない事。私は車を持っていない。自転車もない。仕方ないが徒歩で行くしかない。この時間ではタクシーも見かけない。その後主要道路が陥没していることに気づいたのは夜明け頃だった。
病院に向かう途中困っている人を発見した。近くに住む老夫婦が水が出ない為飲み水とトイレが使えないらしい。“他にも同じような人がいる”と言っていたので私は持っていたペットボトルを渡した。その後、病院に着くと同僚たちや医者・看護師、薬剤師からレントゲン技師まで来る手段のある人達が駆けつけていた。どうやら救急車が何台か来ていたようだ。車などで直接来る患者もいて対応に追われたが朝8時頃には落ち着きその後出勤してきた職員と交代で休んでいた。私はこの日は早めに帰宅させてもらった。