91.メガネ君、黒皇狼狩りに出発する
入った瞬間、ゆるい視線と強い意識が向けられた。
――さすが腕利きたち。しっかり爪と牙を隠している。
王都で立ち寄った冒険者ギルドとは違う。有象無象がひしめき合っているのではなく、ここにいるのはその道のプロばかりだ。
俺が気配を絶とうがこそこそしようが、さりげなくも確実に見抜いてきている。
まあ、ごまかしようがない状況でもあるけど。
「おっと。待たせたかい? 俺たちが最後かな?」
まだ夜と言ってもいいくらい早い朝。
ロダに連れられてやってきたのは、ハイディーガの冒険者ギルドである。
ここには、これから出発する黒皇狼狩りに参加するのだろうメンバーが、思い思いにテーブルについて待っていた。
人数は、八人。
一つのテーブルを囲む、屈強な男が二人、女が二人という四人チーム。
そこには見覚えのある、たとえるなら毒とか棘がある女たちがいた。俺とリッセを見て驚いていた。
男たちはブレストプレートだのなんだのと部分金属の鎧を着ていて、騎士らしいフルアーマーではない。
毒とか棘とかありそうな女二人も、軽そうな革鎧を着込んでいる。
身分を隠して参加している、というのは本当なのかもしれない。騎士なら鎧とか剣とかに身分を明かす紋章が入っているからね。
持ち物や装備は、なかなか使い込まれているようで、急ごしらえというわけではなさそうだ。
出で立ちを見れば、百戦錬磨の冒険者と言われれば信じるところだ。ほんとに騎士なのかな? まあどうでもいいけど。
もう一つのテーブルにも、四人。
…………あ、そう。
何がどうなってそうなったのかは、訊くまでもない。腕利きだからここにいるのだ。
間違いなく理由はそれだけだ。
ただ、意外と言うべきなのか奇遇と言うべきなのか、その四人は全員俺の顔見知りってだけの話で。
そのテーブルは、王都で『夜明けの黒鳥』というトップレベルのチームに属する三人と、特徴的な髪型の金髪女性の四人で構成されている。男一人に女三人で、しかも一人は俺の実の姉である。
確か、髪を後ろで結った無精ヒゲの男はグロック、少し年上の女はアインリーセ、そして姉。
あと、確か「黒鳥」のメンバーじゃないけど一緒にいるキノコみたいな特徴的な髪型の女性がロロベルだ。
――でも、さすが。
「黒鳥」のメンバーたちは俺を見て少し反応したが、それ以上のアクションがない。
ここで再会したのは意外だが、それと仕事とは別として考えているのだろう。仕事をする上で俺とのなんやかんやはまったく関係ないから。
俺も知らん顔しておこう。
その方が面倒もなさそうだし。
「……? なんかあいつ見たことある……? ねえアイン、あいつ――」
「黙って待ちなさい。あと人をジロジロ見ない。それと肉を手掴みした手で私の服を触らな……なんで拭くの!? なんで擦りつけるの!?」
俺の姉だけが、俺を見て妙な反応をしているが。
でも知らん顔しておこう。
……というか、なんで俺を見て弟だとわかんないんだよ。少し前に会っただろうが。俺の姉はなんなんだよ。
「アインって寝起きだとほんと機嫌悪いね」
「この案件は寝起きじゃなくても怒ってるけどね。……買ったばっかの服がこんなにも早く油汚れがつくとか…………おまえほんといつかブッコロ」
「――来たかロダ」
見たことがある女性が、俺の姉になんか胸がすっとしそうなことを言いかけたその時。
場に通る野太いが空気を一掃した。
ここからは、狩りの時間である。
「先遣隊はもう出ている。おまえらで最後だ。あとは頼む」
奥から出てきた、つるっとした頭の屈強な初老の大男――この街の冒険者ギルド長が、ここからの手順を簡単に説明する。
まず、街を出たところに馬車が用意してあるので、それで山の麓まで移動する。
それから先遣隊――調査と見張りで先行している冒険者たちと合流し、本格的に探索を開始。
期間は今日丸一日を予定していて、もし今日見つからなかったら、黒皇狼はすでにどこかへ移動しているものと判断する。
そしてその場合は、黒皇狼以外の理由で魔物が減っている現象を調査しろ、と。
だいたいこんな感じである。
「報酬だのなんだのは提示した基本報酬と、回収した獲物の状態などを考慮して上乗せする。細かな交渉は後からだ。
こちらからは以上だが――最後に何か質問はあるか?」
すっと手を上げたのは、騎士疑惑のテーブルにいる男だ。ギルド長に負けないくらい大柄な、顔に傷があるめちゃくちゃ強そうなおっさんである。
「そこの若造どもはなんだ? 足手まといが参加するなんて聞いていないが」
「そこの若造ども」とは、俺とリッセのことである。ジロリと大人でもビビるような凄味のある視線を向けられている。
「は? 何か文句でも――うっ」
俺は食ってかかろうとするリッセの脇腹を殴り、黙らせた。更に文句を言おうするのを視線で黙らせた。まったく。こういうのも含めて「余計なことをしない」なんだけどね。
狩りはもう始まっている。
今は「狩りに必要なもの、不要なものの選別をしている」のだ。出発する前ならどうとでも変更が利くから。
狩りの成功率を下げる要素を排除するのは当然のことである。
どこの馬の骨とも知れない俺たちをふるいに掛けようとするのも、当然のことである。
「俺の荷物持ちだ。面倒は俺が見る。――ま、もしもの時の最後の予備戦力だと思ってくれ」
俺たちを連れてきたロダが、気軽にそう説明する。向こうは全然納得してないようだけど。
「邪魔になる。置いていけ」
「そうか? おたくらがいりゃ黒皇狼くらい楽勝なんだろ? そういう触れ込みで参加したんだよな?
この程度の邪魔が参加したくらいで狩れるものも狩れないなら、おたくらがここで外れたらどうだい?
この街にはこの街のやり方があるんだ。気に入らないならそっちが外れろよ」
ほう。
態度も口調も軽いロダだが、やっぱり言うことは言うんだな。
おっさんはしばしロダを睨むと、フンと鼻を鳴らして立ち上がった。
それが出発の合図となった。
「――リッセ」
ぞろぞろと腕利きたちが出ていき、最後尾についたロダが歩き出した時、リッセに声を掛ける。
「さっきのおっさんだけど」
「ああ、あの傷のある顔が怖い。腹立つよね。あんたに殴られたのも同じくらい腹立つけど」
腹が立つ立たないはどうでもいいけど。
「あの人が一番優しいから、迷惑かけないようにね」
「は?」
あの発言は、この狩りに参加するには早すぎる――瞬殺されそうな奴を蹴り落とすためのものだ。
足手まといを連れて行かないって判断は、自分のためでも相手のためでもある。
本当に自分のことだけ考えるなら、実力の見合わない弱い者でも囮として使えばいい、とまで思う奴もいるだろうから。正面から言うだけ優しいよね。
俺としては、むしろ俺たちの参加を歓迎する奴の方が信用ならない。
「俺もエイルと同じ意見だ」
と、ロダも同意する。
「迷惑かけないよう絶対に近づくなよ。ああいうのは、口では何とでも言いながら、それでも救える命には身体を張ってでも手を伸ばす。
後味悪いぜ? 自分のせいで誰かが死ぬってのはさ」
そうだね。俺は経験ないけど、想像するだけでも胸に苦みが広がるよ。
「まあそれより俺は、エイルの顔の広さに驚いたけどな」
あ。
やっぱりロダは気づいたか。俺が「黒鳥」と関わりがあることが。
「そういえば、なんか変な女があんた見て反応してたね」
リッセは、ほかは気づかなかったみたいだ。間違いなく姉のことだけを言っている。
だってあの場に変な女なんて一人しかいなかったから。
「向こうの勘違いだと思うけど。肉を手掴みで食べたあと知り合いの服で手を拭くような女、俺の交友関係にはいないからね」
そう、交友関係にはいない。
身内にはいるけど。
……残念ながら、身内にはいるけど。
「さすがのリッセもそこまでしないでしょ?」
「さすがって何? 別にやってあげてもいいけど?」
「やったらザントにめちゃくちゃ厳しく訓練するよう頼むから」
「や、やめろよ! 今でさえ限界なのに!」
ならやらないでほしいですね。姉じゃないんだから言うことは聞いてほしい。
……そもそも姉みたいなのが何人もいるなんて事態、考えたくもないし。