66.黒鳥の飛ぶ頃に 1
「――リック、ついに来たわよ」
王都ナスティアラに居を構える、今や国で一番と言われるほどの隆盛を誇る「夜明けの黒鳥」の拠点に、赤いフードを被った女が戻ってきた。
副リーダー・アネモアである。
まだ朝も早い。
入って正面に位置する長テーブルに着いていたのは、「黒鳥」のリーダーであるリックスタインのみだった。ちなみに朝食中だったようで、本を読みながら堅パンを齧り、苦みのある茶を楽しんでいた。
「来たか」
四十も半ばを超え、黒髪に白いものが混じり出した初老と言っていいはずの男が、血気盛んな若者のような不敵な笑みを浮かべる。
「獲物は?」
「黒皇狼」
「ほう。大物だな」
二人は待っていた。
誰が聞いても名前くらいは知っているほどの、有名な大物の魔物の情報を。
「編成は?」
勝てる勝てないはさておき、魔物の討伐においては基本的に早い者勝ちである。
冒険者ギルドで討伐依頼として出され、既定のランクに達していなければ請け負うことはできないシステムではあるが、ギルドを通さず狩ることが禁止されているわけではない。
たとえば、ギルドを通さなかった者が「偶然遭遇して応戦、討伐してしまった」と主張してしまえば、誰も咎めることはできない。そもそもそれはギルドの規約違反ではないし、違法でもないからだ。
それに、冒険者ギルドに登録していない冒険者以外が仕留めることもある。
どちらも珍しいケースではあるが、なくはないのだ。
だから討伐すると決めたなら、支度と出発は急ぐ必要がある。
「黒皇狼なら、私や君が出るまでもないだろう。グロックを頭に、アインリーセとホルン、それとロロベルにも声を掛けたい」
リックスタインは、かつて相まみえた魔物を思い、討伐に向かわせる「黒鳥」のメンバーを選出した。
「ホルン?」
リーダーたるリックスタインの意見は絶対である。が、副リーダーは例外である。彼がいない間は彼女がリーダー代行を務めるのだ。
どちらも思考と判断には全幅の信頼を置いている。だからこそ意見のすり合わせもよくする。
リーダーの顔を立てるために人前ではやらないが。二人きりか、古参だけがいる時くらいである。
「あの子にはまだ早いんじゃない?」
依頼料を考えず困難な依頼を選ぶことが多いホルンは、今や「悪魔狩りの聖女」と呼ばれるほどの名のある冒険者となっている。
誰もがその実力を認めるところではあるが――しかしまだ冒険者として二年目の、まだまだ新人とも呼べる若者だ。大物とぶつけるには早いとアネモアは考える。
「いや、そうでもない」
リックスタインの不敵な笑みが、獰猛さを帯びる。
「アレはもう『黒鳥』で五指に入っている」
「まさか……」
「時折、稽古でグロックが負けるそうだ。私もアレとやる時は肝が冷える」
「黒鳥」は王都で抜きん出る冒険者チームである。
そのトップ陣ともなれば弱いはずがない。
特に戦闘力では一番に位置するリックスタインは「黒鳥」という括りがなくとも、冒険者界隈では最強だと言われている。
次点にいる双剣のベロニカ、短槍のグロックは、二位争いに切磋琢磨している。
リックスタインは、どちらかが自分を超えたら引退だな、と密かに決めているのだが……まあ、まだ椅子を譲ることはできそうにない。
ただ、今は違う者がその座を脅かし始めた。
そしてリックスタインは、それを是と考えている。
「ホルンに経験を積ませたい。アインリーセもな」
今ホルンに必要なのは、強者との戦闘経験だ。
まだ十七歳であの境地に辿り着いているという恐ろしいまでの才能を、磨かずにはいられない。
それにアインリーセは、すでにホルンの片腕となっている。
アレらは別々にするより、一組で考えた方がより大きな戦力になる。あのコンビが相手ならリックスタインでさえ勝てるかどうかわからない。
まあ何より、八割はホルンの面倒を見てもらう役目もあるのだが。
ホルンの実力と才能は誰もが認めるところだが、自由奔放さと問題児ぶりも誰もが認めるところなのだから。
「……まあグロックを付けるなら大丈夫かしら」
かつてはアネモアと二人で行動し、同じタイミングで「黒鳥」に入ったグロックという男は、とかく強い。彼が付くならまず安心だ。
「すまんな。また離れ離れにしてしまうが」
「何よそれ。もう若くないんだから、そんなにベタベタしないわよ」
ちなみにアネモアとグロックは恋人関係にある。更にちなみにリックスタインはすでに妻子持ちである。
早速メンバーの予定表と指示書を作り始めたアネモアに、リックスタインはまた堅パンを齧りながら問う。
「ライラはどうだ?」
「黒鳥」に在籍する魔術師は三人いる。
一人はアネモアで、もう一人は今は仕事で遠出している。
そして三人目は、最近入ったばかりの新人ライラである。
「そんなにすぐには変わらないわよ。でもがんばってるわ」
先日、新人ライラはリーダーに直談判した。
「まだ皆と一緒に行動できるレベルにない。しばらく訓練に専念したい」と。
リックスタインは「習うより慣れろ。訓練より実戦」という、古いタイプの武人である。
王都付近なら危険も少ないし、冒険者として働きながらメンバーから教わっていけば……と、思っていたのだが。
難色を示すリックスタインの代わりに答えたのが、アネモアである。
「同じ魔術師としてしばらく付きっきりで鍛えるから」と、期待の新人の育成に乗り出している。
まだまだ足りないものばかりだが、ライラはがんばっている。
厳しい訓練にも音を上げないし、学ぶ者としての真摯な姿勢には期待せずにはいられない。
「少なくとも、赤熊を一人で狩れるくらいは強くなりたいって」
「そうか。いい目標だな」
赤熊は強い。
だが冒険者としては、アレが狩れてようやく一人前だ。リックスタインもかつて自分が定めた目標もそうだったなと、懐かしき過去を少しだけ振り返る。
「――んんーっ! おはよー」
のんびりした時間は終わりを告げた。
内階段を昇った二階の自室で寝ていたのだろうホルンが、ぼさぼさ頭で伸びをしながら出てきた。
「おっさん、アインはー?」
厳しく厳めしく顔も怖いと言われる歴戦の戦士にしか見えない、大人でも声を掛けづらく、子供が見たら泣き出したりもするリックスタイン相手に、おっさん呼ばわりである。これがホルンである。これが。
「おはよう。まだ寝ているのではないか?」
二階の手すりから身を乗り出す生意気な小娘に、しかしもう慣れたリーダーは普通に答えた。そう、もう慣れたものだ。失礼で無礼な小娘にはもう慣れた。
「あっそー。――おーいアインー」
ノックもせず、ホルンはアインリーセの部屋に消えた。
「――にゃが!?」
と、突然猫のしっぽを踏んだかのような悲鳴が聞こえる。
「――うおー痛いー」
「――うっせえ。優しく起こせっていつも言ってんだろ」
何があったのかは知らないが、顔面にパンチでも食らったのか顔を押さえているホルンと、いつものんびり呑気に構えているのに珍しく非常に不機嫌そうなアインリーセが出てきた。
問題児が起きてきた。
今日も騒がしくなりそうだ。