63.メガネ君、ハイディーガでの生活が始まる
細い路地に入ったり、私有地っぽい場所を抜けたり、壁を駆け上がって乗り越えたり屋根に登ったりと、果たして道と呼べるものなのかわからない最短距離を走っている。
赤毛の女の子は道なき道を結構な速度で走り、俺を先導している。
方角的には、商店が並ぶ区画へと向かっていると思う。
そして程なくスピードがゆるくなり、商店街の片隅辺りで立ち止まる。
つまらなそうな顔で女の子は俺を見た。
「――なかなかやるじゃない」
はあ。そうですか。森を走るよりは楽だったけど。
「着いた?」
俺の質問に、目の前にある小さな店を指さした。なんの店だろう。見た感じ乱雑に色々置いてあるみたいだが。
女の子はその店に入る。俺も後を追い――
「――おかえり」
あ、いた。
およそ統一性のないガラクタのようなものが押し込められた店内、奥にある小さなカウンターに、何かを磨いている恐らく店員であろうおっさん。
気配が読めない、見た目は普通に一般人なのにやたら強い人が、ここにいた。
この感じは、間違いなく暗殺者関係の人だ。暗殺者の村にたくさんいた感じの人だ。
ということは、この店が今現在の暗殺者ギルドの窓口か。……やっぱり寂れてるんだなぁ。
「こっち」
特に挨拶を交わすこともなく、女の子は店員のおっさんの横を抜けて更に奥へ向かう。おっさんは女の子にも、一度も来たことがない新顔である俺にも視線を向けることなく、俺たちをそのまま通した。
狭い店内の奥へ向かうと――女の子は腰ほどの高さの棚を横にずらし、その裏に巧妙に隠されていた隠し戸を開けた。おお、こういうのもあるのか。
先も見えないほど暗い中を躊躇なく行き、俺もあとを追いかけると、背後で棚が音もなく勝手に戻ったようだ。見た目では全然わからなかった。こういう仕掛けって面白いな。
潜った時こそ身をかがめたが、そこから先は階段になっていた。
赤毛の女の子はいつの間にか用意したランプを手に、狭い階段を下る。
そして――
開けた場所に出た。
石造りのそこそこ大きな部屋で、テーブルや椅子といったものが置かれていた。
だが特徴的なのは壁に貼り付けられた大きな地図。ナスティアラ王国全土が精巧に描かれている。
間違いなく、暗殺者のアジト……いや。
普段日常的に使用していると考えるには、あまりにも物がなさすぎる。生活のための細々した物がない。
暗殺の仕事の時に使う拠点の一つ、かな。打ち合わせとか仕事前に集まるとか、そういうことをする場所ではなかろうか。
そして、そこには三人の人物がいた。
「――よっ、坊主」
一人は、昨日の夜に貧民街で接触した熟練の無宿者って風体のおっさん。
ただ今は伸び放題の髪を後ろにまとめ、擦り切れていたボロの服をそれなりに新しいものに着替え、多少こざっぱりしている。まあ多少の範囲だが。
「――へえ? これはなかなか……ふうん?」
露骨に品定めするように俺をジロジロ見ているのは、金髪の軽そうな若い男だ。なかなかかっこいい。軽薄そうだけど。……うん? この軽薄そうな声に憶えがあるような……どっかで聞いたかな?
「――……ルー……ルー……………ルー……」
…………
「幽霊じゃないから」
さらっと見たつもりだが、どうやら視線が釘付けになっていたようだ。凍り付いたようになっていた俺に、赤毛の女の子が囁いた。
そう、か。幽霊じゃないのか。
部屋の片隅に、薄ぼんやり光っている髪の長い女性がいるのだが……彼女の周囲には小さな青い光が漂い、漂っては周囲を回ったり回らなかったりと規則性のない動きをしている。
気配がないのもさることながら、見た目からして人間離れしていた。なんで光ってるんだあの人。しかも身じろぎ一つせず床の一点を見つめ、「ルー、ルー」って鳴くように呟いている。なんなんだあの人。
「危ない人なの?」
あまりにも幽霊っぽい。あまりにも人間っぽくない。
聞かずにはいられず聞いてみたが。
「よくわかんない。話したことないし。まあ見てる分には人畜無害みたいだけど」
見た目がすでに人畜無害じゃないんだが。
だが、まあ、害がないならいいか。不気味さがすごいんだけど、取り立てて気にしないようにしよう。……できるかな。すごい存在感だけど。光ってるし。
とりあえず、だ。
ここが案内の最終地点となるようだ。
「おっさん、やっぱり関係者だったんだ?」
まず、昨日会ったおっさんに聞いてみた。すごく浅い関係だがそれでも顔見知りがいるというのは心強い。
「ああ。貧民街でそれとなく情報収集と犯罪抑止、あと子供なんかの保護もしてる。でもって俺こそがかつて存在した狩猟ギルドの職員でもあるわけだ」
ははあ、なるほど。
「偶然声を掛けた相手が探している相手だったと」
ちょっと出来過ぎだな。そういうこともあるのかな。
「偶然じゃないだろ」
しかしおっさんは否定した。
「坊主は『それらしい人』を探していて、俺に声を掛けたんだろ? 無作為に選んだわけじゃねえ、ちゃんと候補者に声を掛けたんだ。当たる確率はそれほど低かねえぜ」
ああ、そう言われればそうかも。そういう考え方もあるか。
「でもここの責任者代理は俺じゃなくて、こっちの金髪でな。まずこいつに挨拶してくれるか」
と、おっさんは軽薄そうな金髪男に話を振る。そうか、年齢的にはおっさんの方が立場は上みたいに見えるが、そっちが責任者か。……代理ってことはちゃんと他にいるみたいだけど。
「初めまして、エイルです。暗殺者の村から追放されて来ました」
「聞いているよ。ずいぶん早くここに辿り着いたな。いやいや、今度の新人は優秀だ」
まあ気楽に行こうや、という言葉に甘え、ここからは気楽に接することにする。
「俺はロダ。表向きは二ツ星の冒険者だ。よろしくな、エイル」
ロダ。冒険者。よし覚えた。
「そこの汚いおっさんは、……さっき自分で言ってたっけ。知っての通り街での情報収集に務めているザントだ」
ザント。おっさん。汚い。よし覚えた。
「あっちの女は……まあ、必要になったら自分から名乗るから、あんまり気にするな」
幽霊っぽい女。保留。よし覚えた。
「で、そこのエイルの隣にいる赤毛は、君と同じ暗殺者候補の新人、リッセだ」
赤毛。暗殺者候補の新人。リッセ。一番苦手。よし覚えた。
「ロダ、私やっぱり納得いかないんだけど」
リッセは俺を指差し、不機嫌さも露に言う。
「なんでこんな素人が、私と同じ訓練を受けるの? 暗殺者は精鋭の集団、候補だってそれに見合い耐えうる素質と下積みが必要なはず。なのになんでこんな素人を」
今「こんな素人」って二回言ったな。まあまだ何も学んでいないのでその通りと言わざるを得ないけど。
「知らないよ」
だが、ロダの答えは非常に簡潔で軽薄だった。
「村から頼まれた。だから受け入れた。それだけ。理由なんてそれで充分だろ」
「それでいいの!? そんな簡単なことでいいの!?」
「逆に聞きたいね。なんの問題がある」
感情的になっているリッセに対し、ロダは軽薄だし冷静だ。
「仲間が預けたいって言っている。それをそのまま受け入れるのになんか問題あるか? そもそも俺たちは上下関係ありきの集団だ。上の命令は絶対だし、上がそうだと判断するなら理由だって上が考えているよ。俺たちが知る必要はない。
で? ほかに何かある?」
リッセは悔しそうな顔で俺を睨み、顔を逸らした。言っとくけど俺の意志はないからね。俺は村から追放された身で、俺が望んでここに来たかったわけではないからね。……どうせ激しく言い返されるだろうからやっぱり言わないでおくけど。
「――とまあ、そういうわけだ。エイル、君はしばらく俺たちの下で訓練を受けるになるから、がんばってくれよな」
こうして、ハイディーガの街での新たな生活が始まった。