59.メガネ君、ハイディーガに到着する
火の始末をして、最後の食料で作ったスープに水筒の水をぶちまけて乱暴に冷ますと、一気に口の中に流し込む。
狩場での食事はこういう時もあると師匠に教えられ、干し肉や野草は非常に小さく刻んで入れてある。あまり噛まずに飲み込めるように。
どうも大物みたいだ。
こちらに迫ってくる気配が異常に強い。
俺が出会ったことのない、覚えのない魔物の気配である。
それにまだ視界には入らないが、「暗視」で見ると、障害物を超えて大きな赤い光が見えるのだ。
魔物の前を走り、位置的には先に見えるはずの冒険者たちは、まだ見えないのに。まるで生き物としての強さの差を見せつけるかのように。
うーん。
どうも俺の手には余りそうだな。
手早く荷物をまとめて弓を用意し、背負い袋は背負っておく。
空蜥蜴を狩る時に調達した麻痺毒は、少しは残っているが……あそこまで巨体だと、さすがに量が足りないかもしれない。
弓でどこまでやれるか。
大物は弓ではなかなか狩れないのだ。どこに当てても致命傷が狙えない場合が多いから。
――ひとまずは、あの三人を逃がせば充分だろう。
狩る必要はない。
少しばかり魔物の相手をして、気を引くだけでいい。
走りながら考えていると、問題の三人が見えた。
「このまま走れ! 俺が気を引く!」
「――だ、誰だ!?」「――助けが来た!?」「――助かったのか!?」
三人には、しっかり俺の声が聞こえたようだ。まだ助かってないよ。俺はあいつ狩れないから。
息も絶え絶えっぽい三人の冒険者とすれ違うと――木々の隙間から大物の姿が見えた。まあ元々スカスカな林だけど。
「鉄兜……か?」
一言で言うなら、巨大な男。
まあ俺の倍はあろうかという背丈で、倍では効かないほどに筋骨隆々の身体だが。
サルのように全身が黒い短毛で覆われているが、見た目のシルエットは人間に近い。手が発達しているわけでもなく、木々に登ることもない。それよりはかなり剛毛な人間と言った方が、やはり近いだろう。
そして最も異様なのは、頭だ。
どこからどう見ても、立派な角の生えた牛なのである。
確か、図鑑では「遠方に生息する『ミノタウルス』という牛頭の魔物に酷似している」と書いてあった。
――そう。図鑑で読んだ。こいつは山の魔物だ。道理で大物だと感じるわけだ。
実物を見てより強く実感したが、やはり俺では勝てない。勝てる要素がない。
「ま、やるだけやって逃げるか」
俺はスカスカの印象が強い林に手早く仕掛けをし、木の影に隠れて一旦鉄兜をやり過ごす。
重量のせいで、あまり足は早くないらしい。
冒険者たちがギリギリ逃げられる程度の速度で、重い足音が俺の真横を通過する。
「――グモッ!?」
引っかかった。
鉄兜は狙い通り、身体を前方に放り出すようにしてすっ転んだ。
木と木にロープを結わえて張っていたのだ。たぶん鉄兜の脛辺りに引っかかり、奴は見事に足を取られたようだ。
人間らしいフォルムなら、やはりこういう原始的な罠も充分通用する。
この隙を逃さず、俺は頭から派手に倒れた鉄兜に走り寄り、頭部の目の前に陣取る。
横にして地面に激突したらしい牛の顔と、目が合う。
あっ、すごく澄んだ瞳……純粋でキラキラしてる。なんかすごく牛っぽい。人をまったく警戒してない、なんなら飼い主に可愛がられて育った牧場牛のようだ。
「グモオオッッッッ!?」
まあ、それでも撃つけど。
出し惜しみせず、数少ない鉄の矢を撃ち込む。
一発目は目に刺さった。
二発目は頬に。
三発目は――チッ。腕でかばったか。
どうやらここまでのようだ。
俺は鉄兜が立ち上がる前に木の影に身を隠すと、遠くへ向かって……ハイディーガとは反対側へ向かって、簡易鳴子を装着した木の矢を飛ばした。
「――グモオオオオオオオオオ!!!!」
鉄兜は、立ち上がるなり怒りの雄たけびを上げる。大気が震える。背にしている木さえ震えているかのようだ。遠くの鳥たちが羽ばたき、林がざわめく。
そして鉄兜は、俺が矢に付けた簡易鳴子――ロープに木の枝をくくり矢に結わえたもの――が地面を雑に鳴らして草むらに突っ込んだ音を追い、山の方へ怒り狂って走っていった。
息を吐く間もおかず、俺も静かにその場を離れた。
……ふう。急場しのぎとしては及第点かな。
鉄兜と遭遇した場所から街道へ戻り、今度は休憩を取らず、まっすぐハイディーガの街を目指す。
冒険者三人は、どうやらしっかり逃げたようで、影も形もない。
男二人に女一人という構成だった。
さすがに顔まで見ている余裕はなかった。たぶん向こうもそうだろう。会ってもわからないかもしれない。
――いや、そうでもなかった。
「鉄兜に追われてきたんだ!」
ハイディーガの出入口に立っている門番の兵士二人に、さっきの三人と思しき冒険者たちが訴えている。
うん、まあ、そうなると言えばそうなるか。向かう先が一緒だからね。
「追われてって、追いかけてきてないぞ」
話す冒険者の男の剣幕はすごいが、兵士二人の反応は鈍い。きっと眠いんだろう。俺もちょっと眠い。疲れた。
「誰かが割り込んだんだよ! 『このまま走れ、俺が気を引く』って言って! 今その人戦ってると思う!」
「助けにいかないと! あの人死ぬぞ!」
いや、行かなくていいよ。俺ここにいるから。
――まあ面倒臭いから言わないけど。
「すいません。入っていい?」
兵士たちに詰め寄る冒険者三人の横から、今のところ唯一の身分証である狩猟ギルドのカードを出して見せる。
「お、おいおまえ! 向こうから来たよな!? 鉄兜見ただろ!?」
「いや」
冒険者の男に詰め寄られたが、俺は即座に否定する。ごめん嘘だよ。しっかり見たし、意外にも純粋に見えた目と目が合ったよ。合った瞬間潰してやったけど。
「なんか吠えた声は聞こえたけど。怖くて逃げてきたからよくわからないよ」
「ほら見ろ! 声聞いたってよ!」
「わかったわかった。捜索隊を出す。おまえらもギルドに報告して指示を仰げ。――ああ坊主、今取り込み中だ。入街税を納めてさっさと入れ」
お、やった。簡単に入れるようだ。
こうして俺は、少々予定外のことは起こりつつも、無事ハイディーガの街に到着したのだった。