57.向こう側の事情 2
暗殺者の村のことを一任されている“霧馬”は、件の問題である“メガネの小僧”を「一時追放」という形で解決した。
まだ村での生活は始まったばかりだ。
今なら修正が効くと判断した。
これが半年が過ぎていたりすれば、生徒たちは自活する方法より、各々が見つけた修行に打ち込むという判断を下したかもしれない。
先は長い。
その意識があるからこそ、自分で自分の面倒を見ようと思うのだ。
果たして目論見は上手く行き、残った三人の行動は食料調達へと向かった。
それとなく村の子供たちがエスコートして、それぞれが上手いこと分散して、それぞれが教えを受けただろう。
この村の子供は、実技こそまだ仕込んでいないが、生まれながらに様々な英才教育を受けている。ただの子供ではないのだ。
そして――
「今日、初めてサッシュが獲物を取ったぜ」
“メガネの小僧”が村を出たその日の夜、“鉄牛”が“霧馬”の家を訪ねてきた。
この村では、師事や個々の築いた関係で、自然と村人が生徒の教官役として付くことがある。
どうやら“青髪”は“鉄牛”の管轄になりそうだ。彼が次のステップに進み、“鉄牛”が教えられること以外を望むまでは。
「早いな」
食べられる野草だの果実だの川魚だの地中に育つ野生の根菜や芋類だの、採り方だの食べ方だの、それらを習得して明日の食料に余裕が出てくるのは、早くとも三日は掛かるものだが。
そして、狩りをしなければ得られない動物の肉などは、それ以降からの挑戦になるから。
それも格段に難易度は高くなる。
採取と違って対象は逃げるし隠れるし、また牙を剥いたりもするのだから。
「ま、丸一日掛けて鳥一羽だけどな。本人も素直に喜べないって言ってたぜ」
それでも立派なものだ。
今のところ“青頭”にとっては比較対象が“メガネの小僧”しかいないから、狩りの成果としては少ないと思うかもしれない。
だが、まだまだ素人同然の不慣れな狩りで一羽狩れたなら、充分立派だ。
「どうもあいつ、これまで冒険者見習いとして雑用みたいなことはやってきたらしい。採取関係は元々できたみたいでな。だから今日から狩りに挑戦してみたってよ」
それにしてもだ。
「どうやって狩った? 確か練習用の槍を作ってやったとは聞いたが」
「その練習用の槍だよ。槍が届くところに鳥がいたから思いっきり突いたってよ」
そして、その訓練用の槍に交換条件として出していた「訓練の成果を見せろ」という約束を果たした。鳥一羽を狩り、見せに来たのだ。条件は充分満たした。
“青頭”で言えば、いくら早く動けようと正確に攻撃ができなければ、鳥を狩ることなんてできない。
その「正確に攻撃」という部分が、そのまま訓練の成果である。
武器は、慣れれば慣れるほど自分の身体の一部となっていく。正確無比にもなれば、物理的に考えて不可能な攻撃方法までできるようになってくる。
まあ、これからもっと伸びていくだろう。
伸びないでは困るという話でもあるが。まだまだ駆け出しである。
「女二人は?」
誰からも目立った報告がないので、特に何もなさそうだが。
まだ“メガネの小僧”がいなくなって一日目である。いなくなったその日である。そこまで劇的な変化はないのだろう。
そもそもが“青頭”の成果が意外だったという話なのだから。
「俺は聞いてねえ。しばらくは採取で忙しいだろうぜ」
そうであれば例年通りなのだが。
そんな話をしていると、“霧馬”の家に隻腕の男がやってきた。
「邪魔する」
勝手知ったる友人の家、ノックもせずに上がり込んだ男は“鉄牛”の隣の椅子に着く。
“石蠍”という男だ。
砂漠の民で非常に色が黒く、そろそろ初老と呼べる年齢となる。異国感があるものの、男の目から見ても影のあるなかなかのハンサムだ。
左腕を失ってそろそろ十年になる。暗殺者を引退した理由である。
「私のアサンが帰って来ない」
――この言葉を聞くのは何度目になるだろう。
「またケンカしたのか?」
「そう何度も契約してる動物とケンカするもんなのか?」
さすがに“霧馬”も“鉄牛”も呆れている。それはそうだ。こんなことが、もう百回は繰り返されている。
「いい女は気まぐれだ。特にアサンは難しいのだ」
そう、今回のケンカの原因は、“石蠍”の撫で方だった。
どうも彼女の気に障ったようで、“石蠍”を引っ掻いて家を出てから、もう何日も帰ってきていない。
「そのアサンだが、ガキどものところに入り浸ってるぞ」
“鉄牛”の言葉に、異国のハンサムは「そんなことは知っている」とすげなく答える。
「アサンは優しい女だ。そして思わせぶりな女だ。私に対する当てつけをしつつ子供たちの相手をしてやっているのだ」
「肉目当てでは」
「違う」
“霧馬”の言葉は、かぶせ気味に断固として拒否された。
「おまえの女、食い意地が」
「それ以上言ったら許さんぞハゲ」
「剃ってんだよこれは」
「ではヒゲをむしるぞハゲ」
「剃ってんだよ頭は。ヒゲ触ったら殺すからな」
判明である。鍛冶場のオヤジはハゲではなく剃っていた。割とどうでもいい。
「前から言おうと思っていたが、おまえの構いすぎが度重なる彼女の家出の原因じゃないか?」
「なぜだ。こんなに愛しているのに」
その愛が重いのだろう。面倒臭いのだろう。
だいたい愛じゃなくてもすでに“石蠍”自身が非常に面倒臭いのだから。四六時中一緒にいる者が面倒臭くないわけがないと思うが。なまじいい男だけに執着具合に変態度が強く感じられるし。とかく面倒臭いし。
「わかった。アサンには一度家に帰るよう言っておく」
「頼むぞ“霧馬”。私より貴様の言うことを聞くのは理解できないが、私はアサンが戻ればそれでいい。許す」
許すも何もないと思うのだが、細々したことを言い出せば切りがないので、そこそこで流すのが彼との上手い付き合い方だ。
ちなみに彼女、「アサン」という気まぐれで難しくて優しくて思わせぶりないい女は、今は土台無理な「猫」と呼ばれているのだが。代名詞の多い女である。
「ああ、来たついでに聞きたいのだが」
いずれ判明するとは思うが、“石蠍”が目の前にいるのだ。聞いておいていいだろう。
「“今度の忌子”はどうだ?」
まるで恋人のことを嘆くように、落ち着き払った大人の一喜一憂に忙しかった“石蠍”は、打って変わって「うむ……」と考え込む。
「魔獣使いの素養」を持つ“石蠍”は、動物や魔物を使役することができる。
その彼から見て、“今度の忌子”は、同じような才覚を持っているのかどうか。
世間には知られていないが、何万人に一人生まれる忌子と呼ばれる人間は、なぜだか珍しい素養を持っていることが多い。
それも、「支配系」という、遠い意味では“石蠍”に近い「何かを統べる力」だ。
なぜ世間には知られていないのかと言えば、忌子はこれまでは風習や偏見により、生まれてすぐに殺されるケースが多かったからだ。
平和が長く続いているナスティアラでは、ようやく忌子も一人の人間として育てるよう国から強く推奨され、いまだ見た目の差異による偏見や差別はあるが、育ってきている。
つまり、選定の儀式まで生きていなかったことが多かった。
元々生まれる確率も低いので、「忌子の素養」に関しては、まだまだ前例も少ないのだ。
そして、更に言うと。
人間が持つ「素養」は、一つとは限らない。
多くの者が一つだけだが、それこそ何万人に一人は二つ持っている場合がある。
その上、数少ない前例しかない忌子の場合は、多くが「二つ目の素養」を持っていることがすでに判明している。
記録上は、十三人に十人は二つ目が判明している。
ここまで多いと、もはや残りの三人は「二つ目の素養はあるけど発見できなかった」と考えることさえできる。
つまり、「忌子は必ず二つ持っている」と、言えるかもしれないのだ。
ただ、通常の方法では……成人の儀式で触れることになる水晶「選定の石」では、一つしか表示されない。
だから“今度の忌子”の「二つ目の素養」は、早めに把握しておきたい。
「素養」とは不思議なもので、ある程度の年齢になって突如発生することがある。
とある研究者の話では、遺伝より、小さな頃からの教育方針とその子の思想で「素養」という才能が確立するのではないか、という仮説を立てている者もいる。
いずれ判明するとは思うが、できれば早めに知っておきたい。
「見た感じでは、見込みはある気がする。だがアサンの懐き方が知っているものとは違う」
つまり、“今度の忌子”は、少なくとも「魔獣使いの素養」ではない可能性が高そうだ。だが「支配級」の見込みはあると。
「支配級」は、かつて国を興してきた英雄たちが持っていた「素養」である。その力は巨大で、権力者なら誰もが欲しがる。
当たりはずれで言えば、一等を超えた「特等大当たり」である。
「わかった。引き続き注意して見ていてくれ」
“メガネの小僧”がいなくなって、一日目。
村はようやく、例年通り正常に動き出していた。