55.メガネ君、宣告を受ける
「――元気でな、エイル。これ餞別」
と、サッシュは小瓶を差し出した。
見覚えがある。
これは肉に振りかけるとうまい調味料だ。ピリッと辛くなるやつだ。
ちょっと珍しくて値が張るもので、彼は「俺の持ち物で一番高価だと思う」と言っては、肉を食いながら眺め、使いもせずに後生大事に持っていた。
「ちょっと賞味期限が怪しくて変な匂いしてるけど、味は大丈夫だったから」
何気にサッシュは、少し高いものはもったいなくて食べられないまま食べ物をダメにするタイプみたいだ。その気持ちは少しわかる。俺も何度かダメにして、そして姉にも食われたりして、その辺の後悔から好物は先に食べるようになった。
それにしても、この調味料。受け取ったはいいが……
食べたら腹が壊れるかもしれないけど、うーん、大切な調味料だし……うーん……捨てるか使うかは保留にしておこう。火を通せばいけるかもしれないし。
「――達者でな。これはうちからの餞別じゃ」
と、フロランタンは木彫りの像を差し出した。
見覚えがある。
これは、ついに完成してしまった可愛い邪神像だ。間違いなく邪神の像だ。もう(仮)とか付けない、付けることができないほどに完成された邪悪な存在だ。
「帰りを待っとるぞ、肉の人」
肉の人って言うな。
あと邪神像はいらな……いや、道中で供養しておこう。これはこの世にあってはいけない存在だとしか思えないから。あっ触りたくない。一気に荷物袋に放り込んでおく。
「――いってらっしゃい。私からはこれを」
と、セリエは首に掛けていたペンダントを外し、俺の首に掛けた。
見覚えがある。
見た目は粗末な木の札に革紐を通しただけのものだが、先日の雨の日、魔法のあれこれを聞いていた時に見せてくれたセリエのお守りだ。
俺たちが初めて出会った馬車の事故で、軽症で済んだのはこれのおかげだとセリエは言っていた。
「貸すだけですからね。返してくださいね」
木の札の裏側には、彼女が子供の頃に初めて描いたという魔法陣がある。
父親……ワイズ・リーヴァントと一緒に作った思い出の品だそうだ。時々魔力を吹き込んでは効果を持続させているらしい。
効果は弱いものの、外敵からの攻撃を防ぐ魔法陣なんだそうだ。
だから馬車の事故で大怪我しなかったのはこれのおかげ、という彼女の話もあながち間違ってはいないのかもしれない。
何せセリエは、あの事故で馬車から放り出されたと聞いたから。だよね。そうじゃないと馬車の下敷きにはならないよね。よく軽症で済んだなと改めて思った。
賞味期限が怪しい調味料、本当は持ち歩きたくない邪神像、お守りを選別に受け取り。
「じゃあ行ってくるね」
心がこもっているのかいないのか非常に微妙な餞別を受け取り、俺は暗殺者の村を後にするのだった。
事態が大きく動いたのは、昨夜である。
「……ふう」
苦労の末にようやく出来上がった風呂から上がり、更衣室で下着だけ履いて表に出た。
ちょっと熱めの湯で、茹だった身体に夜風が気持ちいい。
やはり風呂はいい。
作ってよかった。
これから毎日入れるんだなーと思いつつ頭を拭き、何となく空を見上げていると、
「エイル」
誰かが声を掛けてきた。
気配はなかった。足音もなかった。
本気でかなり驚いたが、傍目には平然としていたかもしれない。そういう訓練もしてきたから。狩場で平常心を失えば命に関わると散々教えられたから。
「御者のおっさん?」
誰かと思えば、見覚えのある顔である。名前は知らない。特徴らしい特徴もない、普通の村人に見えるが。
でも、やはりこの人も、きっと暗殺者なんだろう。
「話がある。服を着たら俺の家に来い」
言うだけ言うと、俺の返事も聞かずにおっさんは行ってしまった。やはり足音もなく、夜でも鮮明に見えるはずの「メガネ」でさえおっさんの後ろ姿を追うことはできなかった。
これがサッシュ辺りの言葉ならすっぽかすことも考えるんだけど、これはきっと大事な用事なんだろう。
というか、すっぽかしたら夜中部屋までやってきそうだ。あんな心臓に悪いおっさんが忍び寄ってくるなんて冗談じゃない。寿命が縮む。
ここは大人しく従っておいた方がいいだろう。
「猫が付いてきたんだけど」
なぜだか寮付近にいることが多いあの巨大猫が、移動する俺の後をついてきてしまった。
「そいつは気にしなくていい」
御者のおっさんは俺と猫を家に招き入れると、ドアを閉めた。
「一度聞こう聞こうとは思ってたんだけど、結局これって猫なの? 猫じゃないよね?」
というか、猫であるはずがないよね。猫の基準に当てはまってないもんね。大きさが。
おっさんは平然と答えた。
「砂漠豹という魔物だ」
衝撃の事実である。
猫だと思っていた生き物が魔物だったとは。
……いや、そうでもないか。冷静に見れば絶対に猫じゃない、ただの危険な肉食獣だ。見た目からしてそうだ。むしろなぜ猫と断言できたのか。そっちの方がおかしい。
「村にいる者が契約し、使役している。よほど怒らせなければ人は襲わない」
契約と使役。ほう。そういうものもあるのか。というかやっぱり実家があるんだな。こっちに入り浸ってないでそっちで暮らせよ。
その、猫……じゃなくて砂漠豹は、興味なさそうにその辺で寝転がった。よく寝るもんだ。猫みたいだな。猫じゃないことがはっきりしたけど。
「むしろなぜ猫と呼ぶ? どう見ても猫じゃないだろう」
それは女性陣に言ってほしい。俺は猫だとは思ってなかった。彼女らが固持しているだけだ。
勧められるままテーブルに着き、向かいにおっさんが座り。
「エイル。おまえは村から出ろ」
それはそれは単刀直入に通達されたのだった。