54.メガネ君、魔法を見せてもらう
湯舟が完成したと聞き、セリエも急いで「劣化防止の魔法陣」を完成させた。
元々、魔法を使うことを目的に無駄に念入りに描いていただけであって、魔法陣を完成させるだけなら本当に簡単だったみたいだ。
だが、問題は翌日起こった。
「――雨か」
降り出したのはいつからか。
たぶん夜の内だろう。
豪雨とは言わないが、決して小雨とも言えない雨が降っていた。
寮組四人は、朝も早くから狭い出入口に集まって、まだ陽が昇っていないのだろう暗い空を見ていた。
止む気配は一切ない。弱まることもない。
なんなら何日かこのまま降り続けそうな気さえしている。
あと、ドアを開けるなり、木の下で雨宿りしていた猫が避難してきた。そして俺たちの後ろにいる。毛づくろいしている。自分の家に帰ればいいのに。絶対どこかの飼い猫だろ。猫じゃないが。
ここしばらく雨は降っていなかった。
だからこのケースを失念していた。
雨が降った場合をまったく想定してない生活をしていた。
この寮には、台所がない。
だから外に焚火を用意し、簡易的ながら座ったり料理したりする作業スペースを作っていたのだ。
いや、正確には、「作っていた」というよりは「作るしかなかった」のだが。だって普通に台所や生活スペースがないのだから。個室? ベッドもないようなただの寝るだけの部屋だよ。しかも狭い。
「腹が減ったのう……」
フロランタンは己の空腹に嘆いている。
捨てられた廃村かってくらい人の姿がない村は、やはりこの村も、雨の日は全面的に仕事などはお休みになるようだ。
ただ、俺たちにとっては、……いや、生活という日常面においては、休みなんてあるわけがない。
何もしなくても腹は減るし、食えば食料は消耗するし。
働かないと糧は得られないし。
そもそもを言えば、このままでは火が使えない。火を通さなくても食べられる物を食うしかない。
だが、ここのところ肉に困らない生活をしている俺を含めた四人が、我慢できるとは思えない。俺は我慢できない。なんならその辺の家へ向かい台所を借りたいくらいだ。
「お風呂が……」
セリエは、今日の予定を嘆いている。
鍛冶場のおっさんに頼んだ湯舟は、今日取りにいく予定だったのだ。
昨日は報告を聞いたのが夕方で、風呂だけ設置してもすぐには入れない。俺はあまり気にしないが、やはり女子がいるということで、脱衣所だの目隠し用の仕切りだのが欲しいということで、今日を含めて何日かで一気に風呂場を作るつもりだったらしい。
「訓練が……」
サッシュは訓練ができないことを嘆いている。
だが彼の予定は、今日は風呂場作りの手伝いという約束はすでにしてある。雨が降らなくても訓練はできなかったと思います。……いやできるか。風呂場作りの作業のあとにやればいいのか。
「…………」
俺は……離れた狩場の様子見もだいたい済んだので、そろそろ村の人に師事しようと思っていたところだ。
今日から数日は風呂場作りに費やすので、その前に先に交渉だけしておこうと思っていたのだが。
うーん。
今日は無理かな。
ちなみに、風呂場作りは全員の予定を押さえてある。こういう時のための肉の貸しである。誰も文句は言わなかった。まあ元からそんなに反対も反発もなかったけど。「作るの? 手伝い? いいよ」的な軽いものだったが。
だが、どの道このまま見ているわけにはいかない。
何かしてもしなくても、腹は減るのだ。俺も腹が減っている。何か食べたい。
「――じゃあ俺は行くね」
「「待て」」
雨の中を飛び出そうとした俺を、チンピラとボスの娘ががっちり止める。なぜだ。襟を離したり腕を離したりしてほしい。
「どこに行くんだ?」
「うちの肉をどうする気じゃ」
うん、特にフロランタンには色々言いたいが、それはいい。
「一番大きな家を訪ねて台所を借りようかと」
「「行こう」」
うん、君らには色々言いたいけど、無駄だろうからもういいや。
「セリエ、一緒に行く?」
「あ、はい……お風呂に入りたかったですけど……」
それは俺も同じ気持ちである。
「でも、その前にちょっといいですか?」
ん?
セリエの話を要約すると、「雨避け」なる魔法陣があるらしい。
「これです」
その辺の石をいくつか拾っていたようで、セリエはポケットから取り出した石に魔法陣を「スタンプ」した。まあ傍目には一瞬で描かれたようにしか見えないが。
そして、それを差し出す。
持って外へ出てみろと言われ、言われたとおりにしてみた。
「あ、すごい」
確かに雨を弾いている。
足元は濡れたが。
……ぬかるんだ地面や、一度地面に当たって跳ねた水は防がないみたいだ。
でも、上から降ってくる雨は、俺の周囲にある見えない壁に当たって、弾かれている。
「レインコート状の雨避けになります。上からの少量の水は防ぎますが、大量の水や下からの浸水などには対応できないのでご注意を」
へえ。
欠点みたいなものはあるようだが、それでも充分便利だ。魔法ってすごいんだな。だよね。いつか誰かがやった赤熊を撫でたようなやつばかりじゃないんだよね。
「これがあれば作業もできるんじゃない?」
見た感じでは、「雨避けの魔法陣」は簡単に作れるみたいだし、これを持っていれば風呂場作りもできそうなものだが。
「いえ、足場が悪いのは変わりませんし、建設中の事故は大怪我にも繋がりかねません。大事を取った方がいいと思います。怪我もそうだし、身体を冷やして風邪でも引いたら、それこそ予定に響きます」
それもそうだ。
食料のストックもそれなりにしているので、二、三日は狩りに出なくても大丈夫だ。今日のところはゆっくりしてもいいのかもしれない。
「にしても、結局どっかの台所を借りるのは、急場凌ぎにしかなんねえよな。風呂場よりそっちを優先するべきかもな」
あ、サッシュがまともなこと言った。珍しい。
「雨避けできる小屋みたいなのがあったら助かるよな。いっそ台所を作るって手もありかもしれねえし」
その通りだと思う。
雨が降るたびに、ここでの生活がストップするのでは話にならない。
「そがなもん肉を食いながら話せばええわ。うちは腹が減った」
フロランタンがずいっと雨の中に踏み込むと、そこにいた俺の腕を掴んだ。
「行こう、肉の人」
うん、本気で色々言いたいけど、とにかく君までその名で呼ぶな。
跳ね上げる泥も高らかに、勢いよく強襲……もとい訪ねた家は、たまたま御者のおっさんの家だった。
台所を借りる代わりに馬小屋や牛舎の世話をし、朝から昼飯まで食べて寮に戻った。もちろん夜の肉はすでに焼いてある。
それから、いい機会とばかりに、四人でこれからの予定を話す。
なぜか俺の部屋に集まって。
猫もついてきて。
……ただでさえ狭いのに、四人も集まり、しかも猫まで入ってとても狭い。
窮屈な空間の中、主な話題は、風呂場作りや台所作りのことだった。
建材がどうだのという具体的な話である。
が、俺が「村の魔術師なら魔法で建材も用意できるんじゃないか」と言ったら、話が終わってしまったが。
魔法は便利だ。だから、まず村の魔術師に相談することにしたのだ。
話すだけならタダだし、もっと有効な手段があって知恵を授けてくれるかもしれないし。
なお、セリエも土属性の魔法で建材らしきものは作れるが、何か月も耐えるほどの強度はないから無理だと言っていた。
あとはだらだら過ごし、俺は――
「魔法について教えてほしいんだけど」
俺は、セリエが使う魔法に興味津々だった。赤熊の散髪にはまったく興味が湧かなかったが、この女の子の魔法は素直にすごいと思うから。
「いいですよ」
どうせ魔法を使わないといけないので、というセリエは快諾し、いろんな魔法を見せてくれた。
そしてぐったりしたので、寝ている猫の横に転がしておいた。……本当に狭い部屋だ。
雨は、翌日には上がった。
予定通り、セリエに指示を出した魔術師に相談すると、「木材を建材にするなら少し手伝ってやる。乾燥と防腐防水はしてやるから自分たちで用意しろ」と言われ、木を切ることにした。
本来なら、伐採した木は水分を抜いたり防腐防水加工をしたりとすぐには使えないのだが、魔術師はすぐに使えるように処理してくれると約束してくれた。空蜥蜴の肉と交換で。
フロランタンの大活躍でさっさと建材を作ると、前もって相談しておいた鍛冶場のおっさんに台所と風呂場の設計をしてもらい、ついでに現場監督も頼んで手伝ってもらった。ちなみにおっさんはウサギの肉が好きらしい。
そうして、総出で作業を始めて早二日。
ついに風呂場と台所が完成したのだった。
――なお、俺が完成した風呂や台所を利用できたのは数えるほどしかなく。
――その次に使うのは、しばし先のこととなる。
「エイル、おまえは村を出ろ」
と、そんなことを言われてしまうから。