50.メガネ君、法陣魔法の話を聞く
決まったはいいが、その前に一つだけ確認しておきたいことがある。
「この村、風呂ないの?」
俺の育ったアルバト村には、村人全員が使える小さな共同浴場があった。何日かごとに湯を張って入っていた。
俺の場合は、狩人仕事の関係で逃すことも多かったけど。入れる時間帯に間に合わないとか、間に合ってもすでにお湯が冷めていて水だった、なんてよくあったっけ。
王都にも、お金を払えば使える民間の大きな風呂がいくつかあったのは見ている。
いわゆる大衆浴場というやつだ。
そう言えば混浴なんてものもあった。男と女が一緒の風呂に入るというアレである。
でも冷静に考えると、入ってくる人を選べないんじゃなぁ。何がとは言わないが、リスクが大きいんじゃなかろうか。何がとは言わないけど。
色々考えてたら、「ジョセフの店」のあの人の顔がチラついてきて、なぜだか寒気がしてきてそれ以上の思考は拒否した。断固拒否した。強い意志で拒否した。
宿に風呂があるのは、実は結構珍しかったらしい。料金の高い宿にしか許されない贅沢なサービスという感じで。
やっぱりアレだね。
どことも知れない田舎から出てきた馬の骨みたいなきったない村人が、城のお偉いさんに会う前に、せめて身綺麗にして小綺麗になってから来いと。暗にそういう意図があってあの宿に押し込められるんだろうね。
「この村にもお風呂はあるみたいですよ。でも、利用するなら毎回何かを出せと言われまして」
あ、そう。
ここでも、アルバト村みたいに利用できる日時が決まっているのかな。しかも何かを渡さないと……入浴料的なものを取られる形になるわけか。
「長期的に見ると、もう自分たち用の風呂を作った方が得だって話か」
「そうです。自分たちで用意してしまえば、好きな日、好きな時間に入れますからね」
なるほど。
このままだと、村の風呂を利用するなら毎回細々したものを貢がないといけない。
細々したものだって、数が嵩めば大した量になる。
仮に、これから一年間利用することを考えると、もういっそ自分たちで作った方が安上りだろうと、セリエは考えたわけか。
「――あと丁度いいんですよ」
ん? 丁度いい?
「どうせ何日か限界まで魔法を使わないといけない身なので、この際魔法でお風呂を作ろうかと思いまして」
……魔法で? できるのか?
セリエからざっくりした方針を聞くと、一言で言えば「法陣魔法を使います」という話だそうだ。
「まず私の話です。私は『法陣ノ魔術師』という『素養』を持っています」
おっと、いきなりするっと「素養」を明かしたな。その手の話は基本的に言わないし聞かないのが常識なんだが。
まあ、セリエの場合は、元から魔術師だということはわかっていたけど。
法陣か……というと、あれか。
「魔法陣とか、そういうのだよね?」
魔法関係は全然知識にないが、それくらいは俺にもわかる。何ができるかは知らないし、普通の魔術師との差異もわからないけど。
「ええ。簡単に言うと、『魔法効果が持続する魔法陣を形成する魔法』となります。とは言え、たとえ『法陣魔法の素養』がない普通の魔術師でも、できることはできるらしいですが」
セリエの話では、いくつかの魔法の系統があり、自分の素養はその一つである「魔法陣に才能がある素養」、ということになるらしい。
少し詳しく聞いてまとめると、たぶんこうだ。
簡単に言うと、セリエはいろんな系統の魔法が50の力で使えるけど、「才能のある法陣魔法」なら100の力で使えるとか、そういう話みたいだ。
魔術師は、使える魔法の向き不向き得手不得手が非常に激しいが、本当に一系統しか使えないって人は少ないそうだ。
セリエで当てはめるなら、今のところ「法陣魔法」と「通常魔法」の二系統が使えるってのは露呈している事実になるのかな。
あの回復の奴とかは通常魔法らしいから。通常魔法系統の回復属性になるんだとか。
「何やらややこしいのう。うちはようわからん」
微妙に話について来れていないのだろうフロランタンは、立ち上がると猫を撫でに行ってしまった。猫じゃないけど。
まあ、風呂に関してノリ気じゃないあいつのことはほっとくとしてだ。
「セリエの『素養』はだいたいわかった。それで風呂を作る具体的な方法は? 俺は何をすればいいの?」
フロランタンじゃないが、ここまでで大事な話は一切されていない。
魔法には興味ない……とは言わないけど、今はいいかな。まだ昼だし、ほかに優先したいことがたくさんある。話を聞くだけなら夜でもいいわけだし。
「鍛冶屋さんには行きました?」
今朝行った。
「湯舟を作る交渉をしてほしいんです。一度に入れるのは一人でいいので、小さめで、こう――」
セリエは地面に、上が開いた長方形の箱の絵を描いた。
「こんな感じの入れ物を作っていただければ。材質は鉄……の方が早いでしょう。特に厚みもいらないし、お湯が漏れなければいいです。特別な細工もいりません」
ほう。
「鉄製でいいの? 錆とか出ないかな?」
「『劣化防止』の魔法陣を敷きますので、魔法効果がなくなるまでは大丈夫です。なくなったらまた掛けなおしますから」
あ、ここでセリエの「素養」が繋がるのか。
「ついでにこんなものも作れたりします」
と、彼女は拳大の石を取り出し、俺に差し出した。
「ん? ……あったかい」
思わず手に取ってみれば、非常に暖かかった。体温よりも暖かいので、セリエの熱が移ったというわけでもないだろう。
パッと見、何の変哲もない、その辺に落ちている石である。
何気なく裏返すと……あ、魔法陣が描いてあった。ゆったりと鼓動を打つように薄緑色の光が明滅を繰り返している。
「こういうものを入れれば、お湯を張る必要はありません。張るのは水でいいんです」
ああ、なるほど。
そうだ。村では風呂の準備が大変だったから、何日かに一度しか用意されなかったのだ。大人の男たちが当番制でがんばっていた。
だが、湯を張ったところでいずれ冷めるし、入れてすぐは非常に熱い。年寄りどもしか入れないくらい熱い。そして年寄りは風呂が長かった。
風呂周辺はいろんな問題があったせいで、何かとバタバタしていたなぁ。
「つまり維持と管理と利用も簡単だ、と」
「はい。それらは私が担当します。代わりにエイル君は私の食糧問題を担当してください」
そう来たか。
自由に風呂に入っていいけど、代わりにそこを管理しているセリエの食事は面倒を見ろ、って話か。
さっきは自給自足の法則を無視したと思ったが、むしろそれ込みで話を進めるつもりだったわけだな。ようやく納得できた。
「それでいいよ」
知恵を使うのも、自給自足のやり方である。
セリエの言い分を言い換えるなら、風呂回りの労働をするから代わりに飯よろしくってことだ。
どうせ村の風呂を利用するなら、何かは必要になるのだ。
ならばその分をセリエに渡すと思えばいい。
利用できる時間はある程度限られるだろうが、時間内ならいつでも入れるし湯の温度にも困らないというのは、非常に嬉しい。
村の風呂を使うよりは、セリエの方を利用した方が利点が多い。
何より一人で風呂に入れるってのがいい。
アルバト村ではそういうわけにいかなかったし、王都の宿ではとても快適だったことを知っているから。ああいう一人でのんびり入れる風呂は、とてもいいと思う。間違ってもジョセフ的なクネクネしたおっさんが入って来そうな風呂には入りたくない。
これはもう、迷う必要はないだろう。