463.バルバラント王国の騒動、深夜帯 10
ガラスが割れた現場らしき場所には、すでに騎士たちや要人、使用人たちが集まっていた。
「――外側から割れています。ここから侵入した者がいるかもしれません」
「――近くに不審な気配はありませんが……」
廊下の奥から、そんな声が聞こえる。
場所が場所なので「縄張り系の素養」を持つ者がいる可能性が高い。
エイルはやや遠くから、現場に目を凝らし耳を澄ませている状態である。
「近くを探せ。カギの掛かっている部屋にも入っていい、ここら一帯を徹底的に調べろ。――君は私の部屋の前で見張りを頼む。もし侵入者がいたら私の部屋に来るかもしれん」
「わかりました!」
身形のいい青年の命を受け、騎士が一人離脱していった。
「団長、他の階の騎士たちにも探索するよう命じてくれ。それと外の様子も気になる、兵士長から報告を持ってきてほしい」
「はっ!」
勤務中の騎士の中で唯一兜をかぶっていない、壮年の男が足早に去っていく。
「フレオは……探索に協力を」
「私が一緒じゃなくてよろしいので? ダスティ様は?」
「――私は兄の部屋に退避しているよ。そこなら逆に見つかるまい」
確かに暗殺者側とすれば、標的が自室にいないどころか、雇い主の部屋にいるとはなかなか考えないだろう。
(――聞かれてたら一緒だけどね)
エイルの耳にはしっかりと届いている。
この騒動の主である、第二王子ダスティオーブの存在を確認した。
そして、フレオと呼ばれた神職っぽいローブ姿の男が、恐らくは「縄張り系の素養」の持ち主だろう。
(――とりあえずは)
エイルは踵を返し、また走り出した。
今最優先で狙うのは、この階以外へ向かった壮年の騎士である。
ガラスの割れた場所に集まった後、バラバラに動き出したのは好都合。
それも、部屋の一つ一つを調べるという、一人もしくは二人組がわざわざ死角に入ってくれるという、ありがたい状況だ。
壮年の騎士を始めとして、次に「縄張り系」と思しきローブの男を仕留め、それからは近い者から流れに沿って倒していく。
その途中、第二王子の部屋の前に見張りとして立っている騎士を寝かせ――
(……あれ? 今いるかな?)
どうも、部屋内に誰かがいるようだ。
もしハイドラだったらアレなので、邪魔しないよう「魔鋼喰い」で鎧の可動部を細工し、この騎士は立ったまま寝ている状態にしておく。
これなら、もし遠目で誰かに見られても異常はなさそうに見えるだろう。
あまりいじりすぎると痕跡が残るので、ちょっとした振動で倒れる程度にしておいた。
――こうして、残しておいた最後の一角を攻め落とし、エイルは騎士百人余りを全員始末するのだった。
「……どうしよう」
そして、そのまま流れで第一王子の部屋に向かい、ついつい第二王子も倒してしまった。
自由にさせておいたら、取り返しのつかないような余計なことをしでかさないとも限らないので、念のためである。
この手の騒ぎは、失敗すれば首謀者は処刑になる可能性は高い。
騒動の結末を諦めた第二王子が、服毒自殺などをする可能性もある。
やったことの責任は問われるべきだろうが、それはすべてをつまびらかにしてからの話である。やりっぱなしで勝手に逃げられては困る。
とは思うが、エイルはここまでやれると思っていなかったので、やってから困っている。
これで恐らく、唯一触れなかった第二王子の室内以外は、バルバラント王城内のすべての人を寝かせたことになる。
フロランタンの合図の方が絶対に早いと思っていただけに、妙な間が――
ドォォォオォォン!!
間が開いたというよりは、どうやらちょうどよかったようだ。
ここら一帯の地面が揺れたかのような轟音は、きっとフロランタンの合図である。
(……まあ、一応)
眠らせた第二王子は、誰からも見つけやすいよう、廊下に出しておくことにした。
「――さてと」
まだ計画の動きはあるのだが、ここでエイルの出番は終了である。
活動時間こそ短かったが、思いっきり神経をすり減らすような仕事と、心臓にナイフが刺さるなんて予定外にも程がある事態にもなったので、かなり疲れている。
おまけに「素養」の枠も一つ埋まってしまったので、これ以上の活動は難しい。
(疲れたね。帰って寝ようか、ネロ)
あとは仲間たちがどうにかする。
彼らの実力は知っているだけに、疑う気にさえなれない。
きっと寝て起きたら、この騒動にも、決着がついているだろう。
結果はあとで聞けばいいので、撤収の合図に従って、大人しく帰ることにした。
このバルバラントに到着してすぐ街中を歩いて、至る所に「聖剣創魔付きのメガネ」を隠してある。
片方の「素養」が埋まっているので、もう少し近づかないと有効範囲に入らないが……城壁の傍から瞬間移動して、なんとか城下町に脱出した。
――こうして、仮面の侵入者はバルバラント王城から姿を消したのだった。
バルバラント王城――どころか、城下町中に響く振動と城壁が粉砕された音に、国民たちは何事かと起き出し、夜中にも拘わらず外へ様子を見に出る。
まるで落雷でもあったかのような音だった。
今にも内乱が起こりそうな物々しい雰囲気だったが――それでも、確かめずにはいられなかった。
何せ、それ以外が、あるいはそれ以降が静かだからだ。
武器が打ち重なるような金属の音もしないし、雄叫びや悲鳴というものも聞こえない。
だからこそ、余計に気になった。
最初は窓から外の様子を伺っていた国民たちは、想像していたような闘争の姿がないことを確認し、恐る恐る外へ出て――
「――王子だ! 第一王子が帰ってきた!」
誰かが叫んだその声に導かれるようにして、一人、また一人と、大通りへと集まる。
まだ空も暗い大通りには、入り口からまっすぐ王城に続く大通りに添って、煌々と照らす照明が続いていた。
そして、その大通りのど真ん中を、第一王子アシックザリアが歩いていた。
第二王子ダスティオーブに追われて、バルバラント城を追い出されたと噂されていた彼の者。
王族を、王子を見たことがない者でもわかる、気品に満ちた顔立ちと身形は、誰が見ても高貴さを感じさせる。
武力を率いての内乱が起こりそうな雰囲気こそあったが、予想に反して、彼は二人の従者を連れているだけである。
次々に国民が大通り沿いに集まり、王城へと向かう道を誰憚ることなく歩む第一王子の姿に目を奪われる。
――何が起こっているかはわからない。
――だが、この国にとって無視できない……バルバラントの歴史に記されるべき出来事が、今目の前で起こっている。
状況がいまいち理解できないだけに、掛けられる声もあまりない。
だがその堂々たる姿は、一国の主の凱旋のようである。
そして、自分たちの王になるであろうと自然と思わせる次期国王の歩みを、ただただ貴いものとして見守るのだった。
王城の前で、王子たち一行にサッシュ、ハリアタン、リッセが合流した。
城門を制圧し、そのまま待っていたのだ。
門番ほか、主立った兵士たちは、彼らの手ですでに倒してある。
城壁が崩れた一角には、シュレンの足止めで、多くの兵士がその場から動けずにいて――
実はその中に、マリオンも混じっていたりする。
兵士に化けているだけに、兵士たちの動きに合わせて行動していた結果、シュレンに捕まったのである。
が、まあ、そういう発覚していない巻き込まれ事故はさておき。
とにかく、邪魔する者のいない王城への帰還は、無事に果たされた。
城内も静かなものである。
物陰などに隠してはあるが、よく見ると倒れている騎士たちらしき姿も見られるが。
一行は、そのまま玉座の間へと向かう。
ここで示すべきは、その座に誰が相応しいか、ということである。
国王が倒れた今、次の王と定めていた第一王子が座るべき椅子である。
横槍を入れられて邪魔されて、第二王子が座ろうとした椅子だが――本来座るべきは第一王子アシックザリアである。
バルバラント王国の威厳を感じさせる、美しく広い玉座の間。
久しぶりに来た第一王子には懐かしい場所である。
「――兄上……」
「――君の物だよ。元からね」
恐れ多い、父親が座っていた席に歩み寄ると……そこには王位継承権を証明する、本物の「バルバラント王の金冠」と「金の紋章指輪」がぽつんと置かれていた。
まるで、ここに座る者を待っていたかのように。
父親から次期国王の命を授かったこの場所で、再び王冠と指輪が、第一王子の手に戻ってきた。
戸惑いがちに王冠を頭に、指輪を指にはめ――玉座に腰を下ろした。
「帰ってきたね、アシック。おめでとう」
「兄上、私は――」
「――もう僕を兄と呼んではいけないよ。僕はすでに死んだ身だからね」
「いえ、しかし」
「僕はただ君に似ているだけ。似ているよしみで力を貸しただけだ。
それ以上もそれ以下もない、可愛い男の子や可愛い女の子が好きなだけの男だ。もちろん美男美女も好きだし熟した果実だって大好物。僕はそういう男さ」
いくらこの状況においても、余裕で引ける発言である。
「僕は……そうだな。国王の顔を見て、亡くなった第一王妃の墓参りだけはさせてもらおうかな。そうしたら一夜の愛の思い出のように消えることにしよう」
まだ引きながら何か言いたげな第一王子に背を向けて、エオラゼルは同期たちを振り返る。
「第二王子を探してほしい。城内には騎士がいると思うから、気を付けて」
顔がわからない者たちしかいないだけに、要人らしき人間や鎧に豪華な細工が入っている騎士などを拾っては、玉座の間に縛って集めていく。
警戒中の騎士がいるかと思えば、そんなものは一切いなかった。
皆寝ていたから。
いたるところで倒れているのは見つけたが、動いている者など皆無である。
「――これ、全部エイルの仕業だよな?」
「――しっ。場所が悪ぃだろ、名前出すな。……あいつ以外できねえだろ、こんなこと」
サッシュとハリアタンは上階から探索し、
「――あー……これは触れない方がいいんだろうな?」
「――いや、私らで隠しとこう。さすがにちょっと放置はかわいそうな姿だから」
一階から始めたベルジュとリッセは、中庭に倒れている同業者らしき者たちを見つけて、逆に隠匿に加担したりしつつ。
バルバラント王城内においての、最後の計画を遂行していく。
そして全てが終わった頃、淡い月夜は姿を消し、彼方の空が明るくなっていた。
――影の暗躍する時間は、すっかり過ぎていた。