462.バルバラント王国の騒動、深夜帯 9
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「――か、頭……」
「――仕留めたんですね、頭……」
反射的に「未熟者め! 鍛え直しだ!」と怒鳴ってやりたくなる気持ちを、ぐっと堪える。
巨大な猫に追われて戦線を離れた部下二人が、見るも無残な姿で帰ってきた。
二人とも相当引っかかれたようで、仕事用の黒い衣装がボロボロである。ところどころ地肌は見え、派手に流血もしているが、命に障るような深い傷はなさそうだ。
――殺したくなかった同業者の若い芽を摘み、心に強い酒を流し込んだかのような焼ける痛みに眉を寄せていたところに、この体たらくの部下たちを見ることになる、デルマウスの心境は少々複雑である。
倒れている部下は八人。
原理はわからないが、どれもこれも生きている。寝ているような状態である。
――いくら影たちの多くは戦闘職ではないにしても、どれもこれも優秀な暗殺者であることは間違いない。
それを、あんなにもあっさりと凌いで見せた。
敵ながら見事としか言いようがない。
何せ、長年荒事方面も担ってきたデルマウスでさえ、近づくのが怖くなった相手である。
滅多に見せない「素養・光無き奈落」を、迷うことなく使用する必要があると判断した、久しぶりの相手である。
仮面の侵入者。
やはり、殺したくはなかった。
「猫はどうした?」
表情こそいつも通りだが、雰囲気からしてイライラしている頭領が口を開き、ボロボロの二人は少しホッとした。
実際、かなりイラついてはいるが。
「あ、消えました。急に……」
「そうか」
消えた。
つまり、「召喚獣」であろうあの猫は、術者である仮面の侵入者が死んだことで、解除されたということだろう。
「全員回収しろ。引き上げるぞ」
「「はっ」」
デルマウスは部下たちに、倒れている仲間たちの介抱を命じると、視線を向ける。
胸元まで地面に「落ちて」いる、仮面の侵入者へ。
自身が投げ、確実に心臓を貫いたナイフの柄が、五本ほど生えている。
(――気は進まないが)
これからあの者が、どこの誰で、なんの目的があったのか。どの国の者なのか。
荷物や衣服、死体を検分して、調べる必要がある。
生者も、そして死者をも冒涜するようなことばかりしてきたので、もうそれに対する抵抗感はない。
が、それをしたいか否かは、いつも心に響いていた。
今回は、間違いなく、したくない方だ。
敬意を表したい相手である。死を汚すような真似はしたくない。
同業者としても、一暗殺者としても、全てにおいてプロらしい者だったと思う。
若くしてあの境地に至れる才能を思えばこそ、やはり後悔しかない。
だが、安堵もある。
十人の影を手玉に取るような脅威である。
バルバラントの守護者としては、ここで潰しておいて正解だったと思う。
小さく息を吐くと、デルマウスは仮面の侵入者とナイフを回収するために歩き出す。
念のために、地面に落ちている紐は避けて歩く。
死んで「素養」が解除されるものもあれば、されないものもある。
件の者が死んでいるのに、まだ昏睡が解けていない者がいるのがいい証拠――
(……? ――なんとっ!!)
そこで、デルマウスは踏みしめる芝生の感触に、小さな違和感を感じ。
それと同時に、視界を封じられた。
いや、違う。
目元に紐が巻き付いただけで、視界は生きている。
むしろ見えないどころか、一気に視界が良くなった。
(――抜かった……! まさか初手ですでに……!)
急速に意識が遠くなる中、助けを求めて視界を動かし……猫に追われた二人まで倒れているのを見て――
最後に思ったのは、自分の不覚。
――殺した程度で油断してしまったこと。
そして、次に目覚めた時、持病の四十肩と左膝の爆弾が改善されているのである。
闇色の砂が、淡い月夜の下に舞う。
とあるタイミングで影に潜み、離れた場所からじっと様子を見ていた猫が、保護色を施していた己の出した黒い砂を振り落としながらのそのそと歩いてくる。
立っているものは誰もいない。
下半身が埋まっている自身の主人の前に座り込み――器用に前足の爪を使って、仮面を……「仮面型メガネ」を引きはがした。
「――がはっ!!」
途端、主人――エイルが血を吐き、意識を取り戻す。と同時に、瞬時に「いつものメガネ」を掛けて、回復に努める。
左のレンズに「生命吸収」、右のレンズに「魔鋼喰い」だ。
「うぅ……ごほっ、いてて……げほっ」
呻き、咳き込んで、血を吐きながら、埋まっている地面から力ずくで這い出てくる。
「……あ、危なかった……」
芝生に転がり出て、胸を強く押さえ、心臓からの本音が漏れる。
本当に、心底、危なかった。
命懸けじゃないと独眼の男を出し抜けない、と覚悟は決めたが――覚悟したって死ぬのは怖いし、刃物が刺されば当然痛い。
それが、よりによって心臓に刺さると思えば、猶更だ。
「はあ、はあ、はあ」
息は荒いが、すぐに痛みも怪我も和らいでいく。
ゆっくり立ち上がり、確認のために周囲を見ると、十一人の影が倒れている。
――どうやら賭けには勝ったようだ。
――分の悪い賭けだとは思わなかったが……命を賭けた、二度とやりたくない賭けだった。
デルマウスが最後に気づいた通り、初手である。
紐をばらまいた時に、何本かに仕込んでおいた罠の一つが発動した。
「素養・色彩多彩」で黒く染めた紐を混ぜておいたのだ。
そしてナイフを受けた瞬間、「魔鋼喰い」で体内に金属を取り込むと同時に、「仮死冬眠」で自分の意識を手放した。
デルマウスを出し抜くには、本当に心臓にナイフを受けて意識を失うくらいはしないと無理だと思ったからだ。
彼の者がナイフを出した時点で、それをどうするかは察しがついた。
正面切って投げても当たらないことは、お互いがわかっていた。
だから、確実にナイフを当てるための「何か」が起こることは、当然のように予想できた。
そして、後にナイフを回収しに来ることも、必然として考えられた。
デルマウスが向かってくるなら、その直線状に罠を仕掛ければ……という位置取りをしていた。
というか、彼と罠が直線状になるよう位置取りをしていた、と言った方が正確だ。いつ参戦してきてもいいように。
事前に仕掛けておいた罠に誘導するのは、そう難しいことではない。
どうせ一挙手一投足は抜け目なく観察されているので、必然を装って仕込む必要はあった。
それが、初手の動作の中にあった。
一応緊急事態に使う脱出用の「聖剣創魔」を仕込んだ物もあったのだが、これは使わなくて済んだ。
しかし――まさか「光無き奈落」などという「素養」を持っているとは思わなかったが。
有名だが、恐ろしく珍しい「素養」だ。
「魔鋼喰い」や「扇動者」、「複神眼」といった滅多にお目に掛かれない「素養」と同じくらい珍しい。
確かに、的が動かなくなればナイフも当たるというものだ。
今そのナイフは、まるで刃の部分が腐り落ちたかのように、柄だけがポロポロと取れた状態だ。
エイルに深々刺さった刃の部分は、皮膚、肉、内臓、心臓に至るまでを損傷し――今は損傷した個所を補うように、エイルの身体の一部として動いている。
本物の「魔鋼喰い」なら瞬時に取り込めるかもしれないが、エイルの「劣化版」では一拍遅れで、一度貫いてからだったようだ。
あくまでも緊急時の応急処置である。
これから少しずつ、エイル自身の細胞と金属を入れ替えて、じっくり治していくことになるだろう。
まあ、「仮死冬眠」で少し寝れば治るとは思うが。
それまで「魔鋼喰い」は外せないので、バルバラント王城から出るまでは、「素養」のセット枠の一つが埋まってしまった。
計画の終盤でよかったと思う。
「――ありがとう、ネロ」
そして、ネロに頼んで、よきタイミングで外れやすくしておいた「仮面型メガネ」を外してもらい、「仮死冬眠」を強制解除した。
言葉がなくても意志が通じる召喚獣だからこそできた行動の指示である。
安堵感が強く、気を抜けば座り込んでしまいそうだ。
だが、のんびりもしていられない。
思わぬ壁に衝突したが、まだ目的を果たしていない。
「俺の血の跡と穴、片付けて」
「にゃあ」
大人しく座って待っていた猫は、エイルが吐いた血に砂を出して掛けていく。
速乾と臭い消しの効果がある砂は、用が済んだら風化したかのように砂より細かい物になって、芝生に溶け込んでいく。
それから、エイルが這い出てきた地面も砂で埋める。
掘り返した跡こそ残ったが、だいたいのエイルがいた痕跡を消してしまった。
その間、エイルはもう用をなさないナイフの柄を回収し、ばら撒いた紐を拾い上げていく。
(――あ、向こうも片付けておかないと)
元は独眼の男を引っかけるための二の手だったが――二人ほど引っかかっていた。
ネロが追い回した二名だろう。
あの二人は、エイルが触れて昏睡させた影たちに、触れると同時に仕込んでいた「誰かが触ったら強制装着する『紐型メガネ』」の罠に掛かっていた。
仲間を回収しようとして触れた瞬間、「仮死冬眠」が強制付加するよう仕掛けておいて、それに引っかかったのである。
その結果が、死者一人と十一人の昏倒という戦場だった。
(――やれやれ。二度と会わないことを願うばかりだ)
安らかな寝息を立てている独眼の男をチラと見て、エイルは思う。
エイルを殺した後油断するかどうかは、本当に賭けだった。
もし、長い人生の間に「油断できない死者」と出会っていれば、それも警戒されていただろう。
――投げナイフではなく近接戦闘に出ていた方が、却って勝率は高かっただろう。
よほどエイルに近づくのが嫌だったのだろうが、それはエイルも同じである。
単純な腕の差は歴然としていた。
まともな正面切っての勝負なら、確実に負けていたと思う。
そして、次があったら、今の自分では絶対に勝てないだろうな、とも思う。
本当に、二度と会わないことを願うばかりだ。
視線を外し――エイルはまた走り出した。
遠くで窓ガラスの割れる音がした。
恐らくはハイドラの仕業だろう。きっと音に寄る陽動だ。
影たちが中庭にいる以上、それ以外にハイドラが見つかる理由がない。
むしろわざと見つかって何かが起こった、と考えた方が自然である。
音がした場所は、これから向かう第二王子の私室方面。
――短時間ではあるが、思わぬ時間を食った。急いだ方がよさそうだ。




