460.バルバラント王国の騒動、深夜帯 7
仕留めた騎士の数は、九十を超えた。
様々な役職の使用人たちは百五十六名で、要人は十五名。
一階から四階、そして屋上まで、エイルは一気に駆け抜けた。
まだ働いている使用人も、もう寝ている使用人も。
日中勤務らしく休んでいる騎士も、夜勤で動いている騎士も。
国を動かす歯車として、こんな時間まで書類に追われる要人も文官も。
誰一人として例外なく、接触・遭遇した人間は眠りの底に落として無力化してきた。
(……なんとか足りそうだな)
左腕の紐は、もうかなり少なくなっている。
保険の意味も込めてたくさん仕込んできたが――
事前準備で予想した「城内には二百人くらい」という見通しが甘かったのだろう。経験不足が露呈した形だ。
まあ、こんなこと、経験がある者の方が少ないだろうが。
(多少の誤差はあるとしても、あと十人くらいだよな)
まだ、仕留めた騎士は百人行っていない。
そして、エイルがまだ回っていない場所は、もうほんの一握りだ。
王妃やほかの王族がいるといういくつかの離れと、第二王子の私室周辺だ。
この際、時間の都合で外はもう回れないので、そろそろ最後の場所に向かった方がよさそうだ。
(すんなりいけたらいいけどなぁ)
でもそんな甘い話もないだろうな、と思いながら、エイルは三階の一角――第二王子の私室方面へと走り出した。
――エイルの予想は、この後すぐ、しっかり当たることになる。
――にゃあ
いつでも呼び出せるようセットしていた「召喚魔法」の淵から、猫の声が頭に響いた。
猫が言う。
誰かが見ている、と。
「……っ!」
廊下を走っていたエイルは反射的に壁に張り付き、しゃがみ込む。
元から小さい呼吸をもっと殺して、誰もいないはずの周囲に視線を巡らせる。
気配はない。
視界には何もない。
ならば――
エイルは久しぶりに「数字」を出した。
「素養」はすでに防御用のものをセットしているので、割り出すにはそれ以外の方法が必要だった。
「数字」に関しては、「メガネ」に頼りすぎると弱くなりそうだと考え始めた頃から、あまり使わなくなった。
それに頼ることなく、肌や感覚で相手の強さを測れるようにならねばならない。そう考えて、できるだけ使用は控えてきたのだ。
「魔力の変質」や秘術を覚えてからは、感じる精度も上がってきたので、昨今ほとんど使わなくなっていたが――久しぶりに出番が来たようだ。
「――っ」
ざわり、と首の後ろに悪寒という名の虫が這う。
いる。
確認していなかった「0」が、自身を囲んでいる。
天井にも。
闇夜に沈む見通しの見えない通路の奥にも。
淡い月明かりが差し込む窓の外にも。
十もの「0」の数を確認できた。
それぞれ距離こそあるが――恐らくエイルが感知できる距離を保っているのだろう。
(……もしかしたらいるかも、とは思ってたけど)
暗殺者を育てていたのはナスティアラだけではない、ということだ。
それはそうだ。
ワイズ・リーヴァントや老執事ダスカ、使用人アミ、それに教官たち。
あれほどの使い手がナスティアラにしかいないのであれば、戦乱の時代に、とっくにナスティアラが世界を統べている。
暗殺者に対抗するために、他国でも暗殺者を育てている。
王族が関わるような大事件だ、もしいるなら必ず関わってくるだろうとは思っていたが……
(十人。俺が気づかない間に十人。監視されていた。いつから? ……恐らく城内に入ってすぐ、か)
冷や汗が止まらない。
時間制限以外にも脅威があった――それに今まで気付かなかったことがとてつもなく恐ろしい。もし暗殺を仕掛けられていたら回避できていただろうか?
(一人に見つかって、応援を呼びながら監視を続けてきて、今ってところか。十人。十人か。……多いなぁ十人は……)
考えを巡らせながら、エイルはまた走り出す。
――迷って立ち止まる時間は、今夜の予定に入ってない。
中庭に出た。
一階はすでに制した後なので、誰も来ることはない。
よく手入れされた、見通しのいい芝生のど真ん中に立つ。
そこまで広くはないが、まあ、充分だ。
これで通じるだろう。
監視していることは知っているぞ、という、エイルの声なき主張が。
然程待つことなく、十名がエイルを囲むようにして現れた。
そして、最後に合流してきた十一人目。
「――若いな。女か? ……いや、男か?」
左目に眼帯を着けた、貴族の正装らしき服を着た初老の男。ワイズと同年代くらいだろうか。
女装して、「仮面型メガネ」を装着しているエイルを見て、やや正体を掴みかねている。
(あ、あれまずい)
残念なことに――ワイズと同じくらい、腕も立ちそうだ。
周囲の十人も危険だが、最後に来て声を掛けてきた眼帯の男は、ちょっと桁が違う危険さを感じる。
反射的に、まずいと思うくらいに。
あえて「数字」で見たら、「0」以上の表記さえ「視え」そうなくらいに。
彼がバルバラントの影たちのリーダーなのだろう。
風格も腕も申し分ない。
「もう勝ち目がないことくらい理解できるだろう。仮面を取れ」
エイルは左腕を摩りながら、必死で頭を巡らせる。
この状況をどう打破するか。
どうすれば、バルバラントの影たちを出し抜けるか。
勝率は「0」だが――そもそもエイルは戦って勝つつもりはないので、もう「数字」は当てにならない。
読み合いで一瞬出し抜けば、それで勝てるのだから。
「おまえはまだ若く、そして腕もいい。それほどの腕を無為に散らすのは私も惜しい。
降れ。
誰一人殺さずここまでやってきたおまえに敬意を表し、決して悪いようにはしないと約束しよう」
首の後ろがざわざわする。
まだ殺気さえ出していないはずなのに、ひたりと見据える独眼の目が、すぐそこにある死を見せつけてきているようだ。
「……従う気はない、と。そう捉えていいのだな?」
何も話さず、なんの反応もしないエイルに、独眼の男の気配が変わる。
「いいのだな?」
エイルは答えない。
――王城に忍び込む前から、こういう流れになる可能性は考えたのだ。ここで引くようなら、最初からこの話を飲んでいない。
(そういえばハイドラが言ってたなぁ)
こんな時にふと、二年前にハイドラが言ったあの言葉を思い出した。
――あなたと私、仕事への取り組み方が似ている気がするの。
どんなに渋っても、嫌だといっていても、それでも了承したら全力で事に当たろうとする。完璧にこなそうとする。
ならば命を懸けるか逃げるか選ばないといけないシーンで、迷わず命を懸けて仕事をこなそうとする。
私はそうなの。エイルはどう?――
あの時ははぐらかした。
今聞かれてもはぐらかすと思う。
(俺、命懸けで仕事に打ち込むタイプじゃないと思ってたんだけどなぁ)
だが、どうやら自覚する自分より、ハイドラの認識する自分の方が当たっているようだ。
――王城に忍び込み、こうなる可能性を考えて、そして実際にこうなった場合。
それでも退くことだけは選択肢になかったから。
「やれ」
エイルの意を汲んだ独眼の男が、静かに、たった一言命令を下した。
淡い月明かりが差し込む中庭で、十人の影が襲い掛かってくる。
影たちは、仮面を着けた少女の動きをずっと見ていた。
透明化する。
魔物を呼ぶ。
小さな隙間から忍び込める。
壁を走れる。
そして、触れた者を昏倒させる。
いくつ「素養」を持っているかわからない。
いや、それらさえ何らかの絡繰りがあるのかもしれない。
できることなら生かして捕らえ、その秘密を暴きたい。
が――同時に脅威も感じる。
単身で一国の王城に忍び込み、短時間の内に三分の二以上を制圧して見せた。それも発覚されることなくだ。
下手に生け捕りにするより、ここで確実に殺しておいた方が、バルバラントの将来の為ではないか。
影たちも、命令を下した直後の独眼の男さえも、その迷いを捨てきれず――
――そして思い知る。
「ぐっ!?」
芝生を踏んだ瞬間。
一人の影の身体が、腹に響く小さな衝撃音と共に浮き――その絶望的な隙を見逃されることもなく、少女に触れられて意識を失った。
と同時に、少女はその影を強引に引き寄せると、向かってくる他の影の盾にしつつ、何かを投げた。
紐だ。
左腕に巻いていた、何十本もの紐を、広がるように投げた。
「…っ!?」
「なんだこれっ……あっ」
避けそこなった二人の影が、紐が触れた瞬間、意識を失い倒れた。
「――っ!」
少女が声のない気迫を込めて、最初に捕まえていた影をぶん投げた。
目標は、偶然三人固まっていた影たち。
当然、散るように避ける。この程度で動揺するような鍛え方はしていない。
が。
避けることに一手使ったせいで、同じ方向に避けた二人が、少女の肉薄に反応できなかった。
静まり返る。
動きが止まる。
元から静かな夜だったが、それよりも深い静寂が訪れる。
バルバラントの影たちは思い知った。
ものの数秒、たった一手の行動で、半分が狩られた。
生け捕りか、誅殺か。
それが選べるような簡単な相手ではないことを、ようやく思い知った。




