458.バルバラント王国の騒動、深夜帯 5
深夜、突然の轟音と大きな振動に、兵士寮兼詰め所にいた兵士たちが慌てふためく。
見張りや見回りといった当番があるものは、武具を持って表に出たり、寝ていた者は飛び起きたり、王城周辺にいた者たちも轟音の大元――一目見ればすぐにわかる、崩された城壁周りに集まってくる。
フロランタンたちはすでに撤収済みである。
城壁が壊れた一角には、誰もいなくなっていた。
――否、一人だけいた。
「……」
黒ずくめの影――シュレンである。
彼はその辺の木陰に潜み、この合図を待っていた。
……まあ、計画で聞いていた以上の被害が出ているのは予定外だが。
もう少しだけ潜む場所がズレていたら、城壁の崩壊に巻き込まれていたかもしれない。危ういところだった。
シュレンは「隠行術」を使用して、完全に気配を消しつつ、この時を待っていた。
彼の仕事は、ここに集まる兵士たちの足止めだ。
サッシュ、ハリアタン、そして今の合図を聞いたリッセは、第一王子一行と合流する予定である。
王子たちの登城は、もう間近である。
(……なかなかの数だな)
シュレンは、つぶさに兵士たちの様子を見ている。
兵士たちが続々と集まってくる。
その数は百や二百では効かず、見える範囲いっぱいに混乱する兵士たちが広がっている。
異変の音を聞いて慌てて集まれば、開いた口が塞がらないような出来事が起こっていた。
この事象が意味することは――よほど平和ボケしていなければ、今からここより敵が攻め込んでくるかもしれないという事実である。
城と城下町を隔てる厚い壁が崩れているのだから、崩れるような理由があったと考えるのが普通だ。
そして、絶対にありえないと高を括っていた分だけ、驚きも強いのである。
あまりの出来事に、兵士たちは統率が取れていないようだ。
このまま無尽蔵に兵士が溜まってくれれば、やりやすいのだが。
それと――
(ふむ……騎士はいない、か。悔しいが)
そろそろ好機と見て、シュレンは立ち上がる。
秘術を駆使して、崩れていない壁を駆け上り、あっという間に城壁の上に立ち、蠢く数百の兵士たちを見下ろす。
(――潜入戦は、俺よりエイルが上だな。あいつはなぜただの狩人などやっているのだ)
「素養・禍重螺」を発動する。
事前に仕込んでいた「重力球」が生まれる。
蠢く兵士たちを囲むように、等間隔に出現する。
その数、十二。
大人の上半身を覆う程度の大きさだ。
「重力球」は黒いので、夜だと目立たない。
割と目の前に出現しているはずだが、兵士たちは突然生まれ宙を浮くそれに、気づかない。
(――惜しい腕だ。実に惜しい)
そう思いながら、両手を合わせる。
「併合・十二単」
等間隔に並ぶ「重力球」同士が共鳴し、同調し、同化していく。
数百の兵士たちを囲むように現れたそれが、少しずつ間隔を小さくしていく。
異変に気付いた兵士が叫ぶが、もう遅い。
「重力球」は、一度くっついたらなかなか取れない。剥がすまで「重い」ままだ。
そして、「重力球」同士をつなぐ「重力縄」も。
「重力球」と、それらが結ぶ「重力縄」は兵士たちを逃がさず、内側に押し戻すようにして輪を狭めていく。
十二の「重い」数珠がじりじりと集まり、ただの単衣に折り重なり。
大勢の兵士たちを「重力縄」で拘束した。
ここまでの人数が相手だと、そう長く捕まえておくことはできない。
だが、それで問題ない。
シュレンの役目は、できるだけ多くの兵士たちの足止めである。
そしてそれは、第一王子アシックザリアが登城するまでの間だけでいいのだ。
(……もうじき幕か。さて、どんな結末を迎えるものか)
時は少し遡り。
エイルとリッセ、ハリアタンが夜を徹して作戦会議をしていた時のこと。
「この計画の一番の難関は、やっぱり王城内部ってことになると思う」
「そうね。この国の騎士、みんな強いわよ」
「……俺は犬派なんだけどな……猫もいいな……」
寝るのにも飽きてきたのか、それとも人の邪魔をするのが仕事だからなのか。
退屈そうな猫が、三人が着くテーブルに乗っていてかなり邪魔だが、会議は何事もないかのように進んでいる。――三人で撫でまわしてはいるが。
いろんな計画がまとまってきた。
まず、エオラゼルたちの兵士や傭兵を排除する。
次に、城下町の兵士をできるだけ減らす。
中身は細々としているが、とりあえずの大筋はこの二つである。
今回、ハイドラたちにはもう自分たちの計画があるので、こちらの計画とは別物として扱っている。
だから、こちらの計画を向こうに話すことはないし、ハイドラたちの計画もエイルらには伝わらない。
ただ、やるべきことが別なので、現地でかち合うことは恐らくない。
役割分担ができているので、ミスしない限りはお互い邪魔にはならないだろう、という結論でまとまった。――まあ根本的に目的が違う別動隊なので、役割分担と言っていいのかどうかは、判断に苦しむところではあるが。
だから、下手に実戦投入したら人を殺しかねないフロランタンには、誰にでも通じる合図を出す役割を担ってもらった。
彼女に頼むのは、城壁の破壊である。
あんな堅牢な壁を壊すのだ。
どんな方法であれ、とても大きな音がするだろう。もちろんあれだけの重量が一斉に崩れれば振動だってあるはずだ。もちろんできなければ別の役割を考えるが――たぶんできるだろう、というのが三人の総意である。
そしてそれは、別動隊同然のハイドラたちにも伝わる。
――あ、なんか起こったな。何かがあったな、と。
それこそ、いよいよ第一王子が兵士を引き連れてきた、と判断するかもしれない。こちらの状況も計画も伝えないのだから、恐らくそう考えるはず。
このフロランタンの合図には、二つの意味があった。
一つは、騒ぎを起こして兵士たちを集めること。
もう一つは、そろそろ計画が終盤に差し掛かっていることを、全方位に知らせることだ。
城壁を壊すほどの騒ぎが起きれば、バルバラント城内だけではなく、城下町の住人だって何事だと思うだろう。家の外に出て異変の正体を確かめようとするだろう。
それが、第一王子の帰還と――玉座の奪還に成功したという情報に繋がれば、これでお家騒動は終わりである。
民が寝ている間に何かがあって、第一王子アシックザリアが王位継承権を取り戻した。
城壁が壊れるほどの戦いが密かに起こり、それを制したのがアシックザリアだ――と、真実を知らないがゆえに、いろんな尾ひれがついて噂を広めてくれるだろう。
周知というのは大事なのである。
結末がわからない内乱というのは、庶民を不安にさせるものだから。
――まあ、その辺はさておき。
問題は、そう、王城内だ。
集めた情報によると、今王城には騎士が常駐しているらしい。
その数、百名前後。
城に常駐し第二王子を守っているのだから、第一王子の味方はしないだろう。
そいつらをどうにかしないと、第一王子の帰還は果たせない。
「あれは強いね。一対一なら私といい勝負しそう」
リッセが、城下町を見回るバルバラントの騎士を見た感想である。
何気に非常に強いリッセと一対一で勝るとも劣らないというなら――騎士はめちゃくちゃ強いということだ。
そして、それが百人もいるという事実である。
――どう考えても、城内が一番の難関ということだ。
「…………仕方ないか」
エイルは猫を撫でながら溜息を吐いた。溜息が出るほど可愛いわけではない。……いやネロは可愛いが。
どれだけ頭を捻っても、第二案が出ない。
いい手段が一つしか思い浮かばない。
だが、その手段はできれば避けたい――なんて言っている時間は、もうない。
タイムリミットは、もう目前に迫っている。
何も思い浮かばないなら、もうそれしかない。
「俺が行くよ。城内は俺が制する」
エイルは決心した。
ほかにいい案が出ないなら、やるしかない。
そしてやるとなれば、早めに準備を始めなければならない。
「あ、行く?」
「なんだ、おまえ行くの? じゃあもうそれは解決だな」
待て。
「なんでそんな軽い感じで受け入れるの? 俺死ぬよ? リッセくらい強い騎士百人に立ち向かって死ぬかもしれないんだよ?」
「エイルなら大丈夫でしょ」
「だな。つかおまえは今更普通ぶるのやめろよ。自分で言い出した以上できるって思ってんだろ?」
確かにできるかもとは思っているが。
「いや、もっと心配をするとか、あるんじゃない? 一度は止めてみるとか。そういうのってもうマナーの一つだと思うんだけど」
「あーもう私たち疲れてるから。もうそういうのはいいわ」
「おまえに何かあったらこの猫俺が引き取ってもいいぞ」
「あ、ずるい。ネロなら私も欲しい」
エイルは固く誓った。
――こいつらのことはどうでもいいけど、猫は絶対渡さない。絶対生きて帰る、と。
「――開いてるな」
作戦決行日の夜。
とある建物の屋根の上に、エイルとハリアタンの姿があった。
「目、いいね」
エイルには見えない。
「メガネ」で「暗視」はできるが、この距離となると、単純に視力の問題である。
塔は見えるが、窓なんて豆粒以下の大きさだ。
しかも今は夜である。
闇夜も影も深いばかりで、窓が開いているかどうかなんてわからない。
――ハリアタンの「素養・狙撃的中」は、視力にも影響が出るものなのかもしれない。
「ま、この目を買われて冒険者やってるからな」
彼らが見ているのは、バルバラント王城の南東の塔――その一番上の窓である。
計画に際し、唯一ハイドラ側に要望を出した。
それが、「南東の塔の最上階の窓を開けろ」だった。
注文通り、窓は開いている。
あそこは伝書鳩が住んでいる部屋で、鳩が通るには大きめだが、人が通れるような大きさではない。
――だから丁度いいのだ。
「で? これをあそこの窓から中に放り込めばいいのか?」
「うん。お願い。……あ、もうちょっと近づいた方がいい?」
「いや。このくらいなら行ける」
と、ハリアタンはエイルが出した革袋を受け取り、重さを確認しながら立ち上がる。
「今日は風もほとんどないし、視界を遮るものもない。これで外してちゃ『素養』が泣くぜ」
「まあ最悪はずしてもいいから、気負わずにね。じゃあ十秒後に頼むよ」
そう告げて、エイルは建物から降りていった。
そして、きっかり十秒後、ハリアタンは革袋を投げた。
ゆるやかな放物線を描き、軌道を変える風もなく遮る物もなく、山なりに飛んだ革袋は無事、狙った窓の中に吸い込まれるように入ったのだった。
「いてててっ」
そして、エイルは革袋の中に入れた「聖剣創魔付きメガネ」に瞬間移動し、王城内に潜入した。
左右のレンズにも「聖剣創魔」をセットしたので、なかなかの瞬間移動距離である。城壁間際からここまで移動できた。
ちょっと鳩小屋内部が狭いやら、寝ていた鳩が暴れるやらで騒々しくなったが――読み通りこの塔に人は常駐していないようなので、誰にも気づかれなかった。
ここを瞬間移動地点に選んだ理由は、単純である。
瞬間移動先に、鳩以外は誰もいないことが確定していたからだ。
つまり、どこよりも比較的安全に入り込めるであろう場所だったから、である。
侵入と同時に騎士に見つかれば、かなり厄介なことになる。
「――よし」
鳩が落ち着いた頃、エイルは行動を開始した。
――目標は、城内の騎士百人を狩ることだ。




