457.バルバラント王国の騒動、深夜帯 4
「――すまない。今のところ、もう一度頼む」
耳を疑ったエオラゼルの質問に、木像の向こう側にいる仲間は、同じ内容を繰り返した。
――「傭兵と兵士が邪魔じゃけぇどうにかせえ言うとるわ。ベルジュがおったらなんとかできるじゃろ、じゃて」
訛りのきつい少女の言葉は、その計画を立てた者の代弁でしかない。
計画を立てた者――黒幕の返答は、疑うような内容を繰り返しただけだった。
――騒動の夜の、前日の早朝である。
モンティ侯爵家に急造した作戦会議室には、エオラゼルの身内とも言うべき者しかいない。
いつもなら、この屋敷の主であるモンティ侯爵や、モンティ侯爵の次期当主である息子や、兵士長や、傭兵の代表などが出席するのだが。
今は、エオラゼルと、サッシュとベルジュしかいない。
バルバラント王都に向かう途中、通りすがりだからと会いに来た二人は、とんでもなくいっぱいいっぱいになっているエオラゼルの様子を見て、そのまま逗留することを決めた。
王位継承問題。
もはや小規模だが戦争と変わらない、そんな重すぎる問題を、一緒に背負うことを決めた同期には感謝しかない。
だが、それは今はいいとして。
サッシュとベルジュは予定にない逗留を決めたが、ほかの同期たちは予定通り、王都に集合していた。
そして――現状を打開するために立てた計画を、今聞いている。
「まあ、邪魔と言えば邪魔だよな」
青髪の青年サッシュがぼやくように言う。
しかし、先日届けられた通信のできる木像の向こう側には、エオラゼルの声しか届かないらしいので、向こうから何か言ってくることはない。
「第一王子も第二王子も殺る気まんまんだぜ? 当人の気持ちはともかくな。
このままぶつかりあえば確実に人が死ぬし、最悪なんの関係もないバルバラントの民まで犠牲になるかもな。やり合う場所が悪いっつーんだよ。迷惑極まりねえ」
「うむ」と頷いたのは料理人志望のベルジュだ。
「戦争なんてここ百年は起こっていない、今はそんな時代だ。この時代に血の上に成り立つ玉座なんて、ろくなものじゃない。
今はよくとも、こういう歪は生涯アシック王子にもバルバラント王国にも付きまとうだろう。いずれ大きく歪まなければいいが。……どの道迷惑なのは民ばかりだしな」
エオラゼルも同感だ。
ただ、それ以外の――兵を集めて城を襲い、第二王子をどうにかする以外の手段がなかったから、この状況となっている。
決行は明日の夜。
今は各地に散っている傭兵たちは、明日の夜、特定の場所に集まるよう指示を出している。
――だがそれは、今までは、の話だ。
ギリギリで間に合ったのが、今聞いている耳を疑うような計画である。
計画の内容の一部は――「兵士と傭兵をどうにかしろ」だ。
それはつまり、第一王子アシックザリアの戦力を殺げという意味だ。
わかりやすく言うと、持っている武器を取り上げろと言っているのだ。
だがそれは、殺意を持っている敵を目の前にして武器を置くことと同義である。
これから戦争を起こそうという時にやれば、間違いなく勝負が見える行動である。降伏行動に近いと言っていい。
果たして自分の一存で、この計画に乗っていいのか――
「いいじゃねえか、エオラゼル」
それこそ多くの者が無抵抗で死ぬかもしれない計画に踏ん切りがつかない――が、頼もしい同期たちは笑っていた。
「向こうの城には、兵士なんざこっちの十倍はいるぜ? おまけにバカつえー騎士も城内で待機してるって話だ。まともにやってもきっと勝てねえよ。ただ犠牲が出るだけだ」
「俺もそう思う。ならば――それを覆す計画があるというなら、乗って損はないだろう。元から勝ち目の薄い戦いに、勝機が見えている者がいる。だったら信じればいい。
どうせ勝ち目が薄いなら、せめて望み通りの勝率がある方を選ぶだけだ。何を迷うことがある?」
木像の向こうにいる、計画を考えた黒幕の目的は、「被害を最小限にする」である。
だからこそ、正面衝突するような真似はやめろと言っているのだ。
もうここまできたら、兵士や傭兵を解散させることなどできない。
たとえ兵士はできても、金目当てで集まった傭兵は恐らく引かない。彼らにもメンツがある。
ならば、説得以外で排除するしかない。
「――ベルジュ。兵士と傭兵の無力化、できるかい?」
被害を最小限にしたい。
それはエオラゼルも、ここにいない第一王子アシックザリアも、同じ気持ちである。
ならば、そう、確かに迷う理由は、ないのかもしれない。
何より、助けを求めたエオラゼルのために集まり、この騒動に関わると決めた、かつては寝食を共にし、切磋琢磨し、時には命懸けの課題に一緒に挑んだ友人たちだ。
ここで信じないでどうするというのだ。
「――ああ、できる。カロンに教わった魔法薬で使えそうなものがある。一の薬品と二の薬品を混ぜることで高い睡眠効果を」
「――今はいいだろそういうの。あとで聞いてやっから。おう、計画の続き聞こうぜ」
そして、今。
景気付けの一杯を飲んだ兵士と傭兵二百余名が、ものの数秒で全滅していた。
「すげえ効果だな」
「ああ、想像以上に効くんだな。俺にはよく眠れるいい薬でしかなかったんだが」
眠り薬を仕込んだスープを作った料理人と、酒を注いで回った青髪の男が、自らのやったことなのに驚いていた。
「いいか? これはカロンから教わった魔法薬でな。一の薬品だけではなんの効果もない。毒物に詳しい兵士や傭兵もいそうなもんだからな、バレたら面倒臭い。だから直接的な効果はないんだ。
ただし二の薬品が混ざることで、強い薬効が生まれる。これがまた強烈な睡眠薬……おい聞け。聞く約束だろ?」
「はいはい、スープと酒を混ぜたら効くやつな。わかったよ」
こうなるように仕込んだのは確かだ。
だが、大の大人二百人以上が、森の中で倒れているという光景は、想像以上にすごいものだった。
「あ、あ、兄上……本当にこれで……?」
これから戦争というのでも参っていたが、この異常な光景でも追い詰められているアシックザリアは、もうすでに腰が引けてしまっている。
そんな弟に、内心自分も驚いていることなど微塵も出さず、エオラゼルは笑顔で頷いた。
「ああ、計画通りだよ」
その内の何名かは薬が効きづらい体質のようで呻き声を漏らしているが、かなり意識は朦朧としているようだ。眠くて眠くて仕方ないのだろう。
自分たちに毒を盛った大将たちの会話など、耳には入るまい。
「シロ、後を頼むね。これで最後だから」
白狼シロカェロロに、彼らの護衛を頼む。
彼らは今、何があっても動けない。誰が来ないとも、もしかしたら魔物が出るかもしれない場所と状況なので、しばらくは優秀な彼女に守ってもらうことにする。
薬品の効果自体は、割とすぐになくなるらしいので、明け方には引き上げられるだろう。
シロカェロロなら、これだけ広範囲に及ぶ守備範囲であっても、余裕でカバーするだろう。本人も特に問題としていないようだ。
「じゃあ俺は先に行くぜ」
と、サッシュが消えるような速度で、バルバラント王都へと駆けていった。
彼はこちらの情報を持って、王都で動いている仲間と合流するのだ。
「僕たちも行こうか、アシック」
「は、はい……」
計画は動き出した。
ここで兵士と傭兵を失うという最後の決断は、確かにアシックザリアが下した――被害を最小限にする計画だと聞いて。
そんな甘い理想でしかない策があるのかと、飛びつくようにして受け入れたが……
だが、こんな光景を見てしまうと……
果たして、このまま生き別れていた兄を信じていていいのか――
と思う反面、もう計画が動き出している以上、引き返せないし拒否することもできないことは理解している。
もう何もわからない。
ただただなすがままでしかいられないアシックザリアは、エオラゼルの声に導かれるようにして、ほんの数名だけでバルバラントの王城へと移動を開始するのだった。
「――よう。首尾はどうだ?」
一足先に、だがとんでもない速さで王都の入り口までやってきたサッシュは、光を点滅させる合図を出したハリアタンと合流した。
周辺には、兵士たちが倒れている。きっと彼が倒したのだろう。
「今のところ問題はねえな。そっちは?」
「計画通りだ。すごかったぜ? 兵士も傭兵もみんな一斉にぐっすりだ」
「ほー。そりゃ見物だったろうな。――手伝ってくれ」
「おう」
二人は倒れている兵士を引きずって物陰に集め、縛り上げて並べておく作業に入る。意識のある者もいるが、動けないのなら同じことだ。猿轡を噛ませておく。
「で、どの程度進んでるんだ?」
「とりあえず大通りの制圧は完了した。王城まで邪魔する奴はいねえよ。まあ王子たちはゆっくり来てくれりゃいいさ」
「えーと……城下町の兵士狩りは、赤毛とおまえが動いてるんだっけ?」
「ああ。〇点と東洋人は王城に乗り込んだからな。知らない顔も動いてるが、そいつらは市民を追い返す見張りだからよ」
「聞いてるぜ。忌子の仲間なんだろ?」
「あと冒険者も何人か参加してる」
「へえ? ここの冒険者ギルド、俺たちに協力してくれてんのか?」
「俺たちっつーか、第一王子にな。……いやそれも正確ではないかもな。
赤毛が説得した。もう避けられない内乱なら、できるだけ被害を小さくするよう冒険者を動かすべきだって言ってな。ついでに自分は第一王子の指示で動いてる、って嘘ついてたけど」
「あいつそんなはったり吹いたのか? あの頃からしたら考えらんねえな」
「だよな。あの頃はあいつ真面目だったのにな。もうすっかり一人前の冒険者だよ」
「そうだな。嘘つきは冒険者の始まりだもんな」
そんなことを話しながら、兵士たちを片付けた彼らは、城下町へ歩いていく。
街は静かだ。
だが、緊張感が張り詰めた空気を痛いほどに感じる。
――リッセとハリアタンの役目は、城下町をうろつく兵士たちをできるだけ片付けることだ。
隠れる場所も多く、またフロランタン経由で手伝ってくれる者も多い街中なら、発覚することなく巡回の兵士たちを減らすことができる。
少なくとも、彼らはそれが可能なだけの訓練をしてきたのだ。できないわけがない
ただ、雰囲気は剣呑だが。
騒ぎこそ起こっていないようだが、荒事が発する特有の危険な雰囲気だけは、王都中にしっかり漂っている。
今どの辺にいるかわからないが、赤毛――リッセはきっと、真面目に兵士狩りをしているのだろう。
サッシュとハリアタン、そしてバルバラントの冒険者や裏の住人が、城へと続く大通りをしっかり押さえた頃。
悠然と、第一王子アシックザリア一行が現れた。
これは紛れもなく内乱であり、言ってしまえば戦争に分類されるものである。
だがしかし、ほんの数名で、人目を憚ることなく堂々と大通りを歩いてゆく姿は、玉座までの道を約束された者のようである。
第二王子の陰謀で、城から追い出された第一王子。
ともすれば「情けない」と言われかねない立場の第一王子が、隠れることも兵士たちを引き連れることもなく、たった二人の従者を傍に置いて、敵のいない戦場のど真ん中を歩いていく。
異常である。
異常ではあるが、非常に絵になる。
吟遊詩人が見たら歌にでもしそうな、これぞ王道を行く者という貫禄に満ちた歩みであった。
そして、そんな彼らを見て動いた者が一人。
「――ボス、お時間です」
「――おう」
バルバラント王城を守る城壁の西側。
兵士たちの詰め所が、壁の向こう側の近くにある場所にて、白髪赤目の小さな女の子が強面の男たちを従えて待機していた。
「がんばってー」
ついさっき、王城内部から脱出してきた猫獣人トラゥウルルの声援を受け、スラムのボス代行フロランタンが前に出る。
強面の男が、歩む彼女のコートを預かる。
「――ほんじゃやるけぇ」
フロランタンは、城壁に両手を着けた。
石積みの壁は厚く、冷たく、強固である。
人一人が押したり引いたりしたところで、びくともしない。
というか、してはならないし、あってはならないことである。
「んん――」
だが、そのあってはならないことを、やろうとしている者がいた。
「――うぉっしゃああぁ!!」
大きく引いていた頭を、「素養・怪鬼」全開で、思いっきり振り下ろす。
ドォォォオォォン!!
地面が揺れた。
耳をつんざくような衝撃音とともに、城壁が砕けて吹き飛んだ。
ヒビが入るとか、一部が壊れるとか、そういう次元じゃない。
まさに鬼の力というべき強烈な頭突きの入った周辺の壁全体が、強い……強すぎる衝撃を受けて、内部に吹き飛ぶように崩れた。
ただの頭突き一発。
それだけで、攻城兵器もかくやという被害である。
「――おし、撤収じゃ」
あまりの威力に唖然とし固まっている強面とトラゥウルルに、本人的には「ただの頭突き」を見舞っただけであるフロランタンは、これで役目は終わりとばかりに歩き出す。
「――ご苦労様です」
強面の一人が、預かっていたコートを肩にかける。
「「――ご苦労様です!!」」
そして、ほかの強面とトラゥウルルは声を揃えてボスの働きに敬意を表し、肩で風を切る小さな背中の帰還に追従するのだった。




