455.バルバラント王国の騒動、深夜帯 2
いわゆる縄張り系と言われる「素養」がある。
限られた範囲の「個数」や「状態」を、正確に把握する「素養」だ。
無法の国の少女「鍵穴のキーピック」が持つ「素養・隣の貴方」辺りがこれに属する。
この手の「素養」は珍しく、常に時の権力者が重用していた。
限られた範囲を正確に把握する、縄張りの形成。
――要するに、侵入者を発見する存在だ。
忍び寄る暗殺者の発覚や、不意に増えた人間を把握するのにうってつけの、定石とも言える国防の布石の一つだ。
大きな貴族の屋敷や、王城ともなれば、まず一人や二人は抱えているものである。
ハイドラが地の獄に墜とされる前に調べた結果でも、少なくとも一人は確実にいることを掴んでいる。
この手の縄張り系は、秘術でも誤魔化すことができない。
だから、トラゥウルルにも、特定人物に近づくことと、「第二王子の部屋」付近には近づくな、と指示を出した。
――もし特定人物と第二王子が部屋から離れたら調査しろ、と言っていたが……
どうも彼女が見張っている間は、調査に潜り込む隙がなかったようだ。
向こうも色々な警戒している証拠である。
トラゥウルルからマリオンを経ての報告で、最近常に第二王子の近くに特定人物がいることは聞いている。
護衛の騎士たちはちょくちょく入れ替わるようだが、その特定人物だけは離れないそうだ。
間違いないだろう。
そいつこそが、近づく不審者を確実に発見できる「縄張り系の素養」を持つ者である。
これは近付くだけで問答無用で見つかるので、気を付けなければならない。
それと、最近になって城内に常駐している騎士たちの存在だ。
もう戦場には出ない名誉騎士などを覗けば、バルバラント王国には三百名ほどの騎士が属しているそうだ。
騎士隊としては、数が少ない。
だが、この三百名は厳しい審査を通って騎士になった者たちであり、誰も彼もが一流の戦闘技術を有している。
まともにやりあえば、一対一でもハイドラに勝ち目はない。
そもそもハイドラは、とりわけ戦闘力に優れているわけではないのだから。
そんな騎士たちが、現在、少なくとも百人は城に詰めているそうだ。
(……どうしようかしら)
ハイドラは城内には入らず、外壁を伝って目的の部屋の近くまで来ていた。
月明かりの乏しい夜は、城の壁に張り付くハイドラの姿を照らしはするが、浮き彫りにすることはない。
気配を感じる限り、目的の部屋には四人ほどの人がいる。
室内には、第二王子と、「縄張り系の素養」を持つ者と、護衛の騎士がいると推測できる。
近づくだけで発覚する。
発覚すれば騎士が来る。
もし見つかった場合、ハイドラが逃げることは可能だろうが、目的を果たせないまま逃げたって仕方ない。
(王冠と指輪の場所がわかっていればな……)
目くらましの煙玉でも放り込んで、その隙に奪取することもできたかもしれないが。
しかしそれは、王冠と指輪がどこにあるかを、正確に把握していないと不可能だ。
現状、ブツの場所がどこかわかっていない。
低いとは思うが、もしかしたら第二王子の部屋にはない可能性もある。発覚覚悟で乗り込んで「はい、ありませんでした」では、すべてが台無しだ。
(……よし、少しつついてみようか)
もうじきエオラゼルたちが攻め込んでくるだろう。
その時まで待つのも悪くないが、第二王子が王冠と指輪を持って立てこもる可能性もある。そうなると余計盗むのが困難になる。
できれば、内乱が起こる前に部屋を物色し、騒がしくなる前に王冠と指輪を奪いたい。
第二王子の部屋から少し離れた、廊下の窓付近までやってきた。
(――設置完了、と)
粘着性のある液体で、糸と石を窓ガラスに貼り付ける。
さっきまで潜んでいた、第二王子の部屋近くの外壁まで戻り、――糸を通して「圧縮」していた石を「膨張」させた。
と――
パァン!!
窓ガラスが派手な音を立てて砕けた。
ハイドラの「圧潰膨裂」は、物質を「圧縮」させたり「膨張」させたりすることができる。「禁行術」で「己の身体以外」という例外を作ったが、基本的に生物には作用しない。
そしてもう一つの特性として、物質の「圧縮率と膨張率」が限界を超えた場合、その物質は破壊される。
「禁行術」で小さくなったハイドラの全身が数秒でバッキバキになるのも、この辺の特性が絡んでいるものと思われるが――それはさておき。
緊張感のある静寂の夜に、突如響く硬質な音。
まるで絹を裂くような女性の悲鳴のように、高らかに城内に、そして外に響いたのだった。
「――よし」
つついた結果、第二王子が動いた。
彼の部屋の者たちが、その部屋を出ていく。
何が起こったのかを確かめに行ったのだろう。侵入者が入ってきたかもしれないので、騎士と「縄張り系の素養」持ちが動いた。
そしてその二人が動くなら、第二王子も部屋に残るより、その二人と一緒にいた方が安全である――窓ガラスが割れた場所には、他の場所にいた兵士や騎士も集まるのだから。
――実に好都合。
ハイドラはこの隙を逃すことなく、第二王子の部屋に侵入した。
勢いよく、しかし音を殺して窓ガラスを割って侵入し、毛足の長い絨毯の上に転がり着地する。
「あっ」
わかっていた。
部屋内には四人いた。
部屋から出ていったのは三人。
一人だけ部屋に残っていることはわかっていた。
そして、このタイミングで部屋から動かなかった……動けなかったのは、戦闘力を有さない者だということも。
戸惑う侍女が声を上げる間も与えず、距離を詰めて口に石を入れて「膨張」させて舌を封じると、さっき遠隔で「素養」を使用した糸を「膨張」させて簡易ロープにし、実に鮮やかに組み敷いて、手足を縛り上げた。
「――ンー! ンー!」
ついでに猿轡を噛ませて完成だ。これで呻き声さえあまり出ない。
そして部屋の扉に内側からカギを掛けて、ようやく一段落だ。
「ごめんね。危害は加えないから」
んーんー言いながら、侵入者を芋虫のように転がって見上げている侍女にそれだけ言い、さっそく物色に入る。
王子の部屋らしく、ありとあらゆる物が高そうな物に溢れている。
骨董品が好きなのか、古い小物や模型が飾ってある。
ハイドラも、古くて希少価値のある小物は好きなので目を引かれるが、今は構っていられない。
時間はあまりない。
セオリーに則るなら、貴重品は机の鍵付きの引き出しにありそうだが。
(王冠は入らないわよね……)
実物は、少しばかり嵩張る造りだ。
指輪はあるかもしれないが、別々に置かれているかというと……
――なんて悩む間も惜しいので、さっさと開ける。
ない。
目を引く細工の凝った小物があるくらいだ。ポケットに入れてしまいたいが、ここは自重する。ドラゴンのペーパーウェイトの精緻な細工たるやどうしても目を引くが、断腸の想いで引き出しを閉めた。
隠せそうな棚も開けて調べるが、さすがにこんなところにはないだろうと思った通り、ない。
時間がない。
常に冷静沈着を旨とするハイドラでも焦る。
いつ第二王子や騎士たちが、あるいは「縄張り系の素養」持ちの有効範囲に入るかわからない。
こうなると――
呻く侍女と目が合うと、彼女はピタリと声を上げるのを止めた。
あ、これはまずいパターンだ、と。
何か探している賊が、目当ての物が見つからないから、拷問して自分に吐かせようとするパターンだ、と。
……そこまで考えたかはわからないが、それに類することは考えたのだろう。
だが、それはない。
非戦闘員に、拷問や暴力で情報を聞き出すのは、ハイドラの主義と美意識に反する。
そういうありふれた盗賊にはなんの興味もないのだ。
ハイドラは侍女の傍に跪き、猿轡を外しながら言う。
「第一王子アシックザリアのために、王冠と指輪を探しにきたの」
これは賭けだ。
「――ンっ!?」
突然の告白に、侍女は案の定驚いたようだ。
「あれがないと王位継承一位の座にいられないのよね? だから取り返しに来たの。ある場所を話してくれる?」
そう問うと、侍女はコクコクと何度も頷く。
ハイドラは魔力を込めて、侍女の口の中に詰めた石を「圧縮」して小さくし、しゃべるようにして――
「ダスティ様ぁぁ!! 侵入者ですーーーーーーー!!」
小石を吐き出した侍女は、思いっきり叫んだ。
「……気は済んだ?」
侍女は叫んだ。
力の限り叫んだ。
しかし、誰も来ない。
まるで誰にも聞こえなかったかのように。
優しく微笑む仮面の女を見上げて、侍女はさっと顔を青ざめる。
やってしまった。
やってしまったのだ。
この縛られている絶対危機の状況で、命を捨てるかもしれない大きな賭けに出て――負けたのだ。
どうしてかはわからないが、次期国王に恩を売るチャンスだと意気込んで、失敗した。
――ハイドラが「念のために」と、音を殺していたのだ。
侍女はハイドラを騙して声を取り戻したつもりだったのかもしれないが、ハイドラの方が一枚上手だった。
「ご……ごめん、なさい……」
ハイドラは頷く。
「それで? 王冠と指輪は? ここにはないの?」
「……私のこと、第一王子に話しちゃいます?」
「もちろん。『第二王子側の人間だった』と告げるか、それとも『第一王子の味方をした』と告げるかは、あなたが決めることだけど」
「どっちがいい?」――と、聞くまでもなかった。
首尾よく王冠と指輪を回収し、窓枠に足を掛けて……ハイドラは止まる。
(――おかしい)
そこまで時間は掛けてないが、ここまで誰も戻ってこないのは、マヌケが過ぎる。
割れた窓ガラスを発見する。
なぜ割れたか周辺の調査をする。
その間に誰かは思うだろう――これはもしや罠か、あるいは囮ではないか、と。
なのに、誰も戻ってこない。
第二王子が来ないまでも、誰かが様子見くらい来てもおかしくないのに。
――少し迷ったが、ハイドラはさっき自身でカギを掛けた部屋の扉の近くに寄り、耳を立てる。
静かだ。
騎士の鎧の音も聞こえないし、気配も感じない。
ちなみに侍女は、これ以上騒がないよう薬品で眠らせておいた。彼女にとってもその方が被害者として振る舞えていいだろう。
(……もしかして、私以外の誰かが仕掛けている?)
予想外の動きは、読めない。
結果ハイドラの発覚に繋がる。
別口で事件や事象が起こっているなら、できる限りでいいから、把握しておきたい。
ハイドラは意を決し、扉を開けて――
「――っ!!」
驚きの余り声を上げそうになり、反射的に自分の手で押さえて堪えた。
驚いた。
心臓が止まるかと思った。
部屋の前に、騎士が一人立っていた。
部屋の見張りをしていたのだ。
内側からほんの少し覗いただけだったので、騎士は気付かなかったようだ。
すぐに扉を閉めたので発覚はしていない――
(……?)
おかしくないか?
ハイドラが、この距離で人の気配を感じないなど、ありえない。
見張りの騎士は別に潜んでいるわけではないので、気配を殺して立っているわけではないだろう。
では、どういうことだ?
首を傾げる――と。
ドォォォオォォン!!
「――っ!?」
今度は、轟音が響いた。
さっき割れた窓ガラスなど比にならない、王城さえ揺れるような大きな音だった。
恐らく内乱……エオラゼルが攻めてきた合図だろう。
攻め込む時は派手にやるものだ。
第一王子が自分の居場所を取り返しに来たのだ、ハイドラのようなコソ泥みたいな真似は、次期国王には似合わない。
にわかに王城内が騒がしくなってくる最中――
ガシャン
扉のすぐ傍で、金属音がした。
「……」
ハイドラが再び扉を開けると、さっき驚かせてくれた騎士が倒れていた。
兜付きの重装備だけにわかりづらいが……死んではいないようだ。耳を澄ませばかすかに呼吸音も聞こえる。
「……シュレンかな?」
ハイドラ組でもなく、エオラゼル組でもない。
それ以外の第三勢力は、すでに潜入しているようだ。