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453.バルバラント王国の騒動  急





 最後に空を見上げたのはいつだった。

 最後に太陽を浴びたのはいつだった。

 

 今日もかかあのために穴を掘る。

 今日もガキのために穴を掘る。


 ここから出た時はきっときっと家を建ててやる。


 さあ、掘って掘って掘って掘って、

 隣の野郎が一発当てる前に、


 掘って掘って掘って掘って、

 掘って掘って掘って掘って、


 次に見るお天道様はきっときっと黄金色だ。





 この地の獄には、バルバラント王国が国になっていなかった頃の工夫の歌が、未だに生きていた。


 男と、女と、重犯罪と軽犯罪と。

 ほぼ枯れた金坑道は大まかに四つに分類され、多くの犯罪者が罪を償うために働いていた。


 空も太陽も見えない地の底は、誰も全容を知らないほどに広い。


 かつては外に繋がっている道もあったらしいが、今では封鎖されてどこにあるかもわからず、唯一生きている出入り口はバルバラント城の敷地にある一ヵ所のみである。


 まあ、空気が動いていないと人間は生きていられないので、どこかには外へ続く場所もあるのかもしれないが。


 その一つ。

 女囚の軽犯罪者だけが集められた区画に、ハイドラはいた。


「~♪ ~~♪」


 ひたすら掘り続けた工夫たちの憂さ晴らしで生まれた、古い工夫の歌を鼻歌で諳んじながら、ガキンガキンと力強く、つるはしを上げては振り下ろし続ける。


 顔は砂埃で汚れ、すり減ってぺらぺらのボロをまとい、前に着ていた者から続く染み込んだ汗の据えた臭いは消えず、細い首には無骨な「素養封じ」の首輪がぶら下がり――


 しかし、それでもかつての美貌は健在である。


 顔が死んでいない。

 疲れも見せないし、負の感情も見せない。

 クソみたいな肉体労働やクソみたいな環境に腐ることもなく、またさぼることもない。


 ハイドラは、こんな限りなく終わりに近い(・・・・・・)場所でも、しっかりと生きていた。

 その生き様は眩しく、そして美しかった。


 そんなまだ新入り同然の彼女は、すでに周囲の囚人に一目置かれ、そして――


「八百八番! 来いよ!」


 それを気に入らない者にも、好かれている。

 八百八番ことハイドラは重いつるはしを下ろし、背後に立つ大柄な女を振り返る。


「また? 今日の稼ぎがなくなるわよ?」


「うるせえ! 今日こそそのツラぁぐちゃぐちゃに潰してやる!」


「ふうん? まあいいけど?」


 持っていたつるはしを放り投げて、ハイドラは歩き出す。


 この地の獄では、基本的に肉体労働が課せられる。

 皆いつだって疲れているし、娯楽も少ない。


 だが、何もないわけではない。





 広いだけの休憩スペースには、こんなところでも「神聖な場所」と言われるスペースがあった。


 見た目は、ただ土を盛っただけの、円形の小高い山である。

 しかしここに二人の人間が立てば、もう立派な娯楽の、それも選手しか立てない神聖な場となる。


 ――ここは、いわゆるリングである。


 元々は男性重犯罪者区画で生まれた文化らしいが、今ではどこの区画にもあるという。


 兵士たちの計らいなのか、それとも獄中のボスの要望か。

 一年に何回か、他の区画の選手とやりあう機会もあるそうだ。


 勝者には、薄っぺらいが正真正銘の何かの肉のステーキが振る舞われるとか。

 まあ、こんな環境の中では、上等な賞品と言えるだろう。


「――頼むぞ! 八百八番!」


「――あたしの全財産あんたに賭けたんだから!」


「――おいブル! こら! ブル! 今度負けたらもうおまえには賭けないからな!」

 

「――どっちでもいいから殺せ! 殺せぇ!」


「――血を流せ!!」


「――首を捧げろぉ!」


 そして今、ハイドラこと八百八十八番と、六百七入七番こと異名ブルの名を持つ女囚が、リングに立っている。


 体格差は歴然としている。

 女性としてはやや背が高いがすらっとしているハイドラに対し、ブルはそこらの大柄な男よりも大きい。


 かつてはどこぞの下位貴族の令嬢だったという自慢話をよくしているが、今のブルにはその面影は一切ない。

 好きになった男を追い回してうっかり殺しかけたことで坑道墜ちし、それ以来出たり入ったりを繰り返しているとか。


 軽犯罪者の刑期は、半年から三年以内である。

 ハイドラの場合は一年の刑期だが――


「じゃあ、開始の合図よろしく――」


  ゴッ!


 その開始の合図を待たず、ブルはいきなりハイドラの顔面に大きな拳を振り下ろした。


 そう、振り下ろすという表現が相応しい体格差からの、岩を砕くつるはしのような重い一撃だった。


 そして、ただただ相手を叩き潰すことだけを考えた二発目の拳は、ハイドラの左手で柔らかく(・・・・)受け流される。


「――気が早いわよ。そう焦らなくてもすぐ寝かせてあげるって」


 咄嗟に避けたハイドラにダメージはない。

 そして、今日も穏やかに、しかし勝ち気に微笑みながら、相手選手をボコボコにする。





 殺さないように、ただの素人同士の勝負に見えるように。

 その力加減が難しい。


 幼少から暗殺技術を磨いてきたハイドラにとっては、体格だけいい者など相手にならない。


 ――まあ、タフさと諦めの悪さは認めるが。


「く、くそぉ……くそぉ!」


 ローキックで崩して、下がった顔面に思いっきり肘を入れた。五発も。


 それでようやく足に来て、ブルは倒れた。……それでも意識はあるし、顎の骨に異常もないようだ。まったく賞賛に値するタフさである。


 地下に来てから、この女には頻繁に絡まれ、リングに立たされてきた。


「――ねえ」


 周囲で賭けに勝った負けたと騒いでいるのを尻目に、ハイドラはリングのど真ん中で倒れているブルの傍らにしゃがみ込む。


「いい経験ができたわ。ありがとう」


 訓練での殴り合いは何度も経験したが、ガチの殴り合いは、ここに来てからが初めてだった。


 型通り、教えられた通りにやっても、倒せない者がいた。

 それが彼女だ。


 そういう実戦経験は、こういうところでもないと、なかなか経験できるものではなかったような気がする。


 ハイドラを睨んでいたブルが、ふっと毒気を抜かれたような顔をする。


「……おまえ脱獄するのか?」


 ハイドラは、いつもの穏やかな顔を崩さない。


 ――内心かなりドキッとしたが。


 丸坊主レベルで髪を短くし、蛇のタトゥーを入れているブルだけに、パッと見では男にしか見えないが……

 この時は、女の勘が働いたのかもしれない。


「やめろ。何人も見てきたが、成功した奴ぁ一人もいない。失敗したら()にぶち込まれる。おまえの刑期は一年だろ。我慢しろ」


 奥。

 重犯罪者区画のことだ。


 ここでは毎日掘る金鉱石で、少しだけ貨幣を融通してもらえる。

 そしてその貨幣で日用品や嗜好品、果ては行水権や減刑を求めることも可能だ。


 それがあるために、軽犯罪者区画は割と過ごしやすいし、希望もあると言える。

 がんばればちょっと欲しい物が手に入るし、刑期も短くなるのだから。


 しかし、重犯罪者区画には、そういう制度はないという。

 ただただ掘って掘って掘り続けることしか、やることがないのだという。


 淡々と言葉を連ねるブルは、本心を話しているのだろう。


 正直、意外な反応だった。

 ハイドラが来てから、リングでは常勝してきた。ブルとは何度も戦い、引き分けはあったが、負けたことはない。


 この地の獄での信頼や実績、周囲への権威を踏みにじった自分を、憎んでいるとばかり思っていたが。


 まさか心配する声を聞けるとは思わなかった。


「そんなことするわけないじゃない。また明日ね」


 ハイドラはそう笑い、ポンポンと彼女の逞しい腕を叩いた。


 ――さようなら、と念じながら。


 半ば敵対しているような相手だったが――しかし、ここに来て彼女と過ごした時間が、一番長く濃かったと思う。





「行水権をお願い」


 毎日の工夫仕事と、賭け試合での儲けで、ハイドラは行水権……身体を洗う権利を、見張りの兵士に申し出た。


「ほう、行水するのか。――どうだ? 俺と一緒に一晩過ごしたら、上等な酒も食い物も用意するぞ?」


 すり減っているボロの服は今は汗で張り付き、ハイドラのスタイルの良さを据えた汗の臭いとともに固辞している。


 無遠慮にジロジロと胸元を見る若い兵士に、しかしハイドラは堂々と、むしろ「見ろ」と言わんばかりに胸を張る。


「あら、魅力的ね。でもまずは身体を洗いたいわね。臭いし」


「……まあ、そうだな」


 こうしてハイドラは、一時的に上に(・・)連れて行かれる。


「――時間はないぞ」


「――問題ないわ」


 前を歩く若い兵士……知り合いの料理人にそっくりな彼女(・・)の言葉に、ハイドラは短く答える。


「それより視線がいやらしかったけど?」


 その言葉に、彼女(・・)は野太い声で、彼女らしく答えた。


「先輩がいやらしくてね。参考にしてみた」


「そう」


 交わした会話はそれだけだ。





 行水を終えて、地の獄に戻ってきた。


 寝る場所は、急いで作ったのだろう小さな独房だ。上下で住み分けされていて、寝るだけのスペースしかないようなただの穴である。

 前は鉄格子やカギもちゃんとあったようだが、こんな地の底では必要ないだろうということで撤去されたのだとか。こんなところもゆるめである。


 もう夜だが、深夜まではまだ時間がある。

 ハイドラは自分のスペースで横になり、思考を巡らせる。


 「素養封じの首輪」は、すでにはずしてある。

 いや、はずせるようになっている。自在に。


 軽犯罪者区画は色々ゆるいとは聞いていたが、まさか針金まで手に入るとは思わなかった。ここに来てすぐに開錠し、自分でまた装着したくらいだ。


 行水に行って、マリオンに頼んで手に入れてきたのは、愛用の開錠機器――いわゆる盗賊七つ道具の一つであるキーピックである。


 首輪程度の小さな錠なら針金で充分だが、扉となるとそれなりの物が必要なのだ。


 非常に短い行水の時間に、首輪を外して、キーピックを「圧潰膨裂(リバース)」で「圧縮」して首輪の内側に隠し、また首輪を装着した。

 毎晩のように首輪の錠を外す練習をしていただけに、もう数秒で外せるほどに慣れている。


 これまでに何度か行水に行き、上までの道順や兵士たいの配置などは、だいたい覚えた。

 今は城内の方に厳戒態勢を敷いているせいか、城外は割とゆるいようだ。脱獄するだけなら簡単だろう。


(――さてさて。エオラゼルたちは予定通り攻める準備をしているだろうけど)


 そっちの動きは、まあ読める。

 問題は。

 

(――シュレンはどう動くかな。エイルもいるなら、本当に何をするかわからないな)


 ハイドラの頬が緩む。


(――楽しい夜になりそう)





 夜は更けていく。

 あらゆる場所に潜む影が、闇と同化していくように。





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― 新着の感想 ―
[気になる点] 素養封じ、災いを呼ぶ激レアアイテムじゃなかったっけ?
[一言] 何度見ても面白い
[一言] クロスハイドでは素養封じが存在も確かじゃない物として扱われてたと思うんだけど 囚人全員につけるほどありふれた物だったの?
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