452.バルバラント王国の騒動 破
バルバラント城の敷地の片隅にある、兵士たちの宿泊施設を兼用した詰め所。
その中のとある部屋には、地下に続く階段がある。
階段の奥には独房があり、そこから更に地下に行くと、かつてバルバラントを繁栄させた金鉱脈が蜘蛛の巣のごとく多岐に広がっていた。
すでに掘り尽くされた感があり一般の工夫は入れていないものの、ほんのわずかだが、まだ金を採ることができる。
そして、現在そこでほんのわずかな金を掘っているのは、バルバラントで犯罪を犯した者たちだ。
人員への給料を出せばマイナスに傾くが、人件費のいらない犯罪者を使えばプラスになる。
小規模なものでも、また金鉱脈が見つかれば儲けもの。
どうせ工夫の費用は無料なのだから。
それがバルバラントの犯罪者の扱いだった。
金鉱脈は広く展開されており、罪の重さで区画別に区切られているのだが――
唯一の出入り口は、この兵士たちの詰め所だけだ。
罪を犯した犯罪者を通し、また刑期を終えた犯罪者を通す、関所のような場所である。
常に兵士がいるような、それも非番の兵士まで寝泊りしているような場所だけに、当然のことながら警備は厳重だ。
しかも、仮にここを抜けられても、次はバルバラント城の敷地から出なければならない。この囲いは詰め所よりも厳重である。
もし犯罪者が脱獄するならば、自由を手に入れるためには、かなりの困難を乗り越えなければならないだろう。
「――とまあ、向こうさんはそんな感じだねぇ」
「――なるほど。油断はしてない、と」
そんな詰め所の横で、一人の兵士が洗濯板に汚れ物の服をガシガシこすりつけていた。
洗濯は当番制。
ただし新入りには、下働きよろしく当番がよく回ってくる。
実に好都合なことに。
――一人でいることも不自然じゃないし、すぐ横にある植え込みの中に隠れている者とこっそり話をするのも、まったく不自然さがない。
ベナム・ベト。
兵士らしく大きく逞しい身体を持つ、一班男性と比べても大柄な男である。しかし歳はまだ十代なので、青年と少年の中間にあるような若い顔立ちである。
知る者が見れば、きっとこう言うだろう。
「あ、ベルジュだ」と。
彼は、「素養・形態模写」で化けているマリオンである。髪型や目の色こそベルジュとは少し違うが、ベルジュをよく知る者にはベルジュにしか見えない。
「――状況、厳しくない?」
そして、植え込みの中に隠れているのは、「影猫」で姿を消したトラゥウルルである。
二人の接点は、この場所とこの時間だけだ。
マリオンは、トラゥウルルが普段王城のどこに潜んでいるかを知らないし、トラゥウルルもマリオンに必要以上の干渉はしない。
二人は、簡単に言えばバルバラント城に潜んでいるスパイなので、怪しまれる言動は極力避けているのだ。
もちろん、どちらかが捕まる時は、見捨てる約束となっている。
どちらも捕まったら、それこそ本当に助かる芽がなくなるからだ。
「――厳しいな。だがリッセが来たなら、なんとかしてくれそうだ」
暗殺者を育成する孤児院では、リッセは常にトップだった。優秀な彼女がいればどんな不可能も可能にしてくれそうだ。
「――そうだねぇ。それにエイルもいるしねぇ」
マリオンはいまいちあの0点のメガネのことはわからないので、それにはなんとも言えないが。
塔ではあまり接点がなかったし、さほどキレ者という印象もない。
なんだかんだで一緒に馬車を襲ったりもしたが、可もなく不可もなかった気がする。
まあ、ハイドラやシュレンが一目置いているのだから、できる奴なのだろうと思うだけだ。
「――でも、内乱は攻めてくる前に必ずバレると思うよ」
「――それも想定済みだろう? ここまで来た以上、中止はない」
作戦実行は、今夜だ。
今夜、マリオンとトラゥウルルは、ハイドラと共に王城に侵入し、「王冠と指輪」を頂戴する。
トラゥウルルの報告は、これで最後になる。
どうやっているかはわからないが、彼女は王城内に出入りし、いろんな情報を拾ってくる。
そしてそれをマリオンに伝え、マリオンから地下のハイドラに伝えられるのだ。
――前王妃の血縁関係にあるモンティ侯爵が、密かに傭兵を動かし出したことは、王位継承権二位の第二王子には筒抜けだった。
ダスティオーブ・レイブルー・バルバラント。
母親の第二妃による、我が子を王にしたいという野望を旨に育てられたせいで、すっかり野心家となった第二王子。
「やっぱりハイドラの読み通りになってきたみたいだねー」
「ああ」
返事をしながらマリオンは、パン、と洗った服を勢いよく広げる。
「――アシックを殺る気だな」
ダスティオーブは、城下町の警戒を強めると共に、密かに城内に戦力を集めているそうだ。
いつ戦闘が起こってもいいように、戦闘力の高い騎士たちに城に詰めるよう指示を出し、それを維持している。
こうなると、ハイドラの予想通りなのだろう。
王位継承一位、正当な次期国王であるアシックザリアの襲撃を待ち構え、その戦いで亡き者にしようとするかもしれない――というのがハイドラの読みだった。
恐らくダスティオーブは、今アシックザリアがどこにいるかも把握しているのだろう。
その上で、待ち構えている。
戦争には金が掛かる。食料がいる。兵力がいる。
アシックザリアが、それらを満足に用意できないことを知っていれば、内乱は少人数で、短期決着を狙うことは目に見えている。
それも、維持費がないのであれば、仕掛けてくるタイミングも早いと読めるはず。
更に言うなら、国王がまだ生きている間にどうにかしないと取り返しがつかないことになるので、それも急ぐ必要があるのだ。
腹の中まで誘い込んで、逃げられないようにして、確実に殺す気だ。
それでダスティオーブは、堂々と玉座に座れるのである。
「影たちはなんと言っていた?」
影は、城下町で活動するシュレンのことである。念のためのコードネームだ。
昨日の夜、トラゥウルルは彼らと、最後の通信を交わす予定となっていた。
「――こっちはこっちで動くって。それ以上詳しくは教えてくれなかったよ」
ならばいい。
ハイドラたちの行動と、エオラゼルの内乱は、確実に起こることである。
しかし、そこに第三勢力とも言える影たち――シュレンたちがどう介入してくるか。介入した結果どうなるか。
何を目的にどう動くかさえわからないが――
「――いよいよハイドラが言ってた通りになりそうだねー」
そう、ハイドラは言っていた。
「どんな形であれどんな目的であれ、彼らが関わるならそう悪い方には転ばない」と。
「――あ、一つだけ頼まれたっけ」
「頼まれた?」
「――南東の塔の一番上の窓を開けといてくれ、だって。そこから侵入するつもりかな? でも南東の塔の一番上の窓って、伝書鳩の出入り口しかないんだけど……あそこ、人は通れないと思うけどなぁ」
それは、とマリオンが口を開きかけた時、
「ベナム! 洗濯終わったか!?」
「――はっ! まだ途中であります!」
のっしのっしとやってきた先輩兵士に、洗濯中のマリオンもといベナムは敬礼して答える。
「まだやってんのか! 手伝ってやるからさっさと終わらせて飲みに行くぞ! 今夜は夜勤だから今飲んで休んでおくんだ!」
「――はっ! お供します!」
厳しくて優しいこの先輩兵士は、新人兵士ベナムをとても可愛がってくれた恩人である。
今夜裏切って消えることを考えると、少しばかり気が重いが――
「次の給料日は綺麗どころのいる店に連れて行ってやるからな! もう、こう、すごい……すっっっっっごいおっぱいの女がいるんだよ! あれは窒息死したくなるぞ! もうぼいんぼいんとかそういうレベルじゃないからな! もう、すっっっっっごいからな!」
「――はっ! 窒息する覚悟をしておきます!」
いや、気のせいだった。
こんなどぎついセクハラを大声で堂々と話せる男を裏切ることなど、気が重くなるわけがない。
すでにトラゥウルルは消えていて。
マリオンも、新人兵士ベナムに戻って、どぎつい先輩兵士と一緒に時を過ごす。
夜はもうすぐである。




