451.バルバラント王国の騒動 序
「さすがだね。本当にさすがだ」
邪悪な木像での通信を終え、エオラゼルは椅子の背もたれに寄り掛かる。
モンティ侯爵家の一室に構えた作戦会議室に、少しの沈黙が訪れる。
ついさっきまで、一言も聞き逃せない作戦内容の通達があったせいで、少し頭を休めているのだ。
どう考えても、一人では荷が重かった。
ハイドラたちがいても、単純に手が足りなかった。
――ならば、同期たちが集まったら?
そんなハイドラの提案に乗って、陽が昇り沈んでいく回数を、恨みがましく数えながら過ごした。
そんな時に、集まってくれた。
たまたまバルバラント方面にいたフロランタンは、すぐに合流して動いてくれた。
今できることはないので、彼女は自分なりに動くと言って、あっという間に王都に馴染んでしまった。
そんな彼女が作った土台に、シュレン、サッシュ、ベルジュ、エイル、そしてリッセにハリアタンが集まってくれた。
今自分の傍にいるのはサッシュとベルジュだけだが――
「ギリギリだったな。エイルとリッセがいりゃいい計画を立ててくれるだろうとは思ってたけどよ。ハラハラさせやがって」
「そうだな、かなりギリギリだった。これから動くとなると、少しも時間を無駄にできんな」
エオラゼルと一緒に作戦内容を聞いていたその二人は、微塵も疑うことなく、その作戦通りに動くことを、すでに決めているようだ。
確かに、現状打てる最高の手であるのだろう。
いや――限られた短い期間と少ない手札で、よくぞここまで考えたと言うべきだろう。
少なくとも、エオラゼルとハイドラたちでは、どう考えても手詰まりだった。
打開策が見いだせなかったこの状況に、勝算という勝利の道筋が生まれたのである。
それは、確率的には圧倒的に低く、見失うこともあるかもしれないか細い道かもしれない。
しかし紛れもなく、勝つ確率に繋がっている道である。
「じゃあ早速動くか。おまえらは朝から行軍して、夜までにバルバラント王都付近の森に隠れるんだよな?」
「ああ。夜に舞う美しい蝶が羽を休めるように、そっと隠れるつもりだよ」
「では、やるならそこだな?」
「カロンから教わった薬を試す時が来たようだ」と、ニヤニヤしながらベルジュは立ち上がる。
「おまえ抵抗ねえの? 自分の料理に毒入れるとか」
「何、毒もまた調味料だ。うまい毒なら俺はなんとしても食えるように調理法を探すさ」
「……おまえ、『素養』的に毒が効きづらくてよかったな」
それは果たして「よかった」と言っていいものなのか。
やるべきことを与えられたサッシュとベルジュが、さっさと作戦会議室を出ていく。
「……はあ」
ここのところずっと張り詰めていた緊張が緩み、ふっと身体から抜ける。
いつもの王子様然としたエオラゼルの凛々しい顔に、深い疲れの色が滲む。
――重かった。
最初は一人でやるつもりだったが、とてもじゃないが王位継承問題なんて一人で背負えるものではなかった。
自分一人が失敗して死ぬならまだいい。
ただ、他人の命の重さは、自分の物とは比にならないくらい重かった。
厄介事に巻き込んだ気がして恐縮だが――声を掛けた同期たちが集い、重すぎる荷物を一緒に背負ってくれた。
涙が出そうなほどに嬉しかった。彼らの誰に抱かれてもいいくらいだ。
ついさっきまで大きく心を占めていた、不安や心労がなくなっている。
その代わりにあるのは、同期たちへの感謝の念だ。
――彼らが動くなら心配はいらないと、すでに思ってしまっている。
これからが本番で、むしろこれからもっと気を張らねばならないのに。
今はただ、事が終わった後、彼らに感謝のキッスを振りまくことしか考えられない。
コンコン
そんな気の緩みは、ノックの音と同時に、また心の奥に沈めておく。
「どうぞ」
入ってきたのは、エオラゼルの弟にして第一王位継承権を持つ、アシック――アシックザリア・レイブルー・バルバラントである。
「兄上……」
不安そうな顔をしている自分そっくりの弟に、エオラゼルは笑いかける。
「大丈夫だよ。僕の友達が動いてくれる。僕よりずっと頼りになる者たちだ」
最近まで知らなかった、己の弟。
バルバラント王国の王族に連なる血縁関係。
――小さい頃から、どこぞの王族の出だとは聞いていた。いずれ国に戻る時に備えて力を付けておけと言われ、そのまま鍛えてきた。
どこの王族かは知らなかった。
なんとなく嘘かもしれないとも思っていたし、本当であっても今更どうでもいいとも思っていた。
物心ついた頃には孤児院にいたのだ。
元々なかった王族としての暮らし、身分ある者の暮らしになんて、未練があるわけがない。
正直、最近はそのことさえ忘れていたくらいだが――バルバラント王の体調が崩れたことで、ようやく過去を知る機会を得た。
まあ、今更大して気にもしていなかったことだが。
バルバラント王が自分の父親であること。
エオラゼルの母親である王妃は、次男を生んだ後に亡くなっていること。
次期国王となるべく教育を受けてきた、己の弟がいること。
そんな次期国王である弟が、第二妃の子供に出し抜かれてm王城から追い出されたこと。
――関わるつもりはなかったが、単純に自分の血縁というものに興味があったので、己の弟にして王城を追い出されたアシックザリアという王子を探した。
そして、ここモンティ侯爵家で出会ったのだ。
ただの興味本位だったが、一目見てお互いがすぐに理解した。
それほどまでに、エオラゼルとアシックは、顔立ちがとても良く似ていたのだ。
アシックの顔を知る者がエオラゼルを見たせいで、行方不明の王子が帰ってきた……などという噂が少しだけ立ってしまったほどである。まあ、すぐに立ち消えしたが。
アシックも「生き別れの兄がいる」という話は聞いていたようで、すぐにエオラゼルの存在を認めた。
公の場では難しいかもしれないが、今はモンティ侯爵の庇護下に隠れている身だ。今の状況で厳格な態度など必要ない。
二人は話をした。
いきなり意気投合……というわけにもいかなかったが、お互い穏やかな性格をしているだけに、打ち解けるのにそう時間はいらなかった。
そこで、エオラゼルは聞かされる。
顔も知らない母親が、ずっといなくなった長男――エオラゼルの心配をしていたことを。
父親も、決していなくなった長男を、忘れているわけではないということを。
エオラゼルとて馬鹿じゃない。
どうして自分がバルバラント王都ではなく、ナスティアラの孤児院にいたのかを、察せないわけがない。
――そして、このままでは遅かれ早かれ、しかし必ず、アシックは殺されることも、察しがついた。
王位を狙うつもりはない。
だが、まだ物心つく前の自分を追い出したのであろう第二妃には、それなりのお礼はしてやりたい。
エオラゼルが、アシックの味方をすると決めた理由は、その辺にある。
「大丈夫だよ、アシック。今夜の王城制圧作戦は必ず上手く行く」
どうにもエオラゼルより繊細な弟は、いよいよ始まる内乱を前に、精神的に参ってしまっているようだ。
当事者なら無理もない。
エオラゼルでさえ重く感じているのだから。
「でも、兄上……私には王位継承権を証明する冠と指輪が……」
「それもなんとかするよ」
内乱に関しては気が重いが――そちらに関しては一切心配していない。
ハイドラなら必ずやる。
この直後、アシックは己が第一王子という旗を掲げ、モンティ侯爵領に集めた百名の兵士とともに移動を開始した。
傭兵たちは、すでに各地に散っており、今夜同じ場所に集まることになっている。
この内乱の参加人数は、二百名もいない。
食料や金銭の関係から、機動力に掛けているからだ。
――今夜始まり、どんな結果になろうと今夜終わる予定なのである。