443.メガネ君、状況を把握して動悸が激しくなる
「――おう、来たか。今夜はもう大丈夫じゃけぇ」
「ゆっくり話そうや」と、フロランタンはガラス戸の棚から高そうな酒瓶と、透明度の高いグラスを二つ出してきた。
もう夜の店さえ寝静まった深夜である。
日中にやってきたカジノのオーナー室で、再びフロランタンと会うことになった。
「フロランタン、酒飲めるの?」
「ん? 強いで?」
まあ、強そうではあるけど。
「こっちの世界では飲めんと話にならんけぇ。嫌でも慣れるわ。まあ元々強かったけどな。……あ、エイルは飲めんかったか?」
「いや、少しだけなら」
「ほうか。なら飲もうや。酒のあてにええ干し肉も用意したけぇ」
…………
「なんというか……やっぱり完全にそっち側の人になったの?」
暗殺者育成学校では唯一の年下で、とても肉が好きな凄味のある素朴な子ってイメージだったのに。今ではすっかり高級志向というか。高級品しか身近にないというか。
「なっとらんわ。今だけじゃ」
フロランタンは細々用意して並べ、昼のようにローテーブルを挟んで座る。
目の前には飲んだことがないほど高い酒とグラス、そして脂の差しが細かく非常に柔らかい干し肉がある。
どれも高そうである。
というか高いだろう。
そんな高そうなグラスに、高そうな酒が無遠慮に注がれる。ああもう結構です。そんな並々いらないです。怖いです。
……この一杯だけで、俺の稼ぎ一週間分くらいありそうだ。大切に飲もう。
「ほれ、うち『見える』じゃろ? ここの元ボスの霊が見えてもうてのう。その関係で代行を頼まれたんじゃ」
見える?
…………あ、あれか。
「霊が見えたり憑いたり?」
いつだったか、フロランタンの身体から子供の霊がぶわっと出てきたことがあった。確かそれでサッシュが気絶したんだよな。あいつは闇への耐性が低いみたいだから。
「うん。実はうち、『素養』が二つあるみたいでの」
それは知っていた。
正確には疑っていた、か。
「もう一つのことは、あの学校を卒業した直後に、ソリチカに教えてもろたんじゃ。
なんでも『冥界の導き手』ぇ言うらしいわ。死者の魂が見えたり、声が聞こえたり、意志の疎通ができたりするっちゅうやつらしい」
…………
「そういうのは言わなくていいよ」
というか初めて「視た」よ。「二つの素養」を持つ者。二つ「素養」が並んで見えている者。
そういえば、冒険者の街ハイディーガで会ったザント教官も、「素養」が二つあるみたいだったな。
俺が言うまで本人も知らなかったみたいだけど。今は判明しているのかな。
「何言うとんじゃ。エイルに隠すようなこと、うちにはないわ。われのことは信じとるけぇ。なんでも話せるわい」
……ああそう……
その気持ちは、嬉しいと思うより先に、重く感じるなぁ。
俺は隠し事ばかりだし。別に信用してないわけじゃないけどさ……でもあえて話す必要もないだろと思うし……
「まあ、うちの話はええか。それよりハイドラの話じゃ」
…………
うん、まあ、フロランタンの話も結構気にはなっているが、まずは本題からだな。
「とりあえずの前知識を入れとくわ。ハイドラはあの学校の卒業後、盗賊団を作りたかったらしいわ。うちも誘われた」
盗賊団。
ああ、なるほど。
「ハイドラらしいね」
俺が最後に彼女と話したのは、竜人族の里に発つ直前。
ブラインの塔で、彼女自身の「素養」を語った時だった。
「私、将来は…………いえ、まだこれは話すべきではない」
「あなたには死んでほしくないの。絶対に生きて帰ってきてほしい。できることなら調査よりも、自分や仲間の身を優先してほしいくらい」
「さっき、セリエを戦友と呼んだわね? ――私もいずれあなたの戦友になりたいと思っているわ」
……と、言っていた。
訳ありにしか見えなかったから、ちょっと印象深くて記憶に残っている。
――私、将来は盗賊団を作りたいの。
――私もいずれあなたの戦友になりたい。
あの時言いかけた答えは、言葉の真意は、これか。
あれは、俺もハイドラの盗賊団の一人に入れたい、という意味だったのだろう。
「それで? 盗賊団に誘われて、フロランタンはどう答えたの?」
「断ったわ。こっそり物盗むのは性に合わんし、そもそもうちは不器用じゃけぇ、きっと仲間の足を引っ張る。だから無理じゃ言うた。そう言ったらすんなり引いたわ」
それはきっと、ハイドラもフロランタンの言い分を素直に認めたからだろう。
俺もすんなり断る理由が飲み込めたから。
フロランタンは、「自分の素養」さえ上手く扱えなかったから。
今はどうだかわからないけど、二年前は色々と気を遣って生活していたのを覚えている。
「まあ、向こうも『死んでも口を割らなそうだから』くらいの軽い気持ちじゃったみたいじゃけぇ、お互いこれでよかった思うわ」
あ、確かにフロランタンは口割らなそう。うっかりミスはやりそうだけど。
「話を戻すけんど、ハイドラはその盗賊業のために捕まったんじゃ」
…………
「ちなみに、何をして捕まったの?」
「このバルバラント王都の国営カジノで、如何様やって捕まったんじゃ。ここちゃうぞ。もっとデカくて流行っとるところじゃ」
……ははあ、なるほど。
「だから君やシュレンは手伝おうと思ったの?」
「――さすがじゃの、エイル。この話を聞いて、シュレンも同じところで手伝うことを決めよったわ」
気づかないわけがない。
あのハイドラが、国営カジノでイカサマをして、捕まる。
全部不自然だから。
ハイドラなら、金が欲しいだけならカジノのイカサマなんて手段は選ばない。
イカサマがバレるような失敗もしないし、失敗をした時のための保険も用意する。
どれを取っても、彼女のやったことにしては杜撰で軽率、そして無計画。不自然極まりない。
ならば答えは一つだ。
「ハイドラはわざと捕まったんだね? 死刑にはならないけど、確実に実刑を食らう程度の犯罪で」
「ついでに言うと、この方法なら誰も血を流さんからじゃと。――あれはそういう盗賊団を作りたいそうじゃ」
ふうん。
そうか、わざと捕まったか。
ということは、だ。
「やっぱり俺やシュレン、フロランタンも、ほかのみんなも、呼んだ理由は脱獄の手伝い以外にあるんだね?」
「そうじゃ――と言いたいところなんじゃが、そこがちょいとややこしくてのう」
え? 違うの?
「エオラゼルのことは覚えとるか?」
「エオラゼル? あの剣を呼び出す『素養』の?」
彼の「聖剣創魔」は登録してある。あれは非常に使い勝手がいい「素養」だ。
「うん、そいつじゃ。そいつな――」
ぐっと酒を煽り、フロランタンはさらりと言った。
「――フルネームが、エオールゼリシア・レイブルー・バルバラント言うらしくての。まあ要するにこの国の王子様じゃったみたいでな」
王子。
エオラゼルが王子。
ブラインの塔で出会い、海辺で一緒に貝とか鍋とか食ってたあいつが、王子。
……やばい。なんか急に動悸が激しく……
「ちょっと待って。じゃあこの話、もしかして王位継承問題に関わるものなの?」
「な? 複雑そうじゃろ?」
…………
「さすがエイルじゃ。微塵も動揺せんとはの。うちこの話聞いた時、すべてをかなぐり捨ててでも帰りたくなったで」
俺もだよ! 表に出てないだけだよ! 話が大きすぎるだろ!
……降りたいな……ひっそり帰ろうかな……




