438.メガネ君、五日目の朝に到着
街道に添って走っていくと、家のような建物が見えてきた。
近づくと、星空の下にはっきり見えた。
村である。
俺の田舎といい勝負しそうってくらいの、小規模な集落である。
もう真夜中だけに、見える明かりは出入り口に立つ門番のための火くらいのものだが、火があるなら人はいるだろう。なんらかの事情で捨てられた村というわけではあるまい。
「ネロ、またあとで」
大きくて可愛い猫というだけではあるが、それでも見た感じ魔物魔物しているので、人前では出さない方がいいだろう。ネロを魔物呼ばわりしたり化け物扱いする人間を俺は心底軽蔑する。できれば心底軽蔑はしたくはない。
召喚を解除して、村に近づく。
「――誰だ!?」
きちんと仕事をしている門番が、俺を発見して大きな声を上げた。近くで待機していたのか仮眠していたのか、もう一人出てきた。
「旅の者です。バルバラントに行く途中で迷っちゃって」
二人の門番の前に、両手を見えるように上げながら近づき、お互いギリギリで顔が確認できる程度の距離でそう言ってやる。
「村に入れろとは言わないんで、バルバラントの方角だけ教えてもらえませんか?」
方角自体に間違いはないはずだ。
あるとすれば、若干ズレているくらいのはず。それを確かめたい。
「……街道沿いに来なかったのか?」
二人してひそひそやったあと、そんな質問をしてくる。
「ちょっと時間がないもんで。ナスティアラ王都方面から森を抜けて、モンバックの崖を降りてきたんですけど」
「は!? モンバックを降りてきたのか!? あの崖を!?」
あの崖と言いながら、左の門番がどこぞを指を差す――かなり高い崖だったので、ここから見えるのだろう。まあ夜だから今は見えないけど。
「怖かったです」
「いやいやいやいや。普通無理だから。怖いじゃ済まないから」
まあ、現実的ではないとは俺も思う。
ただロープの切れ端や杭を打ち込んだ痕跡もあったので、一部の人は昇ったり降りたりしていそうだ。――こっちの関係者とか。
「バルバラントはこのまま街道を行けばすぐだ。半日も行けば関所があるよ」
あ、そうなんだ。よかった、やっぱり大きくズレてはいなかったか。
「ありがとう。どうもお邪魔しました」
こんな夜中に知らない奴が来たら、警戒もするだろう。同じ小さな村出身としてはよくわかる警戒心だ。
さっさと立ち去ろうとしたのだが、
「ちょっと待った」
なぜか止められた。
「あんたバルバラントの現状知ってるのか? もし知らないなら、今は近づかない方がいいぞ」
…………
「なんで?」
さすがにちょっと気になった。これは聞き逃さない方がよさそうだ。
「村には入れられないが」と、門の前に椅子と温かいお茶を出してもらい、三人で向かい合う。……お、このお茶甘い。
「変な味だろ。この村で作ってる鋼てん菜のお茶と、その鋼てん菜で作った砂糖が入ってるんだ」
近くで見ると、門番二人は思ったより若かった。
二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。
武器こそ持ってはいるが、普通の村人って感じである。――田舎の村人は、主要都市にいるような兵士には頼れないので、意外と戦える人もいるんだよな。
「鋼てん菜か……名前は聞いたことがあるけど、あまり馴染みはないなぁ」
「あんたが来た王都付近は、大葱が名産なんだよな? 一度食ったことがあるけど、あっちの大葱ってうまいよな」
うん。あれはうまい。
村にいた時は毎日のように食べていたから、食卓にあるのが当然だったが。
暗殺者育成学校に行くに当たり、日常から消えた頃から、妙に懐かしくて恋しくなった。
よその土地で育てた大葱も悪くはなかったが、ナスティアラの大葱の味とは全然違った。
あれはもう、何物にも代えがたい、俺にとっての故郷の味なんだろう。
……って田舎と野菜の話はいいんだよ。田舎者同士で盛り上がりそうではあるが、今はそういうのはいらない。
「それで、バルバラントがどうしたって?」
これから行く場所である。
情報があるならぜひ仕入れておきたい。
「この村は、一応ナスティアラの端っこの方にある。でも土地柄はバルバラントに近い。土地も大葱より鋼てん菜の方が育てやすいしな」
「バルバラントの国境はすぐ近くだから、色々とわかることもあるんだ」
なるほど。
「親父や年寄りどもは、どうも反乱が起こるんじゃないかって心配しててな」
は? 反乱?
「戦争?」
「いや、そこまで大きくはならないはずだ。大きくなれば周辺国も黙ってないだろうから。周りが介入する前に決着が着く程度の小規模だろう、って言ってた」
…………ふうん。
「反乱の理由って、王位継承問題とか?」
「詳しくはわからないんだ。
ただ、最近バルバラントの食料の集め方が露骨に変わったし、傭兵なんかもちらほら村の近くを通るようになってな。何かありそうだって話になってる」
うん、それはありそうだ。
食料に傭兵を集める理由なんて、それこそ戦争とか、大物の魔物を狩りに行くとか、大規模な討伐作戦が動き出すとか、そんな感じではなかろうか。
「なんか不安にさせてごめんな。確証はないんだ、本当は何もないかもしれないし。
ただこの村は国境のすぐ傍だから、どんな飛び火があるからわからない。だからどうしても警戒しちまう。でもって俺たちより若いあんたも心配でな」
気持ちはわかる。
隣に座っている奴がいきなり武器の手入れなどをし始めたら、俺だって警戒する。彼らの言い分はもっともだろう。
「教えてくれてありがとう」
心配してくれたことも感謝だ。
心の準備ができたのは、本当にありがたかった。何もわからないまま荒事に巻き込まれると困る。
何もなければそれでいいが、何かあった時の問題が大きすぎるしな。
反乱。
戦争の気配。
――もしや……ん?
「馬?」
かすかに馬の足音がする。
数頭が、こんな時間に街道を走っている。
「ん? ……あ、本当だ。聞こえるな」
俺だけじゃなく、門番二人も気付いた――ん?
村の近くに来た。
途端に、馬の足音が止まった。
ガシャガシャと金属音を鳴らしながら、四人の武装した男たちがやってくる。
「な、なんだあんたら?」
門番二人に緊張感が漲り、俺そっちのけでやってきた男たちに向かう。
「我々は傭兵だ。食料を買いたいのだが」
「……悪いけど、売るほどはないよ。先日バルバラントのモンティ様が、出せるだけ売ってくれって言ってきたからね」
「だが引き取りはまだだろう? そして支払いもまだだ」
――あ、これはまずいな。
「モンティ伯に渡す前に、我々が頂戴する」
「大人しく渡せば危害は……ん? なんだ小僧?」
俺は立ち上がり、傭兵たちの横手に立った。
「いや。後ろの人が剣を抜きそうだったから。怖いなと思って」
どこまでやるつもりだったのかはわからない。
脅しだけだったのかもしれない。
でも、どれにしたって、真っ当な用事じゃないことは変わらない。
同じ田舎の村出身としては、あまり看過はできないし、したくない。
「――俺、嫌いなんだよね。田舎を襲う奴って」
そう言いながら、俺は消えた。
「「え……!?」」
門番も、傭兵たちも、全員の声が重なる。
――うん、やはり「素養・影猫」は夜使うと効果が高いな。本家は本当に「透明化」するが、俺の半端な再現でも夜なら通用する。
「消えた」状態で、離れた場所の木に繋ぎとめてある馬の傍まで移動し、縄をほどいて尻を叩いて追い払う。
「あ、おい! 待て!」
嘶きを上げて走り出す馬を見て、傭兵たちは馬を追う。
どんどん村から離れていく。
――さあ、狩るか。お茶と情報のお礼だ。
村とは一切関係ないところまで移動させた上で、男たちを気絶させて縛り上げて、身ぐるみを剥いでおく。
懐に入れたら強奪になるので、武器と防具とお金は適当な場所に捨てておこう。
万が一にも足が付くと困るしな。
さて行くか。
確か、もう国境が近いと言っていたな。
五日目の早朝、俺は国境を越えて岩窟王国バルバラントに到着した。