436.メガネ君、旅立つ
――ハイドラの様子を確かめに行く。
迷いこそしたが、決めてからは早いものだ。
まずは旅立つことを関係者各位に知らせておかねばならない。
「え? 今すぐは困るよ?」
まず、本日三回目となる狩猟ギルドに行ってやる気のない受付嬢に告げると、まあ予想通りの回答が来た。
わかっている。
あと数日ではあるが、オロ雉を毎日納品する契約仕事の期間が終わっていない。
「なんとかならないかな? 他の人に引き継ぐとか、前倒しで納めるとか」
その上での相談である。
何かしら仕事を短縮する方法があるのではないかと思い、真っ先にここに来たのだ。
「ああ、そういうことね……何? 旅ってどこにいくの?」
「詳しくはまだわからないんだけど、困ってる友達が呼んでるみたいで」
行くか行かないかを決めてからじゃないと……いや、行くと決めてからじゃないと、詳しい話は聞きたくないからな。
知った時点から何事かに巻き込まれるケースって、意外と多いから。
「その友達って女?」
「…? そうだけど」
「美人?」
「……まあ、美人だったかな」
「ああそう。…………ちなみにエイル君、年上の女ってどう?」
「どうとは?」
「――あ、もういいです。脈がないのがはっきりわかりましたからもういいです」
なんだかよくわからないが、何かを納得できたようだ。
「てゆーか知ってた。元から知ってた」
はあ、そうですか。……何の話だ。なんか非難げに見られているんだが。
「いつか言ったと思うけど、王都には毎日狩りに行くような本職の狩人はもういなくてね。だからこそエイル君に需要があったんだ。レストランからもまた契約の話が来てるよ」
また仕事があるというのは嬉しいが、まあ、それは今はいいとして。
つまり、誰かに引き継いでもらうのは難しいってことか。
……実力的な意味なら、この人もきっと雉くらい狩れると思うんだけどな。まあできない理由もあるのかもしれないが。
「納品の前倒しは無理かな? 明日五羽とか六羽とかまとめて納めるとか」
「それは先方に聞いてみないと、私からはなんとも言えない。ほら、扱う物が物だから。鮮度とか関わってくるから下手なこと言えないし」
そうだな、それはわかる。
どんな料理になって供されているかもわからないし。燻製系なら日持ちしそうだけど、俺もよくわからない。
「確かめてもらえる? できるだけ早く出発したいから」
「了解。明日の納品の時までに聞いておくから」
狩猟ギルドはこれでよしと。
「あら。旅に出るの?」
次に向かったのは、ジョセフの店である。
やはりこういう話をするのは、仕事先が優先である。
「いいんじゃない? メガネ君はまだまだ若いんだから、落ち着いちゃダメよ。いろんなことをしなきゃ」
俺としては、落ち着いて静かに暮らしたいとも思うんだけどね。
「いっぱい経験して、恋をして、男を知って。そして男は一人前の男になるの……今もステキだけど、もっとステキな男になってね、メガネ君☆」
…………
今の発言は忘れることにしよう。
「で、少なくともあと一日か二日は王都にいると思うんだけど、旅の道具類を揃えてもらいたいんだ」
店を巡って一つずつ買うのも悪くないが、この店で働いていた者としては、ジョセフの店の道具類は信頼できる。品質もいい。
ジョセフが揃えてくれるなら非常に助かるのだが。
「もちろんいいわよ! おねえさんに任せなさい!」
うん。
ジョセフはおねえさんじゃないとは思うけど、任せることにする。
「えっ。旅に出るの!?」
今度は、最近は姉もろとも俺もお世話になっている「夜明けの黒鳥」の住処へ。
「急にそんな……ちょっと入りなさいよ! みんないるから!」
倉庫街にある「黒鳥」の元を訪ねると、最近よく食事だの飲みだのに行っている魔術師見習い……いや、もう一人前の魔術師となり王都でも二つ名で呼ばれ出した「大罪のライラ」が、俺の服を引っ張って中に引きずり込んだ。
なんだよ。伝言だけでいいのに。
中では、全員ではないが、なかなかの「黒鳥」の主要人物がのんびり過ごしていた。今日は雨なので、冒険者家業は控えているのだろう。
えーと、赤い頭巾の副リーダー・アネモアと、双剣のベロニカと、長弓使いのアインリーセと、俺にとっては裏の知り合いでもあるオールドブルー。
それとライラか。
男性はオールドブルーだけである。女性率が高いな。
「皆さんこんにちは。姉も俺もお世話になっています」
とは言ってみるものの、もう誰も彼もが今更言うなって感じである。
王都に定住して一年。
仕事明けの飲みだの飯だの、「黒鳥」のメンバーにはものすごくよく誘われてきた。若い身で一人暮らしは大変だろうと俺に気を遣って、食事をおごってくれた人たちだ。
優秀な冒険者チームだけに、メンバーはよく王都を留守にしているが、帰ってきたら代わる代わる連れて行ってくれた。
まあ、一番多いのはやはり姉と、同郷のレクストンと、姉と仲が良いアインリーセと、なんだかんだ歳が近いライラかな。グロックはアネモアに「エイルを誘うな」と厳命されたらしく、最近はめっきりだ。
リーダーのリックスタインやアネモアにも、高そうな店に何度か連れて行ってもらったっけ。
彼らには本当に頭が上がらない。姉もろとも。
「どうしたの? 旅がどうとか聞こえたけど」
ライラに勧められるまま椅子に座らされると、アネモアが聞いてきた。
暇そうに自分の武器の手入れだのカードだのしていた面々が興味深そうに俺を見る。姉がいないのは幸いと見るべきか。
「はい、ちょっと王都を離れる用事ができまして」
狩猟ギルドの受付とジョセフは裏の関係者なので多少は話せたが、「黒鳥」は違うのであまり事情は離せない。
友人の脱獄を手伝うかもしれない。
うん、言えないな。
「え、なんだ、どこに? どれくらい? ひ、一人でか?」
いつも落ち着いているベロニカが、なぜだかひどく動揺しているのが気になるが。
「まだわからないけど、一人ではないですよ。どれくらいになるかもちょっとわからないですね」
サッシュたちと一緒に行くかもしれないしな。
「……ま、まさか、婚前旅行……!?」
婚前?
「聞いてないわよそんなの!?」
「今言いに来たからね」
というか、ライラに怒られる理由はないと思うんだが。
「落ち着きなさいよ。――でも用事は気になるわね?」
え?
「気になりますか?」
それこそ、いつも冷静沈着で、人の事情には深く踏み込まないアネモアが気にする理由はないと思うんだが……
「あら、気づいてなかったの? 『黒鳥』はエイル君の腕、狙ってるのよ?」
腕。
……ああ、そう。
「俺、冒険者はちょっと」
王都一の冒険者チームに目を付けられるのは光栄だとは思うが、俺は相変わらず冒険者は向いてないと思っている。
「だからゆっくり攻めてるの。大きな獲物を狙う時は焦らないでしょ?」
…………
やっぱりここの連中は怖いなぁ。飯も酒も、完全に善意ってわけではなかったと。全然気づかなかったよ。
「それと一応言っておくけど、違う意味でも狙ってる人がいるからね。何事にも油断しない方がいいわよ?」
違う意味?
……いまいちよくわからないが、何事にも油断するな、か。優秀な冒険者の言葉だ、精々気を付けることにしよう。
主立った方面への挨拶を済ませ、改めてベルジュと合流し、ようやく二日酔いが治ってきたというサッシュの宿を訪ねて詳しい話を聞く。
「定職に着いてる奴いるだろ? リオダインとかカロンとか。そいつらには声を掛けないでおこうと思ってるんだ」
それは賛成だ。
いる場所はわかっているし、彼らの休みに会うこともあるが、でもいつでも会えるような場所ではない。
国の研究施設で、毎日のようにいろんな実験や研究をしているそうだから、それこそ旅に出るなんて無理だろう。時間を作ることも難しいはずだ。
「場所は――」
必要な情報を話すと、サッシュは逆立てていない青髪を掻き上げる。
「ベルジュ、明日の朝には出ようぜ。ここに用事はないだろ?」
「わかった。しかしエイルは仕事が残ってるんだよな」
「うん。早ければ明日だけど、長ければ数日は動けないと思う」
「じゃあおまえは後から来い。ハイドラの状況がわからねぇ以上、急いだ方がいいだろ」
同意である。できるだけ急いだ方がいい。
翌日、サッシュとベルジュは王都を発った。
俺の旅立ちは、それから二日後だった。




