434.メガネ君、一人寂しく寝る
――ハイドラが投獄された。脱獄を手伝え。
…………
ハイドラが、投獄?
また懐かしい名前が聞けたと思えば、驚くべき現状まで聞かされてしまった。
でも不思議と意外な気はしない。
きっとブラインの塔にいた頃や、一緒に馬車を襲撃したあの辺りで、「あ、こいつやりそうだな」「結構悪い奴だな」と思い知っていたからだろう。
ハイドラは悪い奴だ。俺はそれを知っていた。
「なんで?」
「知らねえ」
「あいつは何をやったんだ?」
「わかんねぇよ。マリオンから手紙が届いてよ、とにかく手伝ってくれそうな奴に声を掛けてくれって言われてよ」
ほれ、と、サッシュは一通の手紙を出した。読んでみろと言いたいようだ。
ベルジュより先に読ませてもらうと、内容は手短だった。
――シスターが地下墓地に行ったまま帰って来ないので、共に迎えに行ってほしい。信の置ける仲間、というか暇そうな同期に声を掛けて呼んできてください。
なお、東洋の少年と0点のメガネはシスターのご指名なので、ぜひ連れてきてください。
あとこの手紙は、用件を済ませたら確実に処分してください。来てくれたらお礼はするよ。 変装名人より――
一瞬よくわからなかったが、すぐに思い出した。
そうか。
ブラインの塔の座学で「これは一例だが」と習った、暗号や隠語で伏せられているのか。
確か「墓地」は「牢屋・牢獄」だ。サッシュの認識で合っている。
それと個人名を書いていないのも、習った通りだ。関係者にしかわからないようになっているのだ。
教室は別だったけど、この辺は授業内容が同じだったようだ。
「東洋の少年」はシュレンで、「0点のメガネ」は俺か。セリエもメガネだけど、0点と付くなら俺の方である。
そして、変装名人、か。
俺たちの中で言えば、マリオン以外いない。「素養・形態模写」はまさにそれだ。
「ん? ……ああ、そうか」
ベルジュに手紙を回すと、彼も一瞬わからないような顔をしたものの、すぐに察した。
「つまり俺は呼ばれてないのか?」
「こういうのは人手が多ければ多いほどいいだろ。何かやるこたぁあると思うぜ」
「……あまり気は進まんな」
と、ベルジュは手紙をサッシュに返す。
「悪いことをしたら捕まる。あたりまえのことだと思うが」
同感だ。何やったんだよハイドラ。
「まあまあ。真実を知ってから手伝うかどうか決めてもいいだろ。同期が困ってるってのは確かなんだしよ」
……へえ。
「なんか、らしからぬことを言うね。ちょっと落ち着いた?」
二年前のサッシュも、割と仲間思いではあったけど。
でもこういうのを聞かされたら、何が何でも真っ先に飛んでいきそうな短絡的な奴だったはずだ。
「自分ではよくわかんねぇけど、でも卒業してから色々考えることもあったからよ。
たとえば、俺は自分で思っていた以上に、塔での生活は同期に助けられていた、とかな。あの頃は気付かなかったことにたくさん気づいた。
エイルはよく狩りをして食糧事情に貢献していたし、ベルジュは毎日のようにうまいもん作ってくれたよな。てめぇらがこっそり海辺で食ってた貝とか鍋とか本当にうまかった。
あの頃はあたりまえのように受け入れてたけどよ、おまえらがいなくなったら当然それらもなくなるわけだ。
そして気づく。
いろんな奴が俺を支えてた。そしてきっと、俺も自覚なく誰かを支えてたんだろう、ってな。
そして思ったわけだ。この世の中、無関係そうに見えても、実は無関係じゃない連中ばっかなんじゃねえかってな。人間って意外と繋がってると思ったんだ」
…………
「サッシュ、おまえは飲みすぎだ」
「うるせぇな」
「……」
「なんでてめぇは引いてんだよ。なんか言え」
いや、引くだろ。言葉も出ないとはこのことだ。
言っていることは間違ってないとは思うが、よりによってサッシュが言うもんだから……
……まあ、誰だっていつまでも子供じゃないか。
「似合わねぇこと言ってる自覚はある。でも言葉にしないと伝わらないこともたくさんあるだろ。
で、俺はきっと、知らないところでハイドラにも世話になってたんだと思う。
だから俺は行く。それは決めてる。
塔で過ごした日々にも、おまえらにも、感謝しかねえからよ。
――ただ、俺も今は一応堅気だからよ。ハイドラがロクでもねえことしたっつーなら、手を貸すかどうかはわからねぇ。おまえらと一緒だよ。俺もちょっと迷ってる」
そうか。
だから、真実を知ってから決める、か。
……というか、本当にサッシュらしからぬことを言うものだ。
「少し丸くなったか?」
「おかげさんでな。尖がったまま社会に出てもやりづれぇだけだったからよ。つーかそれを言うならエイルもだろ。なんかおまえ、人当たりが良くなってんぞ」
「俺も君と一緒。ある程度は心を開かないとやりづらくてね」
でも、本質はそんなに変わってないと思うけどな。
定住しているから、自分の身の回りの人たちには打ち解けているだけだから。
相変わらず知らない人は警戒するし、人付き合いが好きになったわけでもないし。
ただ、……そう、俺もサッシュと同じように、少しは大人になったのかもしれない。
伝言を伝えたことで歯止めがなくなったのか、サッシュは「おい今夜はとことん行くぞ」と言い出したので、さっさと帰ってきた。
すでに飲み過ぎている。
これ以上飲むと服と記憶がなくなる。経験談でわかる。
すでに寝静まっているロロベルの家に戻り、借りている部屋に入るとネロがいない。
…………
気配を探ると、どうやら今日はロロベルと一緒に寝ているようだ。
まあこんな日もある。
服を脱いでベッドに身を投げ出し、ぼんやり考える。
――ハイドラの投獄、か。
…………
なんともピンと来ないのは、ハイドラらしくないと思っているからだろう。
そう、そもそも「投獄された」という言葉を信じられないのだ。
あれほど優秀だったハイドラが、そう簡単に捕まるとも、安易に誰かに助けを求めるとも思えない。
それよりは「わざと捕まった」とか「自力で逃げられるけど助けを呼ぼう」とかって展開の方が、彼女らしいと思う。
その前提を疑うと、この話の真相は……シュレンや俺を呼ぶこと、か?
呼んだ以上は何かさせるだろうなぁ。
…………
横に猫がいない。寂しい。もう寝よう。




