427.メガネ君、サジータと将来について話す
最後になるだろう話し合いを交わした翌日。
仕事は終わったものの、いつも通りサジータと共に朝から長老宅を訪ねた。
「――あと数日の内にお暇しようと思っています」
昨夜、調査隊メンバー全員の了承を得たので、サジータから長老に正式に辞する旨を伝える。
「そうか……そうじゃな。もう長いこと引き留めておるし、仕方ないか」
長いかどうかはわからないが、滞在したのはちょうど一冬という感じだ。
俺的には長い方だったかな。
ずっと対面と対話を強いられるような役回りだったから、ちょっと疲れた。
「相分かった。クラーヴの奴に送るよう伝えておく」
ここはドラゴンが棲む森のど真ん中である。
送り迎えはぜひとも欲しい。
……というか、ないと命が危ない。
「して、サジータはまた来るのか?」
「まだ未定ですね。ぜひともまたお邪魔したいとは思っていますが」
「エイルは?」
…………え? 俺が答えるの?
「俺もわかりません」
サジータが返事すると思ったが、何も言わなかったので、俺も曖昧に答えておいた。
しばらく話をして、「撤収の準備をしますので」と長老宅を出る。
うーん……俺は物が増えたわけじゃないし、すぐにでも出発できそうだが。
でもベルジュ辺りは、料理関係でかなりがっちり竜人族の里に食い込んでいる。
親しい人がたくさんできたようなので、お別れに時間が掛かるかもしれない。
いや、それを言うなら全員か。
俺の知らない交友関係ができていそうだし。ネロもできてるみたいだし。エサをくれる人がたくさんいるみたいだし。ちょっと太ってきてるし。
俺は……一番仲良くなった竜人族は、長老と奥さんくらいじゃないかな。行動範囲がかなり狭かったから。
まあ、不都合はないが。
「そういえば、君たちはもう卒業してるのか」
「……はい?」
横にいるサジータの言った言葉の意味が、何回か反芻してもよくわからなかった。
「僕らの母体の学校だよ」
周囲への警戒もあり、かなり濁して言ったが――それでようやくピンと来た。
「やっぱり?」
僕らの母体の学校――暗殺者育成学校のことだ。
王都ナスティアラを出発したあの日から、もうすぐ丸一年になる。
随分長い時間を過ごしてきた気がするが、まだ一年しか経っていないという事実に少し驚く。
そして、ワイズからは一年間だと聞いていた。
俺が暗殺者育成学校に誘われた時、「君の一年間をくれ」と言われた。
だから、もしかしてもうすぐ学校は終わるのではないか……とは、思っていたのだ。
「日付で言うと、数日前くらいかな。課題や卒業試験なんかで多少前後するんだけどね」
そうか……本来ならもう終わっているのか。
「――時間があるなら、少し話でもするかい? ここまで仕事優先だったからずっと話せないこともあったし」
…………
まあ、俺は特に帰る準備が必要なわけでもないので、少しだけサジータと話をすることにした。
俺たちが泊まっているテント方面に戻り、いつも食事をしていた家のテーブルに着く。
台所の番人たるベルジュどころか誰もいないので、サジータが湯を沸かしてお茶を淹れる。
ちなみに贅沢品である竜鱗茶ではない。
「里ではこっちがメインで消化されてるんだ。逆に飲み慣れてないだろ?」
「ああ、確かに逆にって感じですね」
長老のところでは竜鱗茶しか出されてなかったから。独特の癖があったけど、あれはあれで嫌いでは……おっと毒々しいほど黒いお茶が出てきたな。
「野菜の皮のお茶だね。ほら、ここの野菜って色が変わってるから。だからこんな色」
ああ、なるほど。
……うん、色がえぐい割には匂いも味も普通のお茶だな。ちょっと渋いけど、癖がない分だけ竜鱗茶より飲みやすいかも。
サジータが向かいに座る。
しばらく無言でお茶をすする。
「君、将来はどうするとか、考えてるかい?」
ん? 将来?
「俺は元は狩人なんです。なんか偶然縁があって声を掛けられて、育成学校に行くことになりました。
でも狩人を辞めたつもりはないので……きっと卒業してからも狩人だと思います」
「ああ、そうなんだ。ということは、暗殺者方面には来ないんだね」
「そうですね。……そもそも本命の仕事はないって聞いてますけど」
「そうそう、ないんだよねぇ……僕も本職志望だったんだけどねぇ」
え、そうなのか。
ブラインの塔に行ってからだが、方針によって育成コースが別けられていた。
魔物狩りと、暗殺者と。
俺は魔物狩りコースを選んだが、サジータは暗殺者コースを選んでいたようだ。
「サジータさんも塔で生活を?」
「うん。もう十年以上前になるけどね。卒業生だよ」
へえ。
「そうか……ということは、君だけ違うのか」
「俺だけ?」
「うん。他の同期はわからないけど、今ここにいる候補生の進路は聞いてるから。
リッセとベルジュは、うちに所属しつつ冒険者になるそうだ。
リオダインとカロフェロンは、国の専門機関に所属して研究員になる。
セリエは後継ぎ教育が始まるのかな……まあその辺は上の方針に寄るだろうけど、組織から抜けることはないだろうね」
……なるほど。
「確かに俺だけ違いますね」
リッセは「闇狩りの素養」を考えれば、魔物を相手にするような職業を目指すだろうとは思っていた。
子供の頃から暗殺者になる英才教育を受けているとかいう話だったし、所属継続は元から決めていたと思う。
ベルジュは、食材を自分の手で集めるために強くなりたいとかなんとか、いつか聞いた気がする。
定住して腕を振るうのは、きっと何年も後になるだろう。若い内は世界中を旅するんじゃないかな。
で、その生活には暗殺者組織に所属するしないは、彼にとっては大した問題はないのだろう。
リオダインとカロフェロンも、「素養」を突き詰める形で考えているんだろう。
片や魔法、片や錬金術。
二人とも勤勉な性格なので、お似合いの進路だと思う
セリエは……ワイズ・リーヴァントの養子だし、本人の暗殺者への意欲も高いし、そっち方面以外に進むことはないだろう。
……で、俺か。
「恐らく、もう上からの指令がハルハに届いていると思う。それを受けて君たちは正式に卒業扱いとなり、現地で解散することになるだろう。
一応帰還にあたって転送魔法陣も使えるとは思うけど……ちょっと確かなことは言えないかな」
現地解散か。
……ということは、ブラインの塔で別れた彼らとは、もう会うことはないのか。
心残り?
いや、違うな。
…………
いや、やっぱり心残りと言っていいのかな。
あんまりその気はなかったし、心を開いた覚えもないし、いつだって壁越しに接していたつもりだったけど。
サッシュ。
フロランタン。
ハイドラ。
エオラゼル。
ハリアタン。
トラゥウルル。
マリオン。
シュレン。
彼らは俺の友達だった。
思い返せば、俺は一緒に生活して、一緒に鍛えて、一緒に苦労して、一緒に課題を越えてきた彼らを、仲間であり、友達だと認識していた。
――一緒に卒業して、別れの挨拶くらいはしたかったかな。
この気持ちが心残りじゃないと言えば、きっと嘘になるだろう。
「たぶん誘われるんじゃない?」
「え?」
「専門機関に入るリオダインたちは難しいだろうけど、表向きは冒険者になるリッセやベルジュなんかは、君が同行してくれると嬉しいんじゃないかな」
少しだけ心に隙間風が吹いている俺の気持ちを察したように、サジータは柔らかく笑う。
「たとえ君が暗殺者方面に進まなくても、一緒にいられない理由はないだろ。
暗殺者の仕事はしないにしても、それ以外では協力できる関係になれると思うよ」
…………
協力できる関係、か。
俺はお茶を一啜りした。
「誘われたって断るかな。俺は故郷に帰ります」