424.ドラゴンレース 閉会式
エイルがジジュラの転倒に巻き込まれた。
一時減速したリッセの目の前で起こった事故に、身体の芯から頭の中まで満たされていた熱が、一瞬で冷えた。
転倒。
事故。
怪我。
大怪我。
死。
一瞬で、考えたくない様々な言葉が脳裏を過り――冷えたことで取り戻された理性が、不吉なそれらを振り払った。
否。
否だ。
――転倒に巻き込まれた事故ではなく、エイルがジジュラを転倒させたのだ。
実際、エイルは自分からジジュラに飛び掛かっていた。
あの行動は「事故に巻き込まれた」どころではない、むしろ「事故を起こしに行った」と言うべき。
言わば加害者の行動、率直に言うとただの当たり屋だ。
友人の正気じゃない凶行が意味するところを察することができないほど、この一年弱の付き合いは浅くもなければ薄くもない。
きつい訓練も、命懸けの課題も、足りないものを補い合った生活も。
互いの思考や気持ちを知る上で大切な時間だった。
エイルは無意味なことはしない。
それは、大きなことであればあるほど、それなりの意味を持っている。
では、この時は?
今はどうだ?
――間違いない。疑いようもない。確信できる。
「……行け!」
そして、そんなエイルの意を汲むのであれば、走るしかない。
絶対に立ち止まってはならない。
派手に荒れ地を転げているエイルと、ジジュラと、四足紅竜と。
それら三体を横目に、リッセは再び身体と頭に灼熱を宿して「黒鱗号」に加速を命じる。
――エイルは、リッセを勝たせるために、身を挺してジジュラを落とした。
むしろそうじゃない理由が見つからない。
エイルは無駄なことはしないし、望んでリスクが高いこともしない。臆病で慎重で、合理的に考える。
そこまでしなくても……と思わないでもないが、逆に考えるとわかる気がする。
そこまでしないと、確実にジジュラを押さえる術が見つからないから。
生半可に仕掛けてもすべて躱されるし、なんなら手痛い反撃を食らう可能性も高かったからだろう。
どんなに心配でも、今すぐ足を止めて駆け付けたくても、それでもリッセは前進加速を選んだ。
エイルの策を無駄にするわけにはいかない。
身を挺してリッセを行かせた――あの行動に報いるには、勝利するしかないから。
「――ジジュラ! ……あ、くそっ!」
そして、まさかのジジュラ転倒に、サキュリリンを押さえていたオーシンが動揺し――その隙を突いてサキュリリンが飛び出した。
先んじていたアヴァントト。
邪魔者が不在となり加速するリッセ。
好機と見て飛び出したサキュリリン。
もう横ではなく前しか見ない若者たちは、持てる力の全てを掛けて、荒れ地を駆け抜ける。
「……いてて。四足紅竜ごと転ぶなんて若造の頃以来だぜ……」
先頭からすっかり置いて行かれたジジュラが、やれやれと首を振りながら上体を起こす。
竜人族は頑丈である。
派手に転んだ割には、特に外傷はない。
だが、気持ちまではそうじゃない。
ここまで張り詰めてきた緊張感がゆるみ、すっかり勝負熱も醒めてしまった。
「おい小僧、この俺にこんなことしといて怪我したとか死んだとか言うなよ?」
「――言わないけど」
倒れたままぼんやり空を見上げていたエイルは、普通に意識もしっかりしている。
身体も特に痛くは……いや、至るところを地面で擦ったせいで出来たすり傷が痛いくらいである。
だが、特に骨に異常があるわけでもないし、内臓系にもダメージはない。
――「素養・魔鋼喰い」で身体を金属に変えていたから。
モロに四足紅竜に蹴られたり踏まれたりしたが、さすが金属である。
服と皮膚表面こそ損傷したが、それ以外は問題ない。
筋力が上がることで身体も頑丈になる「怪鬼」と迷ったが、変に力が入ると四足紅竜の方が怪我をする危険を考えて、「素養・魔鋼喰い」の方にした。
「こういう無茶をするような奴には見えなかったがな」
「そうですか? まあ、そうかもしれないですね」
と、エイルも上半身を起こした。
「これ以外で、戦士長を確実に止める手段を思いつかなかったから。俺だってしたかったわけじゃないです」
「ほう。……俺の見立てじゃ、おまえはこのレースに出ることにも前向きじゃなかったように見えたがな。――リッセの付き添いだろ?」
「よくわかりますね」
「言っただろ。よくわかんねぇから警戒するし、警戒するから観察するんだ。おまえのことは相変わらずわかんねぇままだ。こんなことがあってもな」
「――まあなんでもいいじゃないですか」
と、エイルは砂埃に塗れた身体を叩きながら立ち上がる。
「俺は確かにリッセの付き添いで参加しましたし、最後まで付き合ったつもりですよ」
「最後までではないだろ」
「いいえ。あなたこそが最後の関門だった。逆に言うと、あなたさえなんとかすれば、俺はそこまででよかったんです」
寄ってきた「丸かじり」に、再び跨る。
「ここから先は足手まといだったから」
序盤から中盤までは順調だった。
しかし、中盤からこの辺りまでで、話が変わってきた。
――走るごとにリッセたちはどんどん速くなり、エイルたちは彼女らのお荷物になっていた。
一緒にいたらリッセと「黒鱗」の最速は出ない。
だから、同行できるのはここまでだと、エイルは判断した。
今頃はきっと、アヴァントトやサキュリリン、オーシンをぶっちぎっている頃だろう。
「先に行きますね」
「待て。俺も行く」
と、ジジュラも立ち上がり、傍に控えていた群れのリーダーに乗る。こちらもドラゴンだけに、派手に転んだはずなのに特に怪我をした様子もない。
「――よう小僧、おまえ『素養』二つあんだろ? 例の『ゴーグル』いじるやつと、さっきのと」
「――さあどうでしょう。あ、お先にどうぞ」
「――いいじゃねえか。てめえが恥掻かせてくれたおっさんと話しようや」
「――勘弁してもらえませんかね……」
後方から追ってきた戦士たちに抜かれたりもしつつ、すっかり競争する理由がなくなったエイルとジジュラは、のんびり流しながらゴールへと走るのだった。
里に戻ると、現場は混乱と困窮の声に満ちていた。
戸惑いと迷いが里の住人の顔に出ている。
「――あぁ? なんだ、どうした」
てっきり優勝者を中心に持ち上がっているかと思えば、予想外の雰囲気である。
エイルとジジュラらを追い抜いて先にゴールした戦士たちも、四足紅竜に騎乗したままゴール地点で困り果てていた。
ジジュラが声を掛けると、困った顔で説明する。
――どうやら、アヴァントトとサキュリリン、そしてリッセと、三頭はほぼ同着でゴールしたそうだ。
里の住人が多く集まり、あらゆる角度からたくさんの目で見ていたにも関わらず、本当に誰が一番速かったのかわからなかったらしい。
それくらいの大接戦だったそうだ。
なるほど、とエイルは頷く。
ざわめきの理由は、リッセが絡んだからだろう。
同郷の二人が優勝争いをしたなら、どっちが勝っても歓声を上げて盛り上がったはずだ。
だが、そこに一人余所者が混じっている。
だから困っているのだ。
ちなみにオーシンは、出遅れが最後まで響いたようで、一馬身ほどの差で優勝争いに絡むことはできなかったとか。
「なんだよ、そんなことかよ」
誰しもが判断に困っているその場で、ジジュラは大声で言い放った。
「――余所者と同着って時点で俺らの負けに決まってんだろうが!」
横暴とも取れる戦士長の一存に、だがしかし、不満も文句もあるが、それでも多くの者が納得してしまった。
年単位で乗っているアヴァントトとサキュリリン。
対して、リッセは四足紅竜歴数日である。
どちらが有利かと聞かれれば、誰しもが前者だと言うだろう。
それでも健闘し同着に着けたというなら――と。
そういうことである。
こうして、裏の事情を発端に始まったドラゴンレースは、余所者リッセの優勝という形で、困惑に満ちた微妙な雰囲気の中で終了を迎えるのだった。




