423.ドラゴンレース 10
実質、この荒れ地こそが最後のコースである。
この先は森で、それからすぐに里へと繋がりレースは終了となる。
だが、この先の森コースは短い上に、道幅もそんなにない。
そこまで行けば誰かの妨害ではなく、自らが一秒でも早くゴールすることを目指した方が却って勝率は高いだろう。
蹴落とし等のラフプレイは、仕掛ける方にも相応のリスクがあるのだ。
ほんの少しでもしくじれば終わりだ、取り返せるほどの距離は残っていない。
――つまり逆に言うと、荒れ地で勝負を決めることもできるということだ。
(やっぱりジジュラは怖いな……)
レース開始前から、戦士長ジジュラは危険だと思っていたエイルは、今度こそ彼の脅威を予想や気配ではなく、肌で感じていた。
やはり、ジジュラは怖い。
今土を蹴って真後ろにいるリッセとエイルに仕掛けてきたのも、四足紅竜に指示したジジュラの仕業である。偶然なんかではないだろう。
荒く雑そうな雰囲気はあるくせに、こういった小技も使えるのだ。
もちろん小技だけでなく、切り札のような大技も持っているに違いない。
そして、それを踏まえた上で、恐らくは最後の勝負になるだろうこの状況を考えていた。
(……と言ってもなぁ)
エイルの意思は、リッセの付き添いである。
こうしてトップ集団に追いつき、トップ争いに絡もうとも、あわやエイルが先頭に躍り出るようなことになったとしても、根本の部分が変わるわけではない。
更に言うと、誰もが勝利を目指している中で、こんな勝つ気のない奴がトップ争いに参加しようとするなんて動機が不純なんじゃないか、とさえ思うくらいだが――その辺はもうしっかり割り切っている。
リッセに付き添うと決めてここまで来た。
エイルはリッセの付き添いとしてここまで駆けてきたし、最後までそのつもりでやり切ろうと思っている。
そして、肝心のリッセは、今のラフプレイでも勝利を諦める気はないらしく、前方のジジュラを警戒しつつも速度を緩めることはない。
ならば、やらねばならない。
リッセがトップに立つためには、現在トップを走っているジジュラを抜かねばならない。
あの男が普通に素通りさせるわけがない以上、勝負するのは避けられない。
(……まあ、どうとでもなるか)
いつ勝機を見出したのかと問われれば、きっとここだろう。
エイルはこの時点で、すでに勝利を確信していた。
「やっと追いついたよ」
「なんというか、おまえよりリッセの方が……な」
早速リッセがジジュラと並び、牽制と威嚇をしつつ口汚く罵る舌戦を仕掛けている間に、エイルはアヴァントトのすぐ横に付けた。
普通の声で会話ができるほど近い。
仕掛けるつもりなら絶好の距離だが――生憎双方にその意志がない。
「もしかして俺も参加してること忘れてた?」
アヴァントトは、どうにもエイルの存在自体が頭から抜けていて今ようやく思い出した、みたいな焦点の合っていない渋い顔をしている。
この顔を見るのは、エイルは初めてではない。
故郷の村で、誰かが「そういえばエイルはどこだ?」と探し出して実は近くにいました、と発覚した時のピンと来ていない顔にそっくりだ。
「すまん。その通りだ」
わからんでもないし、むしろ望むところだとエイルは思った。
今回のレースは、とかくリッセが目立っていたし、実際目を引く言動もしていた。
その注目度たるや、その横で普通に参加表明したエイルが霞むほどだった。
そして、スタート地点で最後尾に着けたので、それこそトップを走っていた者たちには忘れられるほど存在感もなかったことだろう。
レースに夢中なら尚更だ。
だが、エイルとしてはそれくらい目立たない方が性に合っている。忘れられるくらいでちょうどいいさえ思えるほどだ。
――まあ、その辺はともかく。
「やっぱり戦士長はすごいね」
「ああ。我が親父ながら恨みたくなるくらいにな」
そういえば親子だったな、とエイルは頷く。
「俺、今から戦士長に一泡吹かせようと思ってるんだけど」
「……あ?」
「君は俺の邪魔をする? それとも協力してくれる?」
仮面の下にあるエイルの表情は、一切読めない。
だが、なぜだかアヴァントトには、エイルがいつものどこかつまらなそうな無表情のままだということが、自然とわかった。
「本気か?」
「さすがにこの状況で冗談は言えないかな」
もうゴールはすぐそこである。
確かに、このタイミングでつまらない冗談を言ったところで、なんの意味もないだろう。
できるかどうかはともかく、エイルは本気ではあるのだろう。
「――俺はどうすればいい?」
エイルを信じる信じないはともかく、もう時間がない。
具体的な策があるというなら、そっちに乗った方がマシだろう。
ジジュラに無謀な衝突を仕掛けるよりは、はるかに。
「戦士長を無視して前に出てほしい。きっと戦士長は君の邪魔をしようとする。そこを俺が狙う」
――いや、信じる信じないの話だった。
その案を飲むとなると……一瞬だけアヴァントトがジジュラを引き付ける形になる。
もしエイルの提案がアヴァントトを騙すためのものなら、ジジュラがアヴァントトをマークした時点で、リッセとエイルが前に出るチャンスを得ることになるだろう。
簡単に言うと、アヴァントトが囮となる可能性がある、ということだ。
エイルが嘘をついているなら、そういうことになる。
……そもそもだ。
「俺が勝ってもいいのか? おまえは勝利を望まないのか?」
なぜこんな話を持ち掛けてくるのかが、わからない。
一応このレースは、全員が敵だと言える。
一時的な共闘はあっても、結局最後に勝つのは一人だけである。
何か裏があると疑うのは、至極自然なことだろう。
「前者はともかく、後者はその通りだと言っておくよ」
そしてエイルの返答は、「自分は勝利を望まない」というものだった。――まあ何事にも冷めているエイルらしい答えだとは思うが。
「……ちなみに前者は?」
「まともな勝負なら、君じゃなくてリッセが勝つ。君の勝ちはもうないと思うよ」
しれっと言い放った。
これも、仮面の下では、いつもとまったく変わらない表情で言ったことだろう。
「……へえ。なんだ、そういう冗談も言えるんだな、エイル」
いつも真面目で冷静で、正直静かすぎて若いのに年寄りのようだと思っていたが――こんな年相応の、血の通った言葉も言えるのか。
「冗談のつもりはないけど、そう思うなら試してみればいいよ」
そう言われると、戦士の血が騒がないわけがない。
アヴァントトは今、確実に挑発されている。
「おまえがリッセにに勝てるわけがないだろ」と。
「察するに、おまえは親父の足止めをするつもりだな?」
「うん。その間にリッセと君は、ゴールを目指すといいよ」
「――いいだろう」
エイルの策を信じたわけではない。
エイルの挑発に乗っただけだ。
若い戦士の中では代表格で、四足紅竜の騎乗技術だって若い連中の中では誰よりも高い。
だが、そんなアヴァントトより、つい数日前に四足紅竜に乗り始めたリッセの方が速いと言い切った。
しかも同年代の余所者に言われたのだ。
聞き捨てならないし、認めるわけもない。
――ジジュラが聞いていたら「安い挑発に乗るな」と叱られそうだが、アヴァントトだって戦士である。
血気盛んで好戦的な、竜人族の戦士である。
努めて冷静に振る舞っていようと、本質まではなかなか染められない。
「俺の合図でスピードを上げてくれる?」
「わかった。だがもう時間がないぞ」
うん、と頷き、エイルはジジュラの方へと向かう。
「――バーカバーカ! 水虫ー! おしっこ漏らしー!」
「――……」
リッセの低俗な口撃に、ジジュラがちょっと引いていた。ありありと「何こいつ」と顔に書いてある。
エイルも同感である。
こんな状況じゃなければ、他人のフリをしてスルーしていたことだろう。
いつも以上に狂っているリッセだが、しかし四足紅竜さばきは健在である。
いや、健在どころか、どんどん上達して行っている。
このレースの間だけでも、かなり伸びているのではなかろうか。
リッセの牽制と威嚇、ついでに口撃に、ジジュラはなかなかリッセに攻勢を仕掛けることができないでいる。
速度の緩急と微妙な位置の変化、ついでに口撃に晒され、ジジュラはリッセを先行させないよう位置取るので精いっぱいのようだ――自身の四足紅竜より足が速い個体を抑え込んでいるのだから、それはそれでかなりすごいのだが。
――そんなジジュラを挟み、リッセと目が合った。
仮面越しで見えないが、確かに合った。
その瞬間、エイルは少し後方にいたアヴァントトに、打ち合わせ通り前に出るよう右手でサインを出した。
今のリッセと同じように、これまでジジュラとオーシンに抑え込まれていたアヴァントトは、溜まった鬱憤を晴らすかのように一気に加速していく。
「――チィッ!」
リッセに掛かりきりだったジジュラが、アヴァントトの追い上げに気づいた。
「――行かせねぇよ!」
吠えたジジュラは――回った。
四足紅竜の両前足を軸にし、胴体と下半身を大きく横に振る。
まるでコマのように、ドラゴンが旋回した。
不意に攻撃のリーチが伸びた後ろ足が、牽制と威嚇とついでに口撃に忙しかったリッセを襲う。
「うわ……!?」
なんとか躱したが、体勢を崩して大きく減速した。
(――やはり切り札を持ってたか……)
今の動きはまずい。
ただでさえそこらの成体より大きな四足紅竜の蹴りである。
体重も相まって、相当な破壊力があるに違いない。
それに何より、あんな巨体なのに異様に攻撃が速かった。警戒しているリッセがかろうじて反応できるくらいである。しかもリーチもある。
あれは危険だ。
そして、一回転して元の体勢に戻ったジジュラは、今度こそアヴァントトへ向かっていき――
「――わかってんぞ! 本命はてめぇだろ!!」
ジジュラの目は、アヴァントトの後ろに付けていたエイルに向いていた。
ジジュラの読みは、ある意味当たっていた。
この状況で警戒すべきは、アヴァントトではなくエイルだ。
たとえ先行されようとエイルの脅威を考えるなら、絶対に無視はできない。
――と考えるだろうと、エイルは思っていた。
なぜだか知らないが、ジジュラには会った時から過大評価されていたので、この状況なら無視はしないだろうと考えていた。
案の定、釣れた。
それも読み通りに釣れた。
アヴァントトの近くにいるだけで、不意打ちじみた形でアヴァントトを無視して仕掛けてくるだろうと読んでいた。
「食らえ!」
容赦なく、エイル目掛けてさっきの四足紅竜ターンが襲ってくる。
(――ここまでありがとな。またあとで)
「丸かじり」に一言断って、エイルは四足紅竜の背から飛んだ。
「あ?」
身を投げ出し宙に舞うエイルと、回転の真っ最中にいるジジュラの目が、ほんの一瞬だけ合い――
「――ぐあああああああぁぁぁぁ!?」
エイルという大きな障害物に躓いたジジュラの四足紅竜は、騎乗者ごと、勢いよく荒れ地に転がるのだった。