419.ドラゴンレース 6
レース前日の夜。
ジジュラは古参の戦士の家に、同年代の戦士たちに集まるよう通達を出した。
中年ど真ん中になってもまだ結婚に縁がない、一人暮らしの古参の戦士の家である。
人よりも四足紅竜の方が好き、と公言して憚らない変わり者で、恐らく誰かと番になる時は引退後だろうとは、自他ともに認める推測である。
十代後半から二十代までは、何くれと結婚を世話しようとする輩が多かったが、最近はとんとなくなった。
今では、家庭の窮屈さや家族の煩わしさに逃げてきた同年代の戦士たちのいい溜まり場、いい酒飲み場と化している。
これで男に嫁でもいたらまた違うのだろうが――ここに来ると全員が「あの頃に戻る」のだ。
全員が幼馴染で、同じ苦労をして、同じ喜びを感じ、同じ誇りを抱いている。
同じ里で育ち、同じ戦士として生きてきた。
そんな子供の頃に、そして全盛期の頃の自分たちに、戻るのだ。
ここで飲む男たちは古参の戦士でありベテランの戦士であり、ただの子供であり、駆け出しのような若造でもある。
父親の背中を見せねばならない子もいない、酒の邪魔をするありがたいが厄介な嫁もいない。
そして童心に返るための酒もあるとなれば、戻らない方がおかしい。
――だが、今日の酒はそういう後ろを見て笑い怒り悲しみ言葉を交わすものではなく、前を向いたものだった。
「だいたいわかってんだろ。明日のレースの意味はよ」
古参たちを集めたジジュラは、全員で駆け付け三杯を済ませて軽く喉を潤したところで、「明日のことだが」と前置きして語り出した。
「――そりゃおまえが始めることなら、なんか意味はあるだろ」
「――だな。戦士長が浮ついた思い付きだけで動いていいわけがねえ。ってことはただの思い付きじゃねえんだろ?」
ジジュラをおまえ呼ばわりできる辺りも、同年代にして幼馴染ならではである。
「ああ、『ゴーグル』を受け入れるためだ」
それでピンと来る者もいれば、「つまりどういうことだ?」と発するそうじゃない者もいる。
「まあ難しく考えなくていい。ただ普通にレースをすればいいんだ――若い奴らはな」
筋書きはこうだ。
もしここにいる古参が勝つようなら、「ゴーグル」の有用性を知っている若い戦士たちは、その事実を訴えてくるだろう。
というかジジュラがそういう方向に誘導して反感を買うつもりだ。「ゴーグルなんていらねえ、禁止だ」とかなんとか言って。
戦士長の決定とは言え、半数以上の戦士たちが訴えてくる――それも里の民の前で訴えてくるなら、民も若者たちの味方となって援護するだろう。
何せ、事は「目を守る防具」の話だ。
戦士以外だって無関係とも言えないことである。
そこまで反対の声が大きくなれば、外界嫌いの戦士長と言えど折れるしかない――というのが一つ。
狭いコミュニティではあるが、いわゆる世論の多数決による方針変更だ。
もう一つは、素直に若い戦士が勝って、身をもって「ゴーグル」の有用性を証明したとかなんとかで受け入れればいい。
ジジュラとしてはそっちの方が話は早いと思っている。
まあ、わざと負けるなんて興醒めなことをするつもりはないが。
――結果的にそう転ぶよう仕向ける計画こそが、レースという企画である。
とにかく若者は走ればいいのだ。
「だが俺たちは違うぞ。おまえらは走り方を考えろ」
「――走り方を考えろ?」
「そうだ。どうせまともにやっても俺たちが勝つだろ。経験も実力も違うし、ガキどもが鼻垂らしてる頃から走ってんだ。むしろ負ける理由がねえ」
見所のある奴はいるが、基本的に力量差は歴然としている。
そもそも古参連中のほとんどは、多かれ少なかれすでに毒のせいで目が悪い。
が、それでも戦士としてやってきているというのは、四足紅竜騎乗の技術が高いからに他ならない。
同じ速度を出す四足紅竜同士であっても、古参が乗るだけでかなり違ってくる。
足の踏み場所、曲がるタイミング、あえての緩急付けで結果的に速くなったりもする。
その辺はもう理屈ではなく、身体に染みついた本能でやっている。
そしてその辺のことを比べると、やはり若い戦士とはまるで違うのである。
「せっかくの祭りなんだ、そんなつまんねえ勝負はするなって言ってるんだ」
「――あ? ……つまりどういうことだ?」
「あー……もう率直に言うぞ。若い連中にいっぱいちょっかいを出して、邪魔してやれ。その方が面白いからよ。それに若い連中の刺激にもなるだろ」
戦士としての実力を、肌で感じさせる訓練はよくやるが。
しかし、騎乗技術で競い合うのは、ほとんどやってこなかった。
若い者にはいい薬になるだろうと、ジジュラは思っている。
「――つまり優勝はするなってことか?」
「まともに走ったら勝負なんて見えてるだろうが」
「――つまり…………そういうことか?」
「そういうことだ」
「――なるほどな。……ん? どういうことだ?」
「はは。おまえバカだもんな」
「――ははは」
「ははは」
「――ジジュラを殺す!」
「――待て落ち着けバカ」
「――そうだバカ落ち着け」
「――おまえらも殺す!」
そんな会話が交わされ、ベテラン勢は少しだけレースへの取り組み方を考えるのだった。
そして、今。
「――うおおぉぉぉぉ!!」
前半は大人しくしていたベテラン勢が牙を剥いてきた。
見通しの悪い曲がり道の陰で待ち伏せしていた戦士は、駆けてきたリッセの四足紅竜に体当たりを仕掛けた。
――リッセが狙われたのは、たまたまである。
ベテラン勢は先に行っているので、誰が来ても若者である。
たまたま待ち伏せた直後にやってきたのがリッセだった、と言うだけの話だ。
ドンッ!
「――チッ……っ!」
先頭集団に追いつこうとする意識だけに囚われていたリッセは、まともに体当たりを食らう。
大きくよろめき、減速し――
「――エイル!!」
真後ろを走っている友の名を叫ぶ、と同時に「はいはい」とかすかに返事が聞こえた。
返事があった。
ならばなんとかしてくれる。
恐らくこの展開も、あのメガネは予想していた。
だからすぐに対応する。
――エイルがいるから無警戒に走れる。
リッセは注意力を欠いていたのではない。
最速を維持することに集中して、ほかのことはエイルに任せていただけだ。
あと数秒もしない内に、リッセと「黒鱗号」は転ぶ。
しかしそれを……突っ込みすぎたリッセのフォローを、無表情で面倒臭そうになんの感慨もなさそうになんとかするのが、エイルだ。
課題の時もそうだったし、今も――きっと。
そんなリッセの想いを知る由もないエイルは、予想より早いが、しかしあくまでも予想通りの事態に即座に反応する。
よろめき自分の名を叫ぶリッセに「はいはい」と面倒臭い返事をする。
「おまえがなんとかしろ」の声だ。
課題の時、リッセに限らず、何人かに求められた声だ。
まず速度はそのままに、エイルは戦士とリッセの間に割って入る。
よろめいて転びそうになっているリッセに、更に追い打ちを掛けられたら、フォローなんてできなくなる。
実際、戦士は体当たりに寄せてきたまま、更に寄せようとしていた。
確実に落としに来る辺り、悪質――嫌がらせにしては本気だ。
「リッセ! こっちに!」
しかし戦士には、割り込んできたエイルに遠慮する理由はない。
嫌がらせが目的なら、エイルを転ばせればそのままリッセにも当たる。三頭ともそんな至近距離で並んでいる。
戦士の動きに変更はない、が――
「任せろ!!」
エイルが「黒鱗」の首に「紐型メガネ」を装着し、「素養・怪鬼」で無理やり力任せに体勢を立て直させる。
少しばかり引きずるような形となり、ガルルと「黒鱗」が不愉快そうな声を漏らすが、今だけは我慢してほしい。
そして、それと同時にリッセが「丸かじり」に飛び移った。
エイルの肩を掴んで不安定な四足紅竜上に立ち、そのままの勢いで足を出し、戦士を蹴りで牽制する。
「――下だよ」
「黒鱗」を引き立たせ、「紐型メガネ」を解除すると同時に、さっき拾った石を放り投げる。
「――よっしゃあ!!」
言葉少なだが意味を察したリッセは、宙に舞う石を受け取って、「闇狩り」を込めて戦士に――ではなく、戦士の乗る下の四足紅竜に向かって投げつけた。
ギャァァッ!
結構痛かったようで、転びこそしないものの、四足紅竜は大きく減速した。
「先を急ごう」
一瞬戦士に追い打ちを掛けようかとも思ったが――
予想外だったのであろう抵抗と反抗に遭い、減速させられたことにニヤリとした戦士の顔を見て、これ以上構うのは無駄と判断した。
恐らく追ってくることもないだろう。
あれは嫌がらせや相手の反応を楽しんでいる顔だ。
向こうは遊びかもしれないが、こっちは違う。
正確には、リッセは、だが。




