418.ドラゴンレース 5
「――先頭集団が来たぞー!」
竜人族の里に、四足紅竜に乗った一人の戦士が駆け込んできた。
槍を持っているので、事情があってレースに出なかった者である。
準備や警備のために手伝いとして四足紅竜に乗り、コースに出ているのだ。
ゴールした戦士たちを迎え、そのまま祭りに突入するための準備をしていた里の住人は、仕事を放り出して声を上げた。
早くも酒をやり始めて出来上がっている者も。
つまみ食いがバレて罰として祭りの準備を手伝わされている子供も。
今走っている戦士たちの嫁や婚約者も。
元戦士で四足紅竜騎乗には一家言を持つ者も。
冬の間は退屈していた者も、何事もない退屈を大切に噛み締めていた老人たちも。
里の住人ではないただの客人も、魅惑の毛皮を持つがゆえに女子供に追い回されて木の上に逃げた猫も。
誰もが固唾を飲んで、これからやってくる誇り高き戦士たちを一目見ようと、四足紅竜の通り道になる大通りの脇に集まる。
「――思ったより速いんだな。これでレースが半分終わったんだろ?」
祭り用の料理の仕上げに入っていたベルジュが、台所から外へ出てきた。
手を止め、大通りの方を見ているサジータらに声を掛ける。
レースに参加しているエイルとリッセに、レースの手伝いに出ているリオダインを除く親善団体もとい調査隊は、客人用として長老の家のすぐ近くに用意されたテーブル付近で、里の民と一緒になって祭りの準備をしているところである。
「エイル君とリッセはどうなってますかねっ?」
乗り物酔いがひどいセリエは、それを理由に四足紅竜に乗ることを諦めたが、レースはレースでそれなりに楽しんでいるようだ。
「勝つのは難しいんじゃないかな。特にベテランの戦士の騎乗技術は高いし、コースである獣道のことも知り尽くしているだろうし」
サジータの意見は冷静である。
確かに、慣れている戦士と比べると劣る点は多いだろう。
エイルとリッセは、昨日今日乗れるようになったばかりの初心者である。
そんな初心者にに期待を寄せるのは、さすがに寄せられる方がかわいそうだ。
「――そうとも限らねぇぜ?」
そう言ったのは、いかにもレースに詳しそうな顔をして客人用テーブルに着き、カロフェロンと一緒に酒を飲んでいたクラーヴァエロシュテンスである。
「エイルの方はわからねえが、リッセのあの豹変ぶりは見逃せないね。――あいつは若い頃の俺に似てやがる。風を、速度を、誰よりも最速の称号を欲した俺とな。
俺は風になった。
風は自由だ。どこへでも行くし、どこまでも行ける。
俺が追い求めた風は空だったが……フッ。あの小娘はどこまでいけるんだか」
したり顔で語るクラーヴァエロシュテンスに、カロフェロンは視線も向けずに言った。
「もう誰も聞いてないし、今いいところだから話しかけないで」
酒が入ると言いたいことをしっかり言える女は、それはもう言いたいことをはっきり言った。
「…………」
面倒臭い自分語りが始まったので、「あいつは若い頃の俺に似てる」とか言い出したところで全員が無視していた。誰も意識も耳も向けていなかった。
唯一、一緒のテーブルにいるせいで聞かざるを得なかったカロフェロンだが、これから先頭集団が来ると言うのにそんなもん聞いている余裕はない。
そして――四足紅竜の一団が駆けてくる。
「――ハーハッハッハァァッッ!!」
来た。
なぜだか腕組して高笑いをしながら爆走する戦士長ジジュラが、十頭に満たない四足紅竜の群れを率いて戻ってきた。
彼らがトップ集団である。
竜人族の民は湧きに湧き、普段の静かな寒村っぷりからは考えられない熱烈な歓声を飛ばして戦士たちを迎える。
トップ集団が一気に駆け抜けてゆき、それから少し遅れて数名の戦士が駆けて行った。
民はそれにも歓声を上げて応援し――
ふと、違う色のざわめきが混じる。
ざわめきはすぐに広がり、不協和音は大きくなり。
「「あっ!」」
多くの者が声を上げた。
特に、調査隊のメンバーは全員だ。
「――来た!」
カロフェロンが立ち上がり、木のジョッキを持ったまま酒がこぼれるのも構わず大通りに走る。
「――来た!」
それを追うようにしてセリエが走る。
「――健闘してるなぁ。十五番目くらいだから、真ん中辺りの順位かな」
やはり冷静なサジータだが、楽しげに笑いながら女二人の後を追う。
「……これは意外とあるのか?」
そしてベルジュだけ、台所へ戻る。
まだ作業の途中でもあるが、何よりまた一つ仕事が増えたからだ。
――ぴったりと縦に並んで駆け抜けていったのは、紛れもなくリッセとエイルだった。
何せ、ドラゴンの鱗だのなんだので作った防具を着ている戦士たちとは根本的な格好からして違う。見間違えようがない。
竜人族の民に……自分たちの戦士の勝利を微塵も疑っていなかった者たちに、余所者の意地を見せた形となった。
サジータではないが、数日前までは本当に乗れなかった二人が、レースの中間地点では真ん中くらいの順位で通過した。
健闘も健闘、里の住人が結構驚くほどの大健闘である。
アウェーの客がざわつくくらいの大健闘だ。
「――よし」
一応。
本当に一応、念のために。
「あれ? 師匠、その紫卵使うの?」
「使わないって言ってたじゃん」
「いいからそっちに集中しろ。――俺はもう一品作る」
台所に戻ったベルジュは、弟子と言って付きまとってくる竜人族の娘たちに指示を出し。
もしかしたらあるかもしれない友人の優勝祝いのために、今一度腕を振るうのだった。
レースは後半戦に入る。
一部荒れ地はあったものの、前半は走りやすい獣道が採用されていた。
幅が広く、見通しもよく、それこそまっすぐ走ればいいだけ、という要素が強かった。
しかし、ここから続く「∞」のもう半分は、一味違うコースが選ばれていた。
まず、毒沼の存在がある。
「∞」の片方の丸にはあまり影響が出ていないのだが、後半のコースにはむしろ影響が出ている場所を走ることになる。
獣道自体が歪んでいるのだ。
毒沼を避けるように獣道ができたせいで、方向的にはまっすぐなのに、変な曲線を描いている場所が多々ある。
来た道を戻るくらいの急な曲がり角はないが、ルートが曲がっていて木々が生えているだけに、非常に先の見通しが悪い。
たとえば、この緩やかな曲道の影に、何者かが隠れていたら――
「リッセ!」
先行するリッセに、エイルは注意を呼びかけようとした。
その時だった。
「――うおおぉぉぉぉ!!」
本当に戦士が隠れていた。
予想はしていた。
予想はできていたが、まさかこんなにすぐに仕掛けてくる者がいるとは思わなかった。
木陰から躍り出てきた戦士は、リッセの四足紅竜に体当たりを仕掛けた。
「――チッ……っ!」
先頭集団に追いつこうとする意識だけに囚われていたリッセは、まともに体当たりを食らうのだった。