416.ドラゴンレース 3
不思議なもので、レースコースは四足紅竜から伝わってくる。
事前情報で「コースは四足紅竜に教えてある」とは聞いていたが――知りたいと思えば、言葉ではなく映像が浮かぶのだ。
「知っている風景」がふっと頭に浮かび、それが記憶の中にある獣道と重なる。
リッセを追う形となったエイルは、棄権の可能性はもうないと判断し、とことんリッセに付き合うことを決めた。
正直、今のリッセこそ放置するのが怖くなった。
本当に竜人族の戦士たちを殺しに掛かりかねない――それくらい剣呑な雰囲気をまとっている。
まあ、さすがにそこまではやらないだろうとは思うが、念のために。一応念のために、最後まで目を離せないことは確定した。
個人的な遺恨を残すくらいならまだいいが、今後も里の調査を続行するだろうサジータの心証が悪くなるようことは、絶対にさせられない。
となると――レースの情報が必要となる。
今得られる情報は、レースコースの確認だとエイルは判断した。
「丸かじり」から伝わってくる意志と、ここ数日走り回った記憶とを照らし合わせる。
(結構長いな)
レースコースはそれなりに長いようだ。
午前中には終わるようだが、それでも結構な時間と距離を行くことになる。
森中にある四足紅竜の通る獣道を、かなり広範囲で指定しているらしい。
それでも大まかには「∞」の形となっていて、憶えやすくもある。
少なくとも急な曲がり角があったり、髪留めのようなえげつない折り返し地点があるわけでもなさそうだ。
そして丸の重なる中央は、スタート地点であり中間地点でもあり、そしてゴール地点である。
観客に見せるためだろう、一度は里を通るようになっている。
まだレースは始まったばかりで、誰も中間地点を通っていないはず。
リッセの転倒から復帰にかけた時間も、そこまで長かったわけではない。
だから、まだ追いつく可能性はある。
(にしても速いなぁ)
リッセの後を追うエイルは、じりじりと距離を開けられ始めている。
最速を指示している「丸かじり」も、かなり速く感じられるが……やはり「黒鱗」は噂に漏れ聞いた通り、通常の成体より足が速いようだ。
だが、まだほんの数秒あれば追いつける距離である。
そしてそれは不意に訪れた。
目に入ったのは、戦士二人と四足紅竜二頭だった。
真っ先に感じたのは、違和感だった。
騎乗して走っているならわかるが、彼らは別々に存在していたから。
「――げっ、もう追いついて来たのか!?」
「――絶対前に行かせるな!」
前方にいる戦士二人が、慌てて四足紅竜に飛び乗る。
(あ、そうか。こけたのか)
砂埃まみれなところを見るに、リッセのように蹴落とされたようだ。予想通り荒っぽいレースである。
「――邪魔だ!」
二頭で進路を塞ぐようにした戦士たちを、リッセはサイドステップで躱して駆け抜ける。
そして、リッセに気が逸れている間に、スピードを緩めないまま突っ込んだエイルが二人の脇を抜く。
(これで最下位脱出か)
「黒鱗」は速いし、「丸かじり」も決して遅くはない。
何事もなければ、このまま順位は変わらないだろう。
何事もなければ。
再びリッセとの距離が空けられ始めた頃、踏みしめられた地面に石や倒木が目立ち始める。
一昨年大雨が降り、近くの川が氾濫した結果、遠くの崖から岩が運ばれ、大きな樹木も流されてきたらしい。
その残骸が多く残るコースは、かなり足元が悪い。
なんとなく、ハイディーガの地下施設でリッセと走りまくった「道」を思い出す障害物コースだが――
「お、すごいな」
リッセは速度を緩めることなく荒れたコースに突っ込み、的確に障害物を避けていく。
「黒鱗」が地面には目もくれず前だけ見ているので、あれはリッセの騎乗技術が可能としている走りである。
伊達に、朝から晩まで狂ったように走り続けていたわけではない、ということか。
(俺もできるかな)
試してみれば、意外とできた。
空いたスペースに足をつくよう指示を出すだけで、「丸かじり」は速度を緩めることなく器用に障害物を避けて走る。
――しばしそうして距離を稼ぐと、再び前方に戦士たちが見えてきた。
三人。
石や倒木といった障害物を避けるために、減速しているようだ。
「――行けぇぇぇええええええ!!」
突如、リッセが吠えた。
声に反応して戦士たちが振り返る頃には、「黒鱗」は大きな倒木を踏み台にして、飛んでいた。
大きく翼を広げ、空に赤い軌跡を描いて滑空する。
飛行ではなく、空を切るように滑り降りていく。
速度は充分出ていた。
何せこの荒れ地でも、リッセと「黒鱗」は一切スピードを緩めなかったからだ。
速度は充分で、障害物を利用して高さも得た。
だからこそ可能となる、空という道を行く。
「――うわっ!?」
「――ちょあぶねっ!?」
ちょうど三人のど真ん中に着地し、しかも一人には「黒鱗」の身体をぶつけて押し倒した。
(……そういうことをするなよ……仕方ないな)
後を追って走るエイルは、明らかにわざとぶつかっていったリッセの動向を見ていて。
その一部始終を見ていたゆえに、片手を伸ばして地面に落ちている石を拾う。
半分落ちかけているようになりながらも、なんとか成功した。
「丸かじり」の足の踏み場を指示する必要があるので、ほんの一瞬の出来事だったが、無事に二個拾うことができた。
「――待て!」
一人は四足紅竜ごと倒し。
もう一人は、少し距離があるので追いかけられるポジションにいない。
だから即座にリッセを追い駆けられたのは、一人だけだ。
「――ちっ」
リッセの舌打ちが聞こえてくる。
すぐに反応し追い駆けてきた戦士が繰る四足紅竜の体当たりを避けたのは、確実に減速を覚悟した上での回避行動である。
「黒鱗」は体重が足りないので、露骨な体当たりだけで崩れる。
まして今は足元が悪すぎるコースである。ここで体勢を崩されるのは転倒の危険がある。
足元の指示と、戦士の相手。
この二つを走りながら同時にやるのは困難である――それこそ経験豊富な古参の戦士くらいしか対応できないだろう。
――一人ならば。
「こんにちは」
戦士がリッセに一撃かまそうとしている間に、エイルはピタリと戦士の横に並んだ。ちょうどリッセと挟み込むような形である。
「――あっ、えっ!?」
戦士がエイルに気づき声を出す、と同時に、反対にいるリッセの蹴りが飛んだ。
しかし戦士は減速することでそれを回避し――
「――うごっ!?」
エイルが投げた「見えない石」にモロに顔面をえぐられて、走る四足紅竜から転落した。
(よし。やっぱり一瞬くらいなら使えるな)
「素養・影猫」を付加した石は、ほんの一瞬だけ透明化した、はずだ。
戦うことを仕事にしている戦士の反応速度はかなりのものだ。
真正面から仕掛けるなら、これくらいしないと当たらないだろうと判断した。
現に、よそ見して動揺した一瞬の隙を突いたリッセの攻撃は、躱されていたから。
「エイル……」
計らずとも連携のような形になったことに驚いているリッセに、並走するエイルは言った。
「もうちょっと考えて仕掛けたら?」
まあ、リッセはともかく、エイルは連携になるよう動いたが。
戦士たちの集団に突っ込むのはいいが、その後が悪い。
絶対に一人二人は反撃に出るだろうと石を拾っていれば、案の定だった。
いつものリッセなら、もう少し後先考えて動くはずだが……まあ、もうそういうのは今更か。
今は、いつものリッセではないのだから。
「――エイルぅ」
リッセはなかなか歪んだ笑みを浮かべる。
エイルの動きを見て、何をしたのか、何がしたいのか、これからどうするのか。
全てを察したのだ。
この戦争を、エイルは共闘で乗り切るつもりだ、と。
そもそもエイルはリッセの付き合いだけで参加しているので、それははっきりと間違った認識である。
だがしかし、結果エイルがやることは同じなので、リッセが察した通りに動くこと自体は、間違っていなかった。
勝利を確信したリッセは前を向く。
「――行くぞエイル! 速度の向こう側まで!」
「――え? そこまでは付き合わないけど」
あくまでもエイルはリッセから目を離せないだけである。そんなところまで行く気はない。そもそもどこかもわからない。ちょっと何言っているかもわからない。
温度差の激しい余所者二人の猛追が始まる。