415.ドラゴンレース 2
「黒鱗」は速い。
それは、速いから選んだ四足紅竜であるリッセもだが、戦士たちさえ知っている周知の事実である。
――「こいつを先に行かせてはならない」。
打ち合わせも何もない、戦士たちがただ事実を突き詰めた答えである。
誰もが名誉のために優勝する気でいるだけに、辿り着いた答えも同じだったのだ。
先行されたら、そのまま逃げ切られる可能性が非常に高い。
潰す――までは無理にしろ、序盤で一度蹴落としておく必要がある。
たとえ個々の強さでは劣ろうとも、束になっても戦士長ジジュラには敵わないにしても、四足紅竜に乗っての競争となれば話は別だ。
戦士なら、誰が勝ってもおかしくない勝負だと言える。
特に怖いのは、あるいは強い意欲を見せているのは、強さでは劣るがその分騎乗技術を磨いてきた女戦士たちである。
狩りで名誉を勝ち取るのは難しいが、しかしこの形式なら、勝利の芽はある。
――おまけに、余所者のリッセだ。
四足紅竜に乗ったら性格が変わる者は、竜人族にだっていなくはない。
戦士に向かなそうな小柄な女子供が、戦士になりたいと目指し出すきっかけが「子供の四足紅竜に乗ってから」だったりするのも、よくあることだ。
リッセは典型的なそのタイプの人物だった。
そして、そういう速度に魅入られた者は、例外なく騎乗技術が高くなる。
四足紅竜騎乗経験は、ほんの数日。
しかし駆るドラゴンは、戦士なら誰もが足が速いことを知る「黒鱗」。
騎乗者に妥協を許さない、自分が乗せたい者しか乗せない気難しい四足紅竜だ。
この組み合わせは、恐ろしい。
乗って数日程度の素人同然の者になら負ける理由はないが、「経験不足だが速度に魅入られた者」と「足が速い四足紅竜」の組み合わせは、充分番狂わせが起こりうる。
ドォォォォン!!
長老が、大きな狩りの出発を告げる大太鼓「竜振」を鳴らした。
まるで直接戦士たちの闘争心を叩いたかのように鼓舞する音に呼応し、戦士たちは咆哮を上げ。
三十頭に近い数の四足紅竜は、一斉に走り出した。
――やはり速い。
「……クククク……ハハハハ……!!」
顔全面を覆う、変わった形の「ゴーグル」を装着している余所者の表情は窺えない、が……
地面を蹴り上げる四足紅竜たちの足音の隙間から、くぐもった笑い声が聞こえてくる。
リッセは笑っている。
笑いながら走っている。
「――こいつっ……!」
「――くっ、待て……!」
スタートを切ったばかりである。
いくら足が速かろうと、そこまでの差は付いていない。
まだ一つの群れのようで、団子状態に等しい密集度の中――リッセが操る「黒鱗」はすでに頭一つ抜け出そうとしていた。
一頭が通ることのできない狭い隙間を、無理やりこじ開けるように割り込み。
進路上を塞ぐように移動する四足紅竜を、首振り一発のフェイントでかわし。
気が付けば妨害する間もなく、先頭に躍り出ようとしていた。
「――威勢がいいな小娘ぇ!」
そして、並んだ。
先頭を走っていた戦士長ジジュラに。
「邪魔だ! ぶっちぎる! 全てを!」
「ああそうかい! ……行かせねぇよ!!」
じりじりと、ジジュラはリッセに四足紅竜を幅寄せしていく。
獣道の端へと追い詰めていく。
「――おら!」
リッセを獣道の端まで追い込んだその時、ジジュラは仕掛けた。
鞍の上に立ち上がると、思いっきり足を伸ばして蹴りを放つ。
が――
「遅い!」
蹴りは速い。
ジジュラの体格からしても重い。
そして騎乗技術も高い戦士長の蹴りは、ただの苦し紛れの妨害行為ではなく――ダメージを与えるに遜色ない、破壊力のある純粋な攻撃である。
だが。
仕掛けてくることが見え見えだった。
それだけにリッセは読んでいて、四足紅竜の首に密着するようにして前のめりに避けた。
あえて追い込まれたふりをした。
あえて並んで走っていた。
仕掛けてきた瞬間に、ぶっちぎるために。
温存していた足を使い、「黒鱗」は速度を上げてジジュラを――
「――なっ……!?」
やられた。
リッセは真っ先にそう思った。
ジジュラの蹴りは、確かに騎乗者であるリッセを狙っていた。
だが、それは第一候補の狙いだった。
はずれた蹴りは、今度は「黒鱗」を狙ってきた。
「黒鱗」は、戦士たちの誰もが知るほど足が速い。
そして誰の目にも明らかに、通常の成体より一回り身体が小さい。
小さいということは、体重が足りないということ。
まともにぶつかれば押し負けるのは明白ということである。
しかもジジュラが狙っただけに、速度を上げた瞬間という、横からの衝撃でバランスを崩しやすいタイミングで仕掛けられた。
不意の攻撃を食らい、「黒鱗」は大きくよろめき――獣道を少し外れて木に激突した。
「――甘ぇぞ余所者! そう簡単に腕っぷしでも四足紅竜でも勝たせてやるか!」
速度が出ている中で木にぶつかり、弾かれ、リッセは「黒鱗」ごと派手に転倒するのだった。
「――おーい。リッセー。死んだー? 死んでないー?」
来た道を少しだけ戻って、エイルは四足紅竜上から、うつぶせに倒れているリッセに声を掛ける。
レースに興味はないし、リッセの付き添いというか監視という意味合いで参加しただけに、エイルはリッセがここでリタイアするなら一緒に降りるつもりである。
生きていることくらいは「ゴーグル」の「メガネ機能」でわかるが、意識があるかどうかまではわからない。
失神しているのか、それとも朦朧としているだけなのか。……反応がないので失神だろうか。
グルルル……!
「あー……ごめんね、こんな奴で」
転倒したリッセの愛馬ならぬ愛竜「黒鱗」はすでに立ち上がっていて、かなり不機嫌そうに唸りながら、倒れているリッセを見下ろしている。
四足紅竜は好戦的だ。
レースに負けるのも、己が認めた騎乗者が負けるのも、気に入らないのだろう。
一応謝ってはみるが、「黒鱗」はエイルに見向きもしない。――どうやら気難しい四足紅竜は、エイルを騎乗者として認めていないようだ。
ここまで断固として拒絶の意を示されると、若干からかってきている感のある「丸かじり」が可愛く思えてくるから不思議なものだが……まあそれはさておき。
「ちょっと寄せてくれる?」
「丸かじり」に意志を伝え、リッセの傍らに移動し――エイルは取り出した水筒を逆さにした。
水筒は、狩場に出る時の必需品だから、一応持ってきたものだ。
レース中に必要になるかどうかはわからなかったが、念のために持ってきて正解だったようだ。
「――うわっ!?」
びしゃびしゃと頭に水を掛けられたリッセは飛び起きた。
地面に投げ出されたせいで身体中埃まみれだが、特に怪我はなさそうだ。
「大丈夫?」
「……エイル……?」
着けっぱなしだった「気体遮断仮面」を外して、リッセはまじまじとエイルを見上げ――思い出したようだ。
「そうだ、私、転んで……レースは!?」
「まだ途中だね」
エイルの返答を聞くなり、リッセは「仮面」を着けて再び「黒鱗」に跨った。
「――行くぞ黒鱗号! もうお行儀よくなんてやらない、全員ぶっつぶしてやる! 戦争だ!!」
ガウゥッ!!
委細承知、と言ったかどうかはわからないが。
「黒鱗」は確かにリッセの言葉に返事をし、再び走り出した。
「……じゃあ俺たちも行こうか」
「わかったかじっていい?」という意志に拒否をし、エイルたちもまた走り出した。




