414.ドラゴンレース 1
戦士長ジジュラの挨拶が終わると、いよいよという緊張感が張り詰める。
戦士たちには、命懸けの戦闘に出る直前のような気の高ぶりを感じ。
そんな戦士たちに混ざる余所者のエイルには、逆に冷静さを要求される状況だった。
(――これはなかなか……)
やや団子状態になりつつ、四足紅竜に乗る戦士たちの中にいるエイルは、……いや、エイルさえも、実戦に挑む直前のように緊張感を増していた。
周囲の気の高ぶり、気が立っている戦士や四足紅竜たちに当てられつられている、というのもあるが――何より、いつもの平常心のままでは危ないと本能が訴えている。
だから冷めてきている。
構えろ。
心構えをしろ。
これから始まるのはただの競争ではなく闘争だ、と。
危険な時ほど冷静になれと教えられた通り、熱気さえ感じさせる闘争心の中、エイルの頭と感情は努めて冷静である。
――リッセではないが、本当に今から戦争が起こりそうである。
「あ?」
「はあ?」
「お?」
そのリッセは、周りの戦士たちと睨み合いながら、ガツンガツン黒鱗号をほかの四足紅竜にぶつけて威嚇しているが。
一応は暗殺者として育てられてきたはずだが……
戦士たちにメンチを切りまくる彼女からは、冷静さどころか知性の欠片も感じられない。本当に何をこじらせたのか。成人してからグレてどうする。
まあ、リッセがこの危険な雰囲気に飲まれている感がないことは幸いか。
あれは飲まれているのではなく、むしろ乗っているのだ。
冷めるどころか自ら身を乗り出して参加しているのであれば、それはそれは楽しいお祭り騒ぎを思いっきり楽しもうとしているにすぎない。
まあ、何はともあれ、リッセが狂ったやる気に満ちているのであれば、付き合いで出場を決めたエイルの気持ちも無駄にはならないだろう。大いに楽しんでほしい。
――さて。
余所者ということで里の人たちからも戦士たちからも注目を集めているが、特に気にせずエイルは周囲を見回す。
四足紅竜騎乗訓練中、気になる戦士たちには目星を付けている。
まず、戦士長ジジュラ。
前の方にいるので姿はよく見えないが、間違いなく優勝候補である。
戦士長という役割だからなのか、それとも強いからこそ戦士長になれたのか、四足紅竜の騎乗技術も相当高い。
戦いながら乗る。
乗りながら戦う。
誰よりも最前線でそれをこなして来た熟練の戦士である。
それに、もはやジジュラの専属というほどよく乗せている一回り大きい四足紅竜も、四足紅竜の群れのリーダーなんだそうだ。
身体が大きいと重くなり速度は出ないのではないか?
――そこはドラゴン種である。重さもなくはないだろうが、一歩の大きさが違うという考え方もある。
少なくとも、エイルの目にはその走りに鈍重さは一切感じられなかった。
(でも、何より気性が問題だよな……)
元々四足紅竜は結構好戦的だ。
ドラゴンだからなのか、極端に言ってしまえば魔物だからなのかはわからないが、元から人の言うことなんて聞く生物ではなかったはずだ。
現に今でも、竜人族が使役しているというわけでは絶対にない、という話である。
あくまでも共存のための共闘関係にあって、敵対していないだけのことだと、エイルは判断している。
だからこそエイルは、比較的好戦的じゃない四足紅竜「丸かじり」を選んだ。
ジジュラ自身もなかなか好戦的な人物であることを加味すると、トップ争いとなったら間違いなく仕掛けてくるだろう。蹴落としに来るに違いない。
というか、近くにいるだけでも危ない気がする。
ジジュラは要注意である。
次に、戦士長の息子アヴァントト。
予想に漏れず速い。
というか、強い戦士ほど騎乗技術も高い傾向にある。アヴァントトは若い戦士たちの中では群を抜いて強いそうなので、むしろ順当といったところか。
アヴァントトの乗り方は非常にスマートで、無理がないと感じられた。
より一体化しているというか、四足紅竜の負担にならず、意に添わない乗り方をしないというか。
騎乗バランスが誰よりも優れているように見えた。
個人的に、エイルの理想の乗り方だと思う。
(アヴァントトは恐らくカウンター型だ)
ああいうのは、突発的なアクシデントに柔軟に対応できるだろう。
むしろ対応を念頭に置いているがゆえに、四足紅竜に負担を掛けずに乗っているのだ。いかなる時も不意に動けるように。
あれは仕掛ける方ではなく、仕掛けてきた相手に対処するやり方に優れていると見た。
エイルが理想とするのは突発的なアクシデントの回避だが――そこはやはりアヴァントトも戦士である。
ただ避けるだけという消極的な対処はしないだろう。
そして、サキュリリンを含む女性戦士たち。
こと競争としては「強さ=騎乗技術」の例に漏れるのが、サキュリリンを筆頭とした女性戦士たちだ。
彼女たちは、ゴリゴリのごっつい戦士たちと比べると、どうしても強さという点では劣る。
ゴリゴリのごっつい戦士たちは、外敵には真正面からぶつかることが多いようだが、彼女たちは正面から当たらず、小回りを利かせて翻弄するような動きをするらしい。
ゴリゴリのごっつい戦士たちと比べて相当軽いだけに、四足紅竜の駆け方がかなり違って見えるのだ。
躍動する距離が伸びるというか、実際四足紅竜への負担が少ないのだろう。
その中でも、やはりゴリゴリのごっつい戦士とは程遠いサキュリリンは速い。
持ち前の超回復能力「素養・仮死冬眠」があるせいか、目に見える危険さえものともせずに突っ走るところがある。
若い戦士の優勝候補は、まさしくあの辺だろう。
まあ、戦士というだけで優れている連中である。誰が勝ってもおかしくないとも言えなくもない。
あとは古参連中全員だ。
あの辺は全員速いし、騎乗技術も飛びぬけて優れている。
経験の差が如実に感じられる。
不安要素があるとすれば、それこそ今回のレース開催の原因となった「ゴーグル」の不所持だ。
里の人たちが盛り上がってしまったために急遽祭りという体裁を整えたが、根本的な方便は割とそのまま残っている。
つまり、レースをやってジジュラが折れる形で「ゴーグル」を受け入れる、という裏の出来レース部分のことだ。
その辺の事情は健在である。
(あれは想像以上にきつかったもんな……)
エイルも体験したが、毒沼の影響は恐ろしいものがある。
目に見えない気体化した毒が、ほんの少しでも目に入っただけで、刺すような激しい痛みが襲ってくる。
毒が見えないだけに厄介なのだ。
突然の傷みに動揺もしてしまうし、その時四足紅竜が速度を出していたら転落の危険もある。
竜人族自体、毒への耐性も高いようだが。
しかし、まったく影響がないわけではないそうだ。
目に入れば痛いし、それを繰り返した結果、目が悪くなる。
裏の事情では出来レースではあるが、できることなら何事もなく、古参の戦士たちが「ゴーグル」を受け入れてくれるといいのだが。
「――では皆の者、行くぞ」
肌がひりひりする緊張感と、それが伝わるのか今まさにレースが始まろうとする戦士たちを、無言のまま見ている里の住人たち。
静かに高まる緊張の中、台に乗った長老が、祭事か何かで使うのであろう大きな太鼓を前に、これまた大きなバチを振り上げる。
あれが開始の合図だ。
それを見た戦士たちはそれぞれの「ゴーグル」を装着し――エイルとリッセも、この時のために用意した「特製ゴーグル」を装着する。
顔の全部を覆う仮面型で、口元には丸い突起が付いている。
毒から目を守るため、それと小さな虫や障害物から顔を守るための防具の意味も兼ねている。
四足紅竜の最高速度はかなりのものなので、多少視界は狭くなるが、ないよりははるかにマシだ。
そして口元にある突起には、毒を中和するカロフェロンの薬品が詰められている。
吸い込む空気に含まれた毒を、ここに詰めた薬品とフィルターで遮断するのだ。
まだ長時間の運用は難しいが、短時間ならなんの問題もなく使えることは試行済みである。
レース開始から終わりまでは充分持つはずだ。
名付けるとすれば「気体遮断仮面」といったところか。
ドォォォォン!!
長老が太鼓を打ち鳴らす。
まるで里中を揺らすかのような、想像以上に大きな音を立てた。
「「うおぉぉぉぉぉぉおお!!!!」」
そして、それに呼応するように戦士たちが鬼気迫る雄叫びを上げながら走り出した。
「――おっと」
ガツンガツンとぶつかりながら、戦士たちが駆けていく。
完全に出遅れたエイルは、後続にぶつかられたりしてよろめきつつ、最後尾で走り出した。
すでに戦士たちの背中しか見えないポジションだ。
トップ集団からすれば、かなり間を空けられているのではなかろうか。
しかし、エイルには焦りも何もなかった。
(――頼むぞ『丸かじり』)
好戦的ではない四足紅竜からは、「了解」と「かじらせて」の意志が返ってきた。かじるのは拒否しておく。
元々エイルは、レースに興味があるわけでも、優勝を目指すつもりもない。
ただ、余所者が舐められない程度に、それなりの順位であればいいと思っている。
(――やっぱり)
どうせ穏やかなレースにはならないだろうと思っていた。
戦士同士で潰し合いがあって、転落する戦士たちが続出するだろうと思っていた。
現に、早くも誰かが蹴落とされたようだ。
かなり先の方で四足紅竜が横転している姿が見えた。
――事前の打ち合わせで、エイルは「丸かじり」に「悠々走って落ちてる奴を余裕で抜いていこうね」と、意志を交わし合っている。
あまり戦うことに意欲的じゃない「丸かじり」は、「何それ面白そう食っていい?」と返して来た。食うのはダメと言ってやった。
そしてエイルは、宣言通り悠々と走って倒れている戦士を抜き――
「――止まれ!」
「丸かじり」に急ブレーキをかけた。
それでも、速度が出ていただけにだいぶ先に行ってしまう。
エイルは慌てて振り返り――自分が見たものが見間違いじゃないことを悟る。
「……誰かと思えばリッセかよ……」
見覚えがある赤毛が見えたと思い、改めて確認すれば。
地面に転がっていたのは、リッセだった。




