413.ドラゴンレース 開会式
「――くそっ」
かつて戦士だった男が、酒を煽って悪態を吐く。
男は弱かった。
戦士になれたことが奇跡だと言われたほどに、荒事に向いていなかった。
身体は小さく、細く、「素養」だって戦向きではない。
それが自分でもわかっていたからこそ、率先して囮役や遊撃を担うポジションを確立したが……
同じ戦士には認められても、肝心の四足紅竜に認められなくなった。
四足紅竜どもは早めに男を見限り、背に乗せることはなくなった。
いくら狩りでは有用で有能でも、独特の立ち回りを確立しようとも、乗れなくなったのでは話にならない。
まだ戦士を諦めきれない男ではあったが、乗れなくなったのであれば仕方ない。
こうして男は、次の人生を始めたのだった。
が。
そんな男の耳に、予想だにしない話題が届いた。
――ドラゴンレース。
それを聞いた瞬間、長年男の奥底に無理やり沈めていた「諦めきれない戦士への執念」が急浮上した。
気が付けば仕事を放り出して、詳細を聞くべく長老の下へと駆け出していた――
「――荒れてるな、おい」
かつては一緒に戦い、最近引退した幼馴染の戦士が、うまくなさそうな酒を飲む男に声を掛ける。
「あたりまえだろ!」
すでに悪酔いしている男は、格好の餌食が現れたことに食いつき、絡み出した。
「いいかよく聞けよ! 俺は! 四足紅竜に乗るだけなら! おまえにだって前の戦士長にだってジジュラにだって負けなかった!」
男が悪態を吐いているのは、「今更どうして」という気持ちが強すぎるからである。
戦士としてはパッとしなかったのは確かだ。
それは認める。
四足紅竜が見限ったのも納得はしている。
むしろ命に関わる怪我をする前に、早々に引導を渡されたと思えば、感謝してもいいくらいだ。ほかの引退した戦士たちと比べても、目だってしっかり見える。
――そもそも、もう二十年以上も前の話だ。さすがに気持ちの整理くらいついている。
しかし。
しかしだ。
ただ四足紅竜の騎乗技術を競うだけなら?
戦士としての強さではなく、ただ乗るだけの技術で争うなら?
それならば――
「なんでもっと早くやらないんだ! もっと早くやれよ!」
諦めきれない戦士の慟哭は、祭りのような周囲のにぎわいの中に溶けていった。
「まあ飲めよ」
確かに、乗るだけなら男の勝利はあったかもしれない。
誰よりも先んじて敵の前に行き、空でも飛んでいるかのように縦横無尽に戦場を駆け、あらゆるものを翻弄した騎乗技術は、幼馴染の男だって今も忘れていない。
若い世代に受け継がれてもいる、大した技術である。
しかし、もはや時代が違う。
前の戦士長はもう亡くなったし、ただの荒っぽい若造だったジジュラが今の戦士長となった。
「あ、お父さん! まだ飲むのは早いって言ったでしょ! レースはまだ始まってないのよ!」
「うるさい! ジジュラとトトはどうした!? 負けたら承知せんぞ!」
まあ、しかし。
荒れる理由は、少し、わからないでもない。
何せ男は、義父である。
戦士として早めに見限られた男の義理の息子が、今の戦士長ジジュラである。
戦士を諦めきれない男が、現役最強の男の父親である。
いち戦士としての誇りが、娘を奪った男への渦巻く男親の黒い念が。
そして「これならジジュラよりも上だ」と思えるような競技の誕生が、男の思いに火を点け、嫌な燃え上がり方をしている。もう初老もいいところという年齢だというのに。
まあ、娘に文句を言われながら酒を飲んでレースを観戦するというのも、それはそれで幸せの形のような気もするが。
――そんな個々の思いもあったりなかったりしつつ、レース開始の時は迫っていた。
「おまえはこの辺で、おまえはここら辺にいろ。まあ目印は残してあるから、近くに行けばわかるだろう」
もう里の住人が集まってきていており、大した騒ぎになっている。
すでに酔客が出たりもしている中、準備に追われていた戦士たちが、最後の打ち合わせをしていた。
日除け程度の簡易テントを張った場所で、六人と一人のメンツがテーブルを囲み、近辺の地図を見ていた。
いわゆる運営と準備に携わる班である。
逆に言うと、レースに出ない戦士たちである。
最近負った怪我により出場を見送った者。
戦士の本分は戦にあると信じて見せ物扱いを嫌った者。
そもそもレースに興味がない者。
お気に入りの四足紅竜がほかの戦士を乗せると意思表示したせいで、まるで恋人にフラれたように意気消沈している者。
そんな勇士たちが、レースコースに見張りとして立つことになっている。
コース自体は、もう四足紅竜たちに教えてあるので大丈夫だとは思うが、念のためにコースを間違えないよう誘導する役目も担っている。
もちろん、不正の監視という側面もある。
戦士は勝ちにこだわる者が多いので、やらないとは言い切れないのだ。
「そろそろ行った方がいいんじゃないか?」
「まだだ。戦士長から合図があってから移動する」
彼らは、まとめ役である一番年上の戦士の指示で動いていて、
「あんたのとこの人、ほんとに出るんだね」
「うん」
ここにリオダインもいた。
六人の戦士と、客ではあるが四足紅竜に乗れるリオダイン。
誘導や監視は、四足紅竜に乗れる者しかできない。
外敵のいる森が危険であることは変わらないし、いざという時に逃げられないのでは話にならない。
人手不足のせいもあり、レースに興味がないリオダインは、こちらの班の手伝いに入っていた。
一応「レースコースの情報漏洩」などという不正がないよう、昨日の夜から親善団体あるいは調査隊とは会っていない。
レースコースは四足紅竜に教えてあるし、出場者に教えるのは開始直前である。
この七人で、レース中のトラブルに対処することになる。
「……俺の黒鱗なのに……俺の黒鱗なのに……」
お気に入りの四足紅竜にフラれて、恨み言を呟き続ける戦士もいるが、彼のことは全員が無視している。構っても面倒なだけだ。
「――そろそろ行ってくれ」
「――わかった」
テントにやってきた古参の戦士が一言告げ、彼らは動き出した。
「――聞け!」
ざわめき、期待、同種の敵意といったものに満ちているせいか、出場者だけではなく四足紅竜たちの気性も段々荒くなってきた頃。
一回り大きな四足紅竜に跨った戦士長ジジュラが、声を張り上げた。
「これより競技を開始する! コースは四足紅竜に教えてもらえ!」
不思議なもので――いや、四足紅竜に乗る者なら至極当然に、四足紅竜から意志が伝わってくる。
これまでに何度も何度も駆けてきた、踏み慣らされた獣道の道順が伝わってくる。
「俺たちは戦士だ! 戦士はいついかなる時も戦に備えろ! お行儀のいい四足紅竜乗りなんてなんの価値もねえ! 邪魔な奴は蹴落とせ! 邪魔しろ!
ただし武器は使うな! 同じ戦士を傷つけるための行為は禁ずる!」
つまり、妨害あり。
武器を使わなければ、騎乗者あるいは四足紅竜による実力での排除もあり、ということである。
確かに、戦士という元々の役割を考えるのであれば、多少荒っぽくなるのも自然なことだろう。
足の速さだけで競うなら、四足紅竜の個体差の影響も大きくなってしまう。
人とドラゴンが一体になってこその里の戦士である。
主旨を考えれば、その方が正道である。
「勝者には、何もない! ただ勝利したという名誉だけが与えられる! 誇り高き戦士としてはこれほどの名誉もないだろう!」
うおおおおっ、と戦士たちが右手を掲げる。
名誉とは、戦士としての誇りである。
これを望まない者は、里の戦士にはいない。――そうでもないと、命を懸けてまで里を守ろうなんて気概も生まれないだろう。
「以上だ! 誇りを掲げて駆け抜けろ!」
――ドラゴンレースが始まる。