412.メガネ君、レース直前にスルーする
なんとか四足紅竜に乗れるようになってからは、レースの日まであっという間だった。
まあ、そもそもレースまでの日数が近かったこともあるが。
毒対策の一環も兼ねて、俺も森の中を走ってみた。
もちろん一人で。
一人の方がやりやすいから。
リッセ?
あいつは朝から夕方まで狂ったように乗り回しており、とりあえず放置している。
せっかくレースに出るのだから、狂ったように意気込んだっていいだろう。
俺はもう、今回は応援するって決めたから、できるだけリッセのやりたいようにやらせてあげたいと思っている。
……にしても、本当に、あいつどうしたんだろうな。
あのリッセを豹変させたスピードの魅力って恐ろしいな……俺は過度の速度なんて怖いだけだが。
問題なのは狂ったリッセの言動が読めないことだが。
それは結局、竜人族への接触と情報漏洩に限られるから、現状では問題ないだろうと判断した。
アヴァントトやサキュリリンほか女性の戦士たちも何かと同行しようと言ってくれるが、俺を乗せてくれる四足紅竜が優秀なので断っている。
本当に意のままに動いてくれるし、向こうも「次はこう動く」みたいな意志を伝えてくるので、まるで伝説に聞く人馬一体の種族ケンタウルスになったような一体感がある。
いつだったかサキュリリンが、戦士として四足紅竜から転落するのは恥だと言っていた意味も、ちょっとわかる。
この一体感と安定感があって落ちるとか、あまり考えられないから。
……まあ、激しく戦っていたらそういうこともあるだろうとは思うけど。
ともかく。
何があろうと、たとえ敵対するような別種のドラゴンと遭遇しても、普通に逃げ切れるだろう。
だからあえて単独で動いている。
まあ、冬場に活動するドラゴンは少ないようなので、今のところ遭遇もしないし気配も感じられないが。
普段から四足紅竜が走っている獣道が、そのままレースコースとなる。
ただ、どんなルートを通るのか、どこが目的地になるのかなどは、長老と引退した戦士たちが案を練っているそうだ。
長老は最初、戦士たちだけの小さなイベントでいいと思っていたようだが、思ったより里の連中も身を乗り出して来たので、急遽祭りのような形にすると決定した。
冬場は狩りができないので、刺激がない竜人族の里は、イベント事に飢えていたのだろう。
入念な下調べと、戦士たちの「ゴーグル」各種の調整。
レースコースの下見に、ついでに竜人族の騎乗が得意な若者のリサーチ。
そして毒対策の試行を行っていれば、気が付けばレース当日となっていた。
「――ちょうどよかったと言えば、ちょうどよかったんだ」
突発的なイベントだけに、祭りとは言ってもかなり規模は小さい。まあ恒例化したらどうなるかはわからないが。
近頃は、祭り用の祝い料理を里の奥様方と作っていたベルジュは、この日のために準備に追われていた。
これから俺やリッセ、戦士たちは四足紅竜に乗って速さを競うわけだが、その間にベルジュは祭り用の料理を作るらしい。
何日も掛けて準備をして、この里にしかないドラゴン料理を出すとか出さないとか。
「ちょうどよかった」というのは、「なんか面倒なことになってごめん」と謝った俺に対してである。
レースの話が出てから、本格的かつ実際にドラゴン料理に着手したらしい。
そうそう、ベルジュと言えば。
いつの間にか信頼という住民権を得て、しっかり地に足を着けていたことに驚いた。
今や弟子を自称する竜人族の女の子三人を手足のように使い、里の郷土料理を網羅する料理人である。
料理を介してコミュニケーションを重ねた末、奥様方に大人気なのは当然で、珍しいお菓子を作ることで女性や子供にも知られ、更には面白い酒の肴を作るということで中年男性たちにもぐいぐい食い込んでいるとか。
祭りの準備が始まってから、ようやく里とベルジュの関係がはっきり見えて、本当に驚いた。
驚いたと言えば、カロフェロンとセリエもだ。
カロフェロンは、里に伝わる沼毒の薬を改良して、特効薬を考案していた。
率直に言うと目薬である。
すでに悪くなっている戦士たちの目には効果がないが、毒が入った直後なら充分効果があるとか。
そしてセリエはその手伝いをしていた。
まあ主にカロフェロンと竜人族の取次ぎや、採取活動みたいなことをしていたそうだが。
みんな遊んでいるようで、やることはやってるんだよなぁ。
頼もしい連中である。
――そんなベルジュを残し、俺とサジータ、カロフェロン、セリエはレース開始場所へと向かうことにした。
場所は、いつもの四足紅竜に乗る練習をしていた広場だ。
俺は出場して、サジータたちは見学となる。
リッセは愛馬ならぬ愛竜である四足紅竜黒鱗号の調子を見たいと、一足先に行ってしまった。……名前を付けるのはアレらしいが……まあ、いいのか。リッセは戦士ではないから。
「張り切ってるよね、リッセ」
「そうですね。彼女は昔から真面目で、趣味らしい趣味は持ってなかったんですよ。訓練が趣味みたいな感じで、いつも自分を追い込んでました」
「へえ。まあなんにしろ、好きなことができたのはいいことだと思うよ。好きなものができると世界が広がるからね」
サジータとセリエが、リッセの話をしている。
…………
うん、まあ、好きであることには違いないとは、俺も思う。
リッセは四足紅竜が好きだろう。
好きじゃなければ、狂ったようにあそこまで入れ込んだり、狂ったように乗り回したりしないだろうから。
……ちょっと「好き」の傾向が違うんじゃないかなって、ちょっと思うだけで。
静かでゆっくりした時間が流れているような、俺の田舎に似た雰囲気はあった竜人族の里だが。
さすがにイベント事の直前とあって、現場はそれなりに盛り上がっていた。
こんなに人がいたのかってくらいの竜人族が集まり、レース開始を待ちわびている。
まだ朝なのに、早くも酒を飲んでいるご隠居たちと、それを叱り飛ばす老いたご婦人。
子供たちが意味なく、しかし気分の高揚と興奮に任せて走り回っていて。
誰が勝つ誰が負けると予想したり、賭けをしたりする者たちに、年頃の女の子たちは誰誰が勝ったら告白するだの嫁に貰ってもらうだのとキャッキャはしゃいでいる。
「「――おぉぉぉぉー!!」」
ん?
何事かと振り返ると、どうやらレースに出る戦士の一人が、勝ったら結婚してくれと女性に告白したらしい。
周囲の人が冷かす中、戦士は婚約の証である竜骨の腕輪を差し出し、女性はまだ受け取らないまでも、まんざらでもなさそうである。
本当に祭りのようである。
閑散とした里だと思っていたが……まあ、そうだよな。騒げる時は騒ぐよな。
……というか、あの戦士は普通に結婚を申し込んだ方がよかったんじゃなかろうか。少なくとも本気で勝ちを狙う女を一人知っているし。
というか、いるし。
見つけたし。
戦士たちが己の乗る四足紅竜と組み、相談というわけでもないが、ここ一番という時が今来ているので心を通わせている中に、リッセはいた。
リッセは、黒鱗というあだ名を持つ少し小さな四足紅竜の傍らに立ち、首あたりを撫でている。
なんだかそろそろ始まりそうなので、サジータたちと別れて、俺も戦士と四足紅竜たちの中へ行くことにした。
「――リッセ」
少し離れたところに、俺を乗せてくれる四足紅竜がいた。
皆同じように見えるが、今では確かに違うことがわかる。
少なくとも一目でわかるくらいには、俺もあの丸かじりの四足紅竜に馴染んだ。……髪の毛噛んだことは忘れないからな。本当に丸かじりしようとしやがって。
そんな、あえて名前を付けるなら「丸かじり」に向かう途中、一応擦れ違いにリッセに声を掛けてみた。
「――エイルぅ」
……ん?
なんだか恐ろしく低いトーンで、リッセは俺の名を呼び――どこか虚ろで陰のある笑みを浮かべてヌルリと振り向いた。
「――これからヤルのはレースじゃない、戦争だよぅ。エイルぅ……」
…………
こいつ本当に何をこじらせたんだ?
――正直、本気で止めようかどうか迷ったが……
「あ、うんそうだね。うん。じゃあね」
――本当に関わるのが嫌だったので、気にしないことにした。




