405.メガネ君、ちょっとだけ理で詰める
ありがたい。
本当に素直にそう思う。
「はあ……」
溜息が出る。
ほっとする。
温かい湯と溶け込んだ薬効成分が、身体中に溜まっていた疲れと、普段使わない筋肉がぎしぎしいっている節々に沁みる。
――里に来て初の風呂であった。
昼間、とんでもなく地面を転がされただけに、今日はどうしても風呂に入りたかったのだ。全身じゃりじゃりだったから。
しかし里には行水や、濡らした布で拭くという文化しかなかった。
我慢するしかないか――と思っていたが、メンバーが即席で用意してくれたのだ。
製作者は、リオダインとセリエとカロフェロン。
リオダインの土魔法で、中をくりぬいた円柱――背の高い桶のような形を造る。
次に、黒いドラゴン戦で使ったという「空圧気泡」の魔法で、土桶の中に水を通さない膜を張る。
湯と土を接触させないためのものだ。
次に、暗殺者の村でやっていたように、セリエの魔法陣を付加した石を置いて、膜の中にお湯を満たした。
これで即席風呂の完成である。
大きさはそこそこの一人用で、入れ物である土桶はいずれ魔法効果とともに強度を失うので、無理に壊そうとしなければ維持できるのは一晩くらいだ、と言っていた。
充分である。
仕上げに、「疲れが取れるから」とカロフェロンが薬品を追加して薬湯となった。一般によく知られる薬草の馴染み深い匂いがして、気持ちが落ち着く。
――一人だけドラゴンに乗れたリオダインの気遣いと、最初から乗ることを放棄したセリエとカロフェロンの、ささやかなんて決して言えない大した贈り物だった。
正直、すごく嬉しかった。
そして、途中で抜けたベルジュが腕に寄りをかけた夕食も、非常においしかった。
その夜のこと。
「――じゃあ始めようか」
久々の風呂に入り気分も身体もリフレッシュした「四足紅竜試乗組」は、サジータのテントに集まっていた。
サジータ、俺、リッセ、リオダイン。
今後四足紅竜乗りに挑戦するのは、この四人に限られそうだ。
ちなみに残りのメンバーは、今頃は順番に風呂に入っていると思う。泥だらけになった俺たちは先に利用させてもらったから。
あ、リオダインはまだみたいだが。
「まず、乗る時の諸注意というか、気づいたこととかあるかい?」
――ない。
明日は乗れるよう対策を考えよう、という触れ込みで集められはしたが……気付いたことや思いついたことがあれば、転んでいたあの場で話している。
自然と、全員が唯一乗れるリオダインに視線を向けるが……これもさすがに、もう彼がかわいそうだ。
リオダインは、竜人族の戦士同様、自然に乗れているだけだろうから。
だから、乗り方だのコツだの気づいたことだの聞かれても応えようがないだろう。もう彼に意見を求めてはいけない。
となると……俺から行こうか。
気づいたことではないが、無視できないほど気になることはあったから。
「なんかおかしくなかった?」
見られてまた肩身が狭くなってしまったリオダインに向けられていた二人の視線が、俺に向けられた。
「というか不自然じゃなかった? 転び方というか、振り落とされ方というか……ちょっとなんて言っていいのかわからないけど。
とにかく、『落馬』って結果自体が、不自然じゃない? 馬じゃないけど」
「……ごめん。エイルが何を言いたいのかわかんない」
リッセが顔に不可解を浮かべて言う。横を見ればサジータもよくわからないようだ。
説明が難しいな。
――というのも、俺が「素養・怪鬼」を使って四足紅竜の鞍を掴んでいたことにある。
鞍を持つ。
それは、四足紅竜から落ちないための固定である。馬で言えば、手綱じゃなくてたてがみを直接握っているようなものだ。
それを、フロランタンの「怪鬼」でやったのだ。
絶対に落とされないように、圧倒的な力を込めてしがみついた。
にも拘わらず、すぐに振り落とされたのだ。
「怪鬼」で鞍を掴んでいたにも関わらず。
まるで弾かれたように……いや、そんな抵抗力も感じなかった。
鞍を掴んでいたはずなのに、気が付けばすり抜けたかのように放していた。
まるで不自然さや抵抗感はない、だがとても不自然な現象が起こっていた、気がする。
あの現象は絶対におかしいと思う、のだが……
――それを「怪鬼」抜きで説明するのが、ちょっと難しい。
…………
いや、難しく考えなくていいのか。
シンプルにたとえよう。
「子供は乗れてたよね? いくら竜人族の子供でも、俺たちはさすがに子供よりは握力あるよね? もっと言うと、ここにいる三人はリオダインよりは握力あるよね?
なのに、振り落とされてる。
この比較と結果そのものが不自然じゃないかって話なんだけど」
疑問を提示すると、サジータは腕を組み、リッセはリオダインに手を差し出した。握れよ握手だ、と言わんばかりに。結果が見えているリオダインは嫌そうな顔をしてリッセの手を握り、
「――いたたたたたっ」
案の定の結果だった。やめろよリッセ。……一応それも検証ではあるけどさ。
「確かに不自然かもね」
結構強く握られたのか手を摩るリオダインと、ずっと不可解って顔をしたままのリッセを眺めつつ、サジータは言う。
「四足紅竜は暴れ馬より暴れてない。にも拘わらず、僕らは暴れ馬より落馬してる。
エイルの疑問ももっともだし、その辺を踏まえると――もしかしたら物理的な乗り方じゃないのかもしれないね」
物理的な乗り方じゃない。
――わかる。感覚的な感想だが、それは当たっている気がする。
「サキュリリンは、『自然と乗れる、乗れるのが当たり前』と言っていました。リオダインも感覚的にはそうじゃない?」
「う、うん。僕は一度も落ちてないし、そもそも落ちそうになったこともないよ」
うん。
乗り方だのコツだの何度も聞いたから、その答えも何度も聞いている。
昼はここで終わっていたが――今度は少し突っ込んでみよう。
「四足紅竜に乗った後の操作はどうしてた? 減速とか、曲がる時とか。言うこと聞いてた?」
「…………」
サジータ同様に、リオダインも腕を組んだ。
「……そういえば、そういうのに関しては何も習ってない。でも思い通りに動いてくれてた」
思い通りに、だと?
「ちょっと待ってくれ。それって四足紅竜は人の思想や思考を読んでいるとか、騎乗者と同調してるってこと?」
サジータの突っ込みに、リオダインは「そうかも」と答えた。
「深く考えなくても乗れる。思い通りに動く。これって、乗っているというよりは、四足紅竜が僕らの思う通りに乗せてくれているのかもしれません」
――そうか。そういうことか。
「俺たちはまだ乗せてくれていないんだ」
いくら俺たちが乗ろうとしても、四足紅竜が乗せるのを拒否している。
そういう状態だった。
「怪鬼」付きでも振り落とされたのだから、物理的な反発ではない。
恐らくは魔法的、あるいは魔力的な反発作用が働いていると思う。
そして、四足紅竜のサキュリリンに対する従順さと、一応俺たちも乗せようとしている態度からして、向こうからしても無意識的なものかもしれない。
条件反射的な拒否とか、もしかしたら敵に対する防衛本能的なものが働いているとか、そういうこと、なのかも。
となると、だ。
「サジータさん。明日検証しましょう」
「リオダインと竜人族の共通点について、だね?」
そう、それだ。
それがわかれば、俺たちも四足紅竜に乗る方法か、乗れない理由に近づけそうだ。
そして翌日。
四足紅竜に乗ったことがないという里の若い女性三人に頼み込み、「ベルジュがなんか甘い物を作ってくれるならいいじゃーん」というよくわからないノリで同意を得て、付き合ってもらった。
結果、三人とも乗れた。
普通に乗れていた。
――これはいよいよ「乗り方」ではなく「乗せてもらう方法」を模索する必要がありそうだ。




