397.竜人族の里で 6
「――おはようございます」
今日もエイルとサジータは、朝から長老の家にやってきた。
「ああ、すまんが今日も頼む。――おおい、坊主どもが来たぞ! 茶をくれ!」
自分の特等席で煙管を吹かしていた長老が歓迎し、奥にいる妻を呼びながらどっこいしょと腰を上げた。
「では少し外すでな。好きにやってくれ」
と、長老は毎日の日課である、里の散歩へ出かけた。
雨や雪の日は休むが、それ以外は一周して自分の目で様子を見ることにしているのだ。
そんな長老と入れ違いで、奥の台所から老婆が出てきた。
「今日もよろしくお願いしますよ」
この里で作られている竜鱗茶という、希少かつ高級なお茶が振る舞われる。
独特の甘い香りとは裏腹に、口当たりは少し渋い。
だが飲んだ後に口に残る後味はほのかに甘いという、繊細にして複雑な味わいを持つ飲み物である。
名前の通り、ドラゴンの鱗を加工し粉末にした物を使用しており、滋養強壮効果もあるとか。
まあエイルとサジータに出しているものは薄めなので、そこまでのものではないが。
「ありがとうございます。今日は少し冷えますね」
エイルも嫌いではないが、物の価値がよくわかっているサジータには大好物のお茶である。ニコニコしながら振る舞われた茶を飲み、世間話を始める。
「ええ、ええ。この分だと、今年は珍しく雪が降るかもしれないわね」
獣人の国は温かい地方である。基本的に降らないらしいが、何年かに一度は思い出したように雪が降るそうだ。
「――もう始めていいか?」
そんな世間話をしていると、出入り口からアヴァントトが顔を出した。
また里の一日が始まる。
「――邪魔するぞ長老。奥方。……なんだ、長老はいないのか」
今日もアヴァントトが一人、里の戦士を連れてきた、が……
エイルは少し目を見張る。
(――年齢層がちょっと違うな)
今までは比較的若い……ともすれば同年代から少し年上や、女の戦士が続いていたのだが。
今日やってきたのは、顔も渋いしヒゲも豊かなら、無数の傷跡が残る肉体の厚みと筋肉量も、若者のそれではない。
年齢は、四十前後くらいだろうか。
未熟さなど微塵も残されていないような、まさに歴戦の戦士という大男だ。
「客人の前に座ってくれ」
「…? おいトト。いったいなんなんだ」
歴戦の戦士は、アヴァントトの言葉に不可解さを隠そうともせず……しかし一応エイルらの前に座った。
「よう、サジータ。おまえの連れには何人か挨拶してるが、今回会うのは初めてだな」
「そうだね。久しぶり、オーシン」
何度も里に来ているサジータとは顔見知りである。こまめに来ては焦らず親睦を深めてきたサジータは、里の住人に知らない者はいない。
この古強者と言っていい歴戦の戦士オーシンとも、何度か盃を交わしたことがある。
「――おじいさんの代理として言います。オーシンよ、戦士の誇りに掛けて、今これからここで話すことを口外せぬこと。いいですね?」
穏やかなおばあさんが有無を言わさぬ迫力でピシリと言い放つと、オーシンは居住まいを直して「わかった」と答えた。
何の用かは知らないが、戦士の誇りに掛けるほど大事な話が、これから行われる。
オーシンは襟を正す想いで、エイルとサジータに向き直った。
――そして、ようやくエイルが口を開いた。
「長老からの依頼です。里の戦士に、毒避けの『ゴーグル』を渡すように頼まれています」
「……あ? ゴーグル?」
オーシンは、聞き慣れないが聞き覚えがあるそれに首を傾げ――思い至った。
「つーと、クラーヴの小僧が自慢げに顔に着けるアレか?」
そう、それだ。
「この歳だぜ? もうそんなのいらねぇよ。あと十年もしない内に戦士は引退だろうし、今更渡されてもな」
あと十年。
それを長いと見るか短いと見るかは、個人の主観次第だろう。
――エイルにとっては年齢の半分以上なので、十年はかなり長い年月だ。
「俺はいらねぇから、若いのに優先して渡してくれ。……正直少し手遅れだしな」
「手遅れ?」
「毒にはすでにやられてるって話だ。もうだいぶ目が悪い」
そう、戦士として活動する期間が長かった者ほど、毒の影響を受けている。
若い戦士たちは、まだ目立った影響はないが、しかし長く戦士をしてきた者は……
「今更防具を渡されて保護できても遅いんだよ」
これで話は終わりだ、とばかりに立ち上がろうとするオーシンに、
「じゃあその辺も踏まえて調整しますね」
エイルは事も無げに言い、横に控えるサジータに合図した。
どこまで適応させられるかはわからないが、こと「視る行為」に関しては「メガネ」は専門分野となる。
少なくとも、これ以上悪くならないだけでも儲けもので、更に普段よりよく見えるようになるなら丸儲けだろう。
サジータは横に置いた袋から、いくつかの「ゴーグル」を出して並べた。
――先に渡してきた戦士たちの意見を取り入れ、人気のあったデザインや色を定型化して見本にしたものだ。
やれバンドが止めづらいだの、装着しづらいだの、視界が制限されるだの。
そういった試行を経て抱かれた意見を取り入れ、より実用的かつスタイリッシュになって生まれてきた物たちだ。
「竜人族用ゴーグル」として何度も作り変えられてきただけに、すでに自信作である。
「俺は『ゴーグル』を変化させることができます。こんな感じで」
と、エイルは「ゴーグル」に触れて一瞬で色を変えてみせた。
――「素養・メガネ」ではなく、「物質を少しだけ変化させることができる」という嘘で誤魔化している。
「ゴーグル」は元から仕入れてあったもので、エイルは変化をもたらすことができる、という設定で動いている。
竜人族の主要人物には話してあるが、それ以外に吹聴する理由はない。
「――若い連中にはすでに配ってある。人数分を越える数が用意してあるから、遠慮せずに受け取ってくれ」
色々といきなりだらけで驚き固まるオーシンに、アヴァントトが言う。
「なんだトト。ガキどもはすでに全員持ってるのか?」
「俺は親父の後に貰うつもりだからまだだが、ほかの連中はもう使っている。誓いがあるからこっそりとな」
「……そうか。俺は余り物くらいでいいんだが……変化させられるなら、早いもの勝ちってことでもねえな」
と、オーシンは「ゴーグル」を一つ手に取った。
「どうなってんだ? こんなに黒くて見えるのかよ。……お、お? ……おい。直に見るよりくっきり見えるぜ」
黒いレンズを通して周囲を見て、裸眼で見て、またレンズ越しに見てと繰り返しつつ、オーシンは思った。
――長老が欲しがるはずだ、と。
今度の客はかなり歓待されていた。
それは誰から聞くでもなく、傍から見ていればすぐにわかった。
今長老宅に漂っている、鼻孔をくすぐる甘い香りも、里の者でさえ病気か怪我で弱った時にしか飲めない竜鱗茶だ。客の飲み物として出されたのだろう。
まあ何があろうと長老がどんな気持ちで歓待していようと、戦士たちには関係ないだろう、と思っていれば――
この「ゴーグル」が、今度の客の用事だったわけだ。
戦士の視力の悪化は、里の死活問題に直結している。
それをどうにかしたいと、いつだったか長老が言っていたが――その答えがこれなのだ。
「もう試してあるが、毒は通さない。強度もかなりのものだ。そう簡単には壊れない」
「ほう」
オーシンは、まるで玩具を貰った子供の頃のような高揚感を覚える。
というか、傍目には玩具を貰った子供のように「ゴーグル」を弄り回す大男がいる。
「――自分で試してみたいだろう? 皆そうだった」
「フン……わかってるじゃねえか」
オーシンは立ち上がった。
「持っていっていいか?」
「もちろん。使ってみて意見をください。調整は何度でも請け負いますので」
「そうか。ありがとよ」
歴戦の戦士は不器用に笑って礼を言うと、いそいそと表へ出ていくのだった。




