394.竜人族の里で 3
「――さっさと起きろ!」
カロフェロンの朝は遅い。
「……」
薄暗いテントの中なのでわからないが、もう陽が昇っているようだ。
昨日も調合の最中に意識を失い、いつの間にか寝落ちしていた。
「食事が片付かないから」と毎日起こしに来るベルジュ曰く「いつも死んだように寝ている」そうだ。
最初見た時は本当に死んでいるかと思った、と言っていた。
近くにある物や、調合途中の薬品などをなぎ倒すようにして、眠りに落ちるせいである。
ブラインの塔にいた頃や獣人の国を移動していた際は、起床時間と移動時間が決まっていたので、時間を忘れることなどなかったが……
竜人族の里に来て、自由な日々が得られた時から、彼女の不規則な生活がすぐに始まった。
「――早く起きろ! もうすぐ昼だぞ! 俺も出かけたいんだ!」
テントの外からベルジュが呼んでいる。
最近は毎日こうだ。
これまでの経験から、早く行かねば本当に食いっぱぐれる。
寝ぼけた頭で起き上がり、昨日着ていてそのまま寝た黒ローブを脱ぎ捨て、比較的綺麗な替えの黒ローブを着込む。よく見ると薬品のシミがたくさんあるが、よく見ないとわからないので気にしない。
まあ、薬草などの臭いが染みついてきたのは、さすがに気になってきたが。
近く洗浄消臭効果のある薬でも作ろう――そう思いつつ、色々と残念なカロフェロンは薄暗いテントから這いずり出るのだった。
「食器はそこの桶の水に付けておけよ」
うん、と返事をするより早く、ベルジュはようやくテーブルに着いたカロフェロンを置いて出ていく。
今日も食材や料理のレシピを求めて里の探索に行くのだろう。精力的である。
「…………」
急かす者がいなくなったので、カロフェロンはゆっくりと、冷めた朝食兼昼食を腹に納めていく。
なんだか赤黒い薄く平たいパンと、腐っているとしか思えない色見の野菜が入った汁物。里に来てからの定番メニューだ。
見た目は食欲を掻き立てるものではないが、口に入れれば間違いなくおいしい。
(地毒……じゃない)
どう見ても毒を持っていそうな色合いだが、そんなことはない。
黒い小麦や野菜を見てベルジュが睨んだ通り、カロフェロンも最初は土に毒性があると思ったのだが。
しかし調べてみると、そんなことはなかった。
成分的には、かなり状態のいい普通の土だった。
――今は冬場なので虫はあまりいないが、春になればとんでもない大きさのミミズが出るそうだ。基本的に地面に住むあの手の虫がいる土は、悪い場所ではない。
(ドラゴン……毒沼……ドラゴンの排泄物……肥料……益虫……光合成……植物……)
――いったいなんの要素が小麦を黒く染め、野菜を変色させるのか。
カロフェロンは時折食べるのを忘れながら、考え事に没頭する。
「――カロン! カロン!」
激しく肩を揺らされ、カロフェロンははっと意識を取り戻した。
「食べながら寝るなよ……」
どうやらここでも寝落ちしてしまったようだ――どうも昨夜落ちた時間が遅かったらしい。まだまだ眠い。
それはともかく。
まだ半分は残っている食事を前に寝ていたカロフェロンを起こしたのは、リッセだった。何やってんだと言いたげな顔をしている。
不規則極まりない生活になってしまっているカロフェロンからすれば、眩しいほどに規則正しい生活をしている者である。
まあそれを言うなら、カロフェロン以外の全員がそうなのだが。
「早く食べちゃいなよ。待ってるから」
「……?」
待ってる?
言葉に出さずとも、少し首を傾げた態度で、リッセは察した。
「もしかして忘れてる?」
いや、そこまで言われて思い出した。
ネロを洗う日だ!
ずっと待っていた、猫を洗う日だ!
構うのは禁止と言い渡されてから、できるだけ考えないようにして毎日をやり過ごしてきた。いくら猫が好きでも、ネロが好きでも、ここに来た目的の邪魔になるなら控えるしかない。
考えるとつらくなるばかりなので、考えないようにしていたが――いよいよ待望の猫洗いの日がやってきたのだ。
ここ数日は姿さえ見ていない。
しかし今日こそ、今日こそは、思う存分ネロと戯れられる夢の時間が――
「嬉しそうな顔してるけど、ネロを洗う日じゃないからね」
知っていた。
そんな大事な日を忘れるわけがない。
そして、本来の用件もちゃんと思い出した。
――今日は、森にあるという毒沼を調べに行く約束をしていた日だ。
カロフェロン一人で調査に行ってももいいかと思ったが、ここはドラゴンの棲む森のど真ん中である。
さすがに単独行動は危ないと思い、リッセに相談しつつ同行をお願いした。
そしてリッセは、案内役の竜人族の人を捕まえるから数日待て、と言って……
今日が約束の日だった。
話を持ち掛けてから数日経っていたので、頭から抜けていた。
カロフェロンなりに急いで残りを平らげ表に出ると、入り口の前に、槍を持った竜人族の少女が立っていた。
「もう行けるか?」
彼女には見覚えがある。
里に来た時に案内役をしてくれた、里の戦士サキュリリンだ。
「ごめん。待たせたわね」
「気にするな。案内する約束だ」
手合わせだなんだと交流を深めていたリッセとサキュリリンは、すっかり仲良くなっている。
今日の森への付き添いも、手合わせをしてリッセが勝ったら、という条件下で行われ、見事に勝ち取った権利である。
――そんな裏事情を知らないカロフェロンは、「よろしくね」と言いながら、すでに意識はこれから向かう毒沼に向けられているのだった。
「――リッセ。この際だからはっきり聞いておきたい」
「――ん? 私の強さの秘訣?」
「――それはいらない」
「――なんでだよ。私サキュより強いでしょ」
「――私は本気を出してない」
「――私も出してないけど?」
「――嘘をつくな。まあ私は本当はまだ半分の力しか……いやもういいんだこの話は。何度目だ。見栄を張るな」
「――見栄っぱりはお互い様でしょ。……で、何?」
「――エイルには恋人はいるのか?」
「――え? ……いや、知らないけど」
「――本当か? ではおまえは違うんだな?」
「――うん、違うね。まああいつがどうしてもって言うなら付き合わなくもないけど」
「――おまえはエイルが好きなのか?」
「――好き、っていうか…………なんかもう距離が近いんだよね。ずっと一緒に住んでるようなもんだったし、生活上ただの友達のままではいられなかったし。嫌いじゃないけど、なんか、恋愛なのかって言われると絶対に違うし」
「――なんかよくわからんが、違うならいい」
「――え、何? サキュの好み?」
「――里の女たちがかなり気にしている」
「――そうなの!?」
「――もちろん私も気にしている。あいつは竜人族の女でもいいと思うか?」
「――いやいやちょっと待って! なんでそんな人気なの!? あんたらの部族って強くてガタイのいい男が人気なんでしょ!? アヴァントトとかさ! エイルは強いけどガタイ的には真逆じゃん!」
「――好みはな。だが完璧な男などそういない。そもそもリッセ、おまえはずっと一緒にいてあの男の価値に気付かないか」
「――えっ?」
「――強さでは互角に近いかもしれんが、男を見る目は我々の方が上だな。おまえはダメな女だ。そのままでは婚期も逃すな。まあおまえにはそれがお似合いだがな」
「――何よそれ!」
…………
仲良さげな女の子二人の女の子らしい話を聞きながら。
(これ女子トークだ……ちまたで噂のコイバナだ……!)
恋愛事には一切合切縁がなかったカロフェロンは、前を歩く年頃の女の子二人の会話を聞いて、とてもどきどきしていた。




