392.竜人族の里で 1
歓待された夕食から一夜が明け、竜人族の里での生活が始まった。
調査隊用に用意された一人用テント群が設置された場所は、里のはずれの開けた場所である。
ここなら、何をするにも里の住人の迷惑にはならないだろう。
生活上、色々と制約はあるが、単純化すれば原則は二つである。
一つは、エイルには拘わり過ぎないこと。
もう一つは、調査に来ているが調査はしなくていいこと。
その二つさえ守れば、それぞれで割と好きに生活していいと言われている。
「――行ってくるね」
まだ暗い内から起き出して日課の剣の素振りをしているリッセに、こちらも早くから起きてきたエイルとサジータが、連れだってどこかへ出かけて行った。
(……エイルが動くってことは、『メガネ』絡みかな)
ゾンビ兵団討伐の時に見てしまったので、なんとなく「エイルの素養」には気付いていた。
「複数の素養」を使えることもわかっている上での判明なので、相変わらず謎が多いままだが。
いずれわかる時が来るだろうか――そんなことを考えながら、リッセの素振りは続く。
「闇狩りの力」を帯びた光る剣にも、ずいぶん慣れた。
リッセにとっては最大の攻撃にして、しかし一振りで武器を壊してしまうという最大のネックでもあった「己の素養」だが。
今では丸一日振ることもできるようになった。
ブラインの塔に行ってからの修行で、特に伸びたと思う。
教官役のヨルゴの言葉での教えはまるで役に立たなかったが、彼の振るう剣の型は、寒気がするほど美しかった。
人間とは、ここまで無駄を削ぎ落した一振りを体現できるのか――脳裏に焼き付けた理想の型を手本に、リッセは黙々と腕を磨いてきた。
――ドラゴン狩り。
里に来たリッセの最終目標は、単騎でのドラゴンの狩猟である。
決闘ではなく、狩りだ。
あくまでも狩りということに――手段を問わず勝つ、生き残ることが最優先だ。
そのための準備として、狙うべきドラゴンの情報と、里の戦士の経験談は、確実に必要になるだろう。
塔で何度も行われた課題で、しっかり積み上げ培われた冒険者としてのやり方は、ハイディーガで白亜鳥を狩ったあの時とは別人のように違う。
今思い返せば、同行したエイルがしばらく白い目で見るはずだな、と恥ずかしくなるくらいだ。
いくら武器が優れていても、それだけで対処できるほど魔物は弱くない。
現に課題では、絶対に一人ではこなせないものばかり出題された。
自分的には「討伐不可能」という判断を下すものも多かったが――それをことごとく覆してきたのが、エイルやリオダインといった頭を使うのが上手い連中のやり方だった。
特にエイルは、暗殺者の村にいた頃から、狩りにおいては誰よりも優れていた。
リッセはすぐに凝り固まった「『闇狩りの力』があれば一人でできる」という意識を捨て、彼らと一緒になって策を練ったり案を出したりしたものだ。
――だが、個であることにもこだわりたい。
いち剣士としては、一人でどこまで強くなれるのか。
その意識を捨ててはいけないと思っている。
仲間に頼るのはまだしも、頼りすぎは絶対によくないと知っているからだ。
「…………」
素振りを終わらせ、額に浮いた汗を拭きつつ、ふと思い出す。
シロカェロロは強かったな、と。
教官ヨルゴは当然のように強かったし――それより衝撃だったのが、遅れて塔にやってきた白狼シロカェロロの強さだった。
武器を使わない徒手空拳であそこまで強くなれるなんて、と。
あの時走った衝撃はなかなか忘れられない。胸の大きさも衝撃的だった。あそこまで大きいなんて、と。
「……勝てる気しないなぁ」
思い出しては苦笑する。
強さも胸の大きさも、リッセとは違う次元にいる存在だった。
――あのまま塔で過ごしていれば、何度も手合わせができたはずだが、こうなってしまっては仕方ない。
今ここで、できることをやるだけだ。
素振りを終えたリッセは、次は秘術の訓練に入る。
習得を目指しているのは、歩行術、走行術、疾行術の三つである。
消音歩行と、いわゆる壁走りと、短距離高速移動だ。
「……くっ」
まずは歩行術。
傍目には歩き回っているようにしか見えないが、リッセの表情は硬く険しい。
コツはもう掴んでいる。
魔力を放出し、足を覆うことで接地面に緩衝材を噛ませたり粘着性を持たせたりする、というのがおおよそ単純な原理のはず。
ただ、魔力を一定量放出し続けるのも、その維持も、非常に難しい。
消音はほんの数歩。
壁走りは最初の一歩目だけ。
高速移動に関しては、できているのかいないのかわからないくらい微妙な出来だ。
――これでも秘術を習得する速度としては早い方である。特に、原理に到達したリッセの勘働きは非常に優れていると言える。
しかし、それとできるかどうかは別問題だ。
理論や理屈だけわかっていても、実行可能かどうかは別の話である。
ひたすら消音歩行の訓練をしてへとへとになり、少し休む。
「あー、きっつ……」
短時間歩き回っただけでこれだ。
まるで「素養」の訓練を始めたばかりの頃のような消耗度である。
――里に来る途中、「慣れれば呼吸するようにできるようになるよ」とサジータが手本を見せてくれたことがあったが。
とてもじゃないが慣れる気がしない。
しばらく休み、空が少し白み始めた頃、リッセは次の訓練に移る。
次は走行術の訓練。
ひたすら木を駆け上るのだ。
理屈から考えれば、最終的にはゆっくり走っても登れるようになる、はずだ。
しかし今のリッセには、木に面する第一歩目しか、足が壁を噛まない。
(……この『一歩目の感覚』を繰り返せれば……)
そうすれば、紹介された時に言っていたように「どこでも走れるようになる」はずである。
それこそ天井だって、逆さまになって走れるようになる、かもしれない。
散々うろうろ歩き回った後、今度はひたすら木を駆け上る行為を続ける。
傍から見れば、何をしているのかって感じだろう。
しかし本人はいたって真剣だし、わかる者が見れば必要な訓練なのである。
「はあ、はあ、はあ」
ひたすら登ったり下りたりを繰り返し、息切れする。
やや暖かい地方ではあるが、真冬と言っていいこの時期に、顔どころか全身の汗が吹き出している。
まだ余力はあるので、もう少し続けるつもりだが――今日も進展があまりない。
「はあ、……あ?」
息を整えようと大人しく待っていると、足音が聞こえ――振り返ると、巨大な猫が歩いてくるのが見えた。
ようやく名前が付けられたエイルの猫・ネロだ。
「おはよ、ネロ」
「にゃあ」
寄ってきたので撫でようとしたが、ネロは直前で避けた。汗まみれのリッセに触られたくなかったのだろう。
「……エイルだったら『あ、触るのはちょっと』とか言いそうな態度ね」
避けられた寂しい手を下げつつ、そんな皮肉を言ってみる。まあ猫に言っても仕方ないが。
ネロはそのまままっすぐ行き、リッセがひたすら登ったり下りたりしていた大樹の方へ向かい――
「――え……えっ!? えええええっ!?」
歩いた。
大樹を、多少のでこぼこはあるが垂直にそびえる大樹を、まるで地面の延長線上にあるもののように、ゆっくり歩いて登った。
爪を立てて身体を固定していたとか、そういう風に見えただけだとか、目の錯覚とかでは、断じてない。
確かに歩いて登った。
それは――リッセがやろうとしていたことそのもの。
いや、もしかしたら、もっと高度な技術なのかもしれない。「走った」ではなく「歩いた」のだから。
「…………」
声を上げるほど驚き唖然とするリッセを見下ろしながら、ネロは大振りの枝の上に寝そべり、気ままに顔を洗い出す。
その態度は、今やったことと、大きいことを除けば、猫そのものである。
「…………召喚獣、か」
どういう原理でそうなっているのかは知らないが、ネロはエイルの召喚獣だと聞いている。
うろ覚えの知識だが、術者と契約を結び召喚獣となった動物や魔物は、その契約者と深いところで繋がると聞いたことがある。
意思の疎通ができるようになったり、性格が似たり、知識を共有したりするとかなんとか。
ならば、さっきの現象の答えは?
「――負けてられない」
ネロができるなら、契約者であるエイルもできる。
というか理屈は逆のはずだ。
エイルができるから、ネロもできるのだ。
つまり、エイルの秘術の習得度は、リッセを越えているということ。
――あのメガネは、自分より先を行っている。
それに気づいたリッセは、汗を拭って訓練に戻るのだった。




