389.メガネ君、ひとまず交渉を終える
「――戻った」
思った以上に時間が過ぎていることを悟ったのは、戻ってきたサキュリリンの姿を見た時だった。よかった、結局怪我はしてなさそうだ。一時的にすごく痛かった程度の症状だったのだろう。
細かな交渉事を進めている間に、結構時間が経ってしまっていたようだ。
「――おお、どうじゃった?」
ドラゴン素材の加工作業についての技術を教えてもらえないか、と交渉している最中だったが。
長老の興味は、やはりどうしても「ゴーグル型メガネ」に向いてしまう。
俺がまた竜人族の里に来るかどうかわからないので、道中知りたいことや教わりたいことは、出来る限り考えてきた。
これが二度とない機会であるなら、得られるものは全て得たい――俺だけではなく、調査隊全員の要望も含めて。
元々長期滞在をするつもりで来ているので、やはり一番気になるのは食事である。
住む場所は、雨風が凌げれば贅沢は言わない。安心して眠れる個室にネロと一緒に寝られればそれでいい。
田舎、というより、ほぼ外界から隔絶されたような閉鎖空間である。
独自の文化があることは元より承知だが、その独自の文化による食事を、気にせずにはいられなかった。
何せ獣人の国は、トカゲ肉が一般的というほどに、ナスティアラ方面とは違いすぎるのだ。心配しない理由がない。
主食から食事の肉の比率、味付けなども気になるところだ。
まあ、ベルジュがいるので、失礼ながら里の料理が口に合わなくても、この辺はなんとかなるとは思うが。
そして、やはりここに来た以上、ドラゴン関係の要望は外せない。
ドラゴンの魔核の加工技術や使用用途。
皮や鱗、肉、角に爪、骨、筋繊維や内臓に至るまで、ドラゴンがもたらす恩恵は非常に多い。
――などなど、話したいことはまだまだあるのだが、今は俺もサキュリリンの反応を伺うことにしよう。
「今より明るく、遠くまでよく見える。見ることに関しては文句なしにいい」
それは普通にメガネの効果だろう。
サキュリリンの目が悪いというわけではなく、「メガネ」の効果でよりよく見えるための補正が働いたのだ、……と思う。
誰かに掛けさせた、という「メガネ」そのものとしての試行は、あまりにも少ないから何とも言えないところだが。
「今日は毒の風が吹いていないからその辺は試していないが、中に風が入らないから恐らく大丈夫だ。
ただ――」
サキュリリンは手にある「ゴーグル型メガネ」に目を落とす。
「――これで空を飛ぶのは危ない。いつもより太陽が眩しかった」
あっ、太陽か。
「レンズの色、変えられるよ」
「色……?」
アルバト村から王都へ向かう途中で、俺も太陽が眩しいと思った。なんというか、よく見えるがゆえの弊害というか、そういう問題である。
太陽なんて裸眼で見ても危険だ。
だが、その裸眼と比べて、メガネ有りは明らかに危険な光と感じられるのだ。
直視は絶対に目が危ない、と思えるほどに。
本能が、これはまずいと訴えかけてくるほどに。
そこで色々試してみた結果――レンズの色を変えることができる、という事実に気づいた。
あれ以来出番がないかと思いきや、地味に「マスク型」や「紐型」にも応用していたりした。主に「レンズを透明じゃない色」にしたり、だが。
――冷静に考えると、あれも一種の「魔力の変質」の効果だったのかもしれないな。
「ちょっと失礼」
俺は立ち上がり、サキュリリンが持っている「ゴーグル型」に触れ――レンズ部分のみ「黒く」してみた。
「それならあまり眩しくないと思うけど」
「おお……――見てくる!」
サキュリリンは、透明度を失い真っ黒に染まったレンズ越しにその辺を見て、透明じゃないけどちゃんと見えることを確認すると、再び長老宅を出ていった。
「すごいのう。そんなこともできるのか」
「ちょっとした応用くらいはできます」
そもそもの話、「ゴーグル型」だって「メガネ」の応用で出しているものだし。
「――すごいぞ長老! トト! 太陽が見える!」
あ、戻ってきた。
「黒色ゴーグル型」を着けっぱなしのサキュリリンの顔は、半分が覆われ隠れている状態だが――それでも興奮していることがすぐにわかる。
そして、向こう側が見えない黒いレンズ越しに、俺を見ていることもすぐにわかった。
「おまえすごいな! 私はこれがいい! 太陽が見えるこれがいい!」
いやいや、まあまあ。
「どうせだからもっと試行を重ねたらいいよ。それはあくまでも試しに出しただけだから。色だって柄だって形だって、ある程度は自由にできるから」
そしてこの辺の交渉はまた、俺たちの有利に運ぶためのキーポイントとなる。
――さあ、「メガネ」に踊れサキュリリン。里中の戦士に吹聴して「ゴーグル型」の需要・価値を高めるのだ。
まだ交渉事は終わっていないが、もう夕食の時間に近いとのことで、今日のところは解散となった。
――恐らくは、求める「ゴーグル型メガネ」が思った以上に高性能かもしれない、という可能性に気づいたのだろう。
きっと今頃は、主立った竜人族を呼び出して緊急会議の用意でもしていることだろう。
「君の『メガネ』、普通にいいね」
長老宅にいくつかの「メガネ」と「ゴーグル型」の色付き、色なしを置いて、俺たちは用意してもらっている建物へと移動する。
アヴァントト、サキュリリンはおらず、案内役の竜人族はいない。
何度も里に来ているサジータが、勝手知ったるという感じで案内してくれている。
「考えたこともなかったけど、僕も視力悪いのかな?」
「誰かと比べたら悪いと思いますよ」
「なるほど。そういう考え方だとみんなそうだろうね。――それで、次に言う言葉はわかるよね?」
「メガネ」を出せと。試させろと。興味あると。
俺は「メガネの素養」は、一生自分の口から誰かに話すことなんてないと思っていた。
なのに、こんなにも大っぴらに、誰かに「出せ」と言われる未来が来るなんて、思いも寄らなかった。
うーん……意外と平気なもんだな。
バレやしないかとビクビクしていたのがバカみたいだ。
「続きは二人きりの時にしましょう」
でも表で話せることではないな。絶対に。
周囲には、日常生活あるいは見慣れない人間を見ている竜人族。
そして行く先には、調査隊メンバーが生活の準備をしている姿があった。




