382.メガネ君、そしてようやく森へ発つ
ここで保存食をすべて使ったという、ベルジュが腕を振るった料理の数々を平らげ。
戦闘の熱もようやく冷めてきた頃、毒の後遺症を警戒しての浄化と休憩として思い思いに過ごしている俺たちに向け、「注目」とグロックが視線を集めた。
隣にはサジータがいるので、やっと話し合いが終わったのだろう。
「結論だけ通達する。
例のドラゴンの魔核三分の二は俺たちが、残り三分の一と謎の骨三つはサジータさんたちに渡すことになった」
よし。
サジータは交渉をがんばってくれたようで、こっちの要求が全部通ったことになる。
――こちらの要求は、魔核はともかく謎の骨は確保しておくこと、だった。
ホルンの「森から離さない方がいい」という発言も気になるし、俺自身も骨の正体は非常に気になっている。
特に、ドラゴンの棲む森に点在する毒沼と何か関係があるのであれば、確保しておいた方がいいと考えた。
グロックたち冒険者にとっては無価値にしか見えない骨と、砕けてしまったがかなり大粒の魔核の欠片。
今まで時間が掛かったことから、交渉自体は結構揉めたのではなかろうか。グロックも一つくらいは骨を確保したかったのかもしれない。
骨の正体は本当にわからないのだ。
魔核が手に入らないのは問題ない。突き詰めればお金の問題になるからだ。
お金さえあれば代用できる他の魔核もあるだろうから。
だが、骨は違う。
もしあれになんらかの付加価値があるのであれば、お金でその代用品が用意できるかどうかはわからない。
特に、あの骨が毒を生み出すような物であるなら、それこそ街に――いや、森から引き離すことは避けた方がいいと思う。
――ちなみに、個人的な予想で言えば、骨は毒となんらかの関係があると思っている。
――そして竜人族は骨の正体を知っていて、彼らが欲する可能性もある、と。
どっちにしろ、骨の詳細は竜人族に聞くつもりである。
そこで得られた情報で、付加価値があるかどうか判断できるだろう。
「――僕らはそろそろ出ようか」
簡潔なグロックの報告が終わると、次はサジータがそんなことを言った。
俺たちの目的地は、ドラゴンの棲む森の中にある、竜人族の里である。
そして、グロックたちは森までの護衛だった。
朱蜻蛉の大量発生で森に辿り着くことができず、数日ほど足止めされたが――それはついさっき解決したところである。
つまり、もう足止めされる理由がないのだ。
休憩もしたし、戦闘直後は毒の後遺症が残っていたとしても、もう消えていると思う。
皆ピンピンしているし、食欲も旺盛だったし。
となると、もう行かない理由がない。
「えー? 行くのー?」
一人山盛り食ったホルンが、苦しげな腹を抱えて横になったまま不満の声を上げる。姉……本当に奴は変わらないな。どこまでも本能のままだ。「黒鳥」の皆さん、本当に姉がすみません。
「――ありがとな。おかげで助かった」
レクストンが改めて、出発の準備に掛かるリッセに礼を言う。
「――聞き飽きたよ」
もう何度も聞いているリッセが苦笑する。
「――『大罪』シリーズって魔法界隈ではあまり強くないんですか?」
「――僕は中くらいの強さって聞いてるけど……あ、ごめん。さすがにもう話は」
貪欲に知識を求めるライラと、魔法の話ができて嬉しそうなリオダインだが、さすがにもう時間がないとちょっと焦っている。
道中何日も一緒にいたが、打ち解けたのはついさっきだ。あの二人は話をするのが遅すぎた感じである。
そんな、護衛と護衛対象という関係にしては少し関わり過ぎたメンツもいるが、出発の準備自体はあっという間に終わった。
「――弟君」
派手に広げていたカロフェロンの荷物をまとめるのを手伝い、それが終わると……俺は小声でアインリーセに声を掛けられた。
「――これから危険なことしに行くんでしょ?」
「――するつもりはないですけどね」
そう、これは紛れもなく本音である。
戦闘する予定はない。
……ただ、結果的にはやはり戦闘するかもしれないってだけで。
何せ、行く先はドラゴンの棲む森の中である。何があるかわからない。
ついさっきだって、朱蜻蛉を追っ払うだけのつもりが、正体不明で名称不明の黒いドラゴンと戦うはめになってしまった。
全てが予定通り、あるいは予想通りに運んでくれれば安全に帰れるはずだが、……こればっかりは俺だけの意志では決まらないからなぁ。戦うとかやだなぁ。俺にはもう守るべき猫がいるんだし、あんまり危険なことはしたくないなぁ。守るべき大きな猫がいるんだしなぁ。
「――ナスティアラの王都に戻ってきたらまた会いに来てよ。ここで別れるのはさすがに心配だから」
「――ありがとうございます。そうします。……あの通りのしょうもない姉ですが、これからもよろしくお願いします」
「――ああ、うん、まあ、……まあ、あれくらいはいつも通りだから。気にしない気にしない」
ベルジュに「行くなよーいろよー」と酔っぱらいのように絡みまくっている残念な姉だが、それに関してのアインリーセのコメントも残念極まりないものだった。
いつもあんなんなのか……村にいた頃よりひどくなってないか?
本当に、「黒鳥」には頭が上がらない。
姉が申し訳ありません。
黒いドラゴンと戦う前に、グロックは護衛を辞めるだのなんだのと言っていたが。
結局、護衛は達成ということで落ち着き、暗殺者組織から約束の報酬が出ることとなった。
まあその辺のことは詳しく聞いていないので、俺から言えることはないが。
「――気を付けて」
契約通りグロックたちに森まで送られ、俺たちはようやくドラゴンの棲む森へと踏み込んだ。
「黒鳥」が見送る中、サジータの先導で森を進んでいく。木々や草木の密集度はそうでもないな……いくつか大きな獣道を見付けたが、ドラゴンの通り道にもなっているのかもしれない。
四足紅竜を呼んだのが原因か。
それとも予想外にやってきた黒いドラゴンが原因か。
近くに魔物――ドラゴンらしき反応はなかった。
朱蜻蛉の多くも、森に引き返したはずだが……影も形も気配もない。どこまで逃げたんだろう。
すっかり護衛たちと離れ、そこそこ行ったところで、歩きながらサジータの説明が入った。
「もう少し先に広場がある。そこで笛を鳴らすと、竜人族が迎えに来ることになっているから。
――だからエイル、変装は解いておいてね。そのままでいいなら構わないけど」
ああ、そうか。
しばらく竜人族の里に滞在することになるので、変装して過ごすのは、ちょっと窮屈だ。
元は「黒鳥」――もっと言うと姉ホルンから身を隠すための変装である。
もはや解かない理由の方がない。
「えー? エルちゃんの方がいいと思いますけど」
「「…………」」
なんて言っていいのかわからない真意の見えないセリエの言葉は、誰もが聞こえないふりをした。俺? 俺も何も聞こえなかったよ。聞こえてたまるか。
――ああそうだ。俺も一つ言っておかないと。
「歩きながらでいいので聞いてください」
と、俺は大事なことを告げた。
「里にいる間は、猫は出しっぱなし……というか放し飼いにするつもりです。なので召喚獣ではなく、『魔物使い系の素養』で契約している魔物として扱ってください」
これは別に、俺が大変猫が好きだから、という理由で出した要望ではない。決して猫と気兼ねすることなく暮らしたい、猫がいる生活がいいというワガママからではない。本当にない。
元々、竜人族の里に行くことを聞いた時から、こうするために猫を捕まえてきたのだ。
むしろこれが目的だったと言える。
「ネクロと……暮らせる……?」
カロフェロンが喜んでいるようだが、しかしだ!
「猫の名前はネクロじゃないから、その名前で呼ばないでくださいね」
「え?」
え?
何そのきょとんとした顔。初めて見た。
「ネクロは、ネクロ、だよ?」
――これはまずい。彼女の中ではすでに名前が決定してしまっているようだ。




