376.朱蜻蛉突破録 6
「――散開してドラゴンを囲め! ブルとエルは正面に出ろ!」
うねりながら燃え上がる火柱が揺らめいた瞬間、グロックの指示が飛んだ。そろそろ魔法が切れるのだろう。
攻撃を散らせるため。
また一ヵ所を攻められた時の被害を最小限に抑えるために、複数名が溜まることなく散らばり囲む。
囮役であるオールドブルーとエイルは、ドラゴンの正面に向かう。
ドラゴンの攻撃を向けさせて、隙を作る役割である。
この場に素人はいない。
突然の指示出しだが、誰一人戸惑うことなく動き出していた。
――ライラの炎は、完全に黒いドラゴンを覆い尽くしているが……誰もがこれで決着が着くとは思っていなかった。
ドラゴンの鱗は非常に固く、炎にも強い、というのが常識だ。
もっと言えばあらゆる攻撃に強いのがドラゴンである。
そんな鱗は持ってなさそうな毒のドラゴンでさえ、そう簡単に仕留められるとは――
「避けろぉ!!」
ふっと、炎が天に昇るようにして立ち消えた瞬間、黒い液体が四方に飛んだ。
さっき見た、四足紅竜たちを襲った爆散である。
グロックの声もあったが、誰も油断していなかった。
この攻撃はさっき見た。
ならば来る可能性を最初から考慮し、警戒できていた。
誰も被弾することなく更に距離を詰め、ドラゴンを囲むことに成功した。
今はドラゴンの形を失っているそれ――何者をも模していない歪な粘土細工のような毒の塊は、近くで見るとヘドロのようだった。
底の見えない真っ黒の、見るからに身体に悪そうな色だ。
やはり毒の塊のようなものなのだろう。
血も肉もなく、もしや意思さえ存在しないかもしれない。
今は霧をまとっていないが、これはきっと、ライラの魔法が一時的に霧を蒸発させた結果だろう。
しばらくすればまた再生し、もっと広域に広がるに違いない。
「――霧は長時間触れなければ大丈夫です! 毒液は気を付けなさい! 少量肌に触れるのも危険です!」
うぞうぞと地面を這って戻ってくる毒液に気を付けつつ、黒いドラゴンだったヘドロを観察しているエイルの横で、オールドブルーが全員に注意喚起した。
「そういうのわかるんですか?」
エイルが問うと、オールドブルーは「ええ」とドラゴンから目を逸らさず答えた。
「身体が丈夫なことだけが取り柄なので。毒の類もかなり慣らしてきました。――まあ勘ですがね」
慣らしてきた。
つまり、毒を身体に入れて耐性を作ってきた、ということだ。
――穏やかな巨漢という見た目だが、やはり暗殺者らしい経験もたくさん積んできているのだろう。
「アイン!」
グロックの合図から数秒の間を置いて、ヘドロに向かって矢が飛んでくる。――このタイミングで飛んできたということは、アインリーセは援護射撃の体勢でずっと待機しているのだろう。恐らくこれより後も。
これまでしっかり連携を取ってきたベテラン冒険者同士ならではである。
気を引くための射撃ではないので、矢はど真ん中に当たった。
大気を振動させる大きな衝撃音とともに、粘土細工の半分ほどが飛び散る。
ヘドロがごっそりと減り、球体の何かが露出した。
何か?
いや、あれは魔核だ。
魔物が持つ魔力の源のようなもので、――今回の場合は、恐らく原動力にして生命そのもの。
あの魔核こそ、毒を扱う力そのものだろう。
すぐにヘドロが露出した球体を伝い、外殻のように覆い守ろうとするが――
「――貰ったぁ!」
剣と言わず全身から光を放つホルンが、一気に距離を詰めて魔核に向かって行く。
速い。
まるでアインリーセの矢を追い駆けてきたかのような、そしてこの結果がわかっていたかのような躊躇いのない速度で斬り込んだ。
全身にまとう光は、浄化作用を期待しての毒避け代わりだろう。
「闇狩り」の応用であんなこともできる、ということだ。
防衛行為なのか、ドラゴンはホルンの接近に反応して周囲の毒を慌てて動かし出すが――
ホルンはそれを読んでいたかのように、全てを飛び越えた。
大きく飛び上がり、アクロバティックに前転しつつ飛び越えると同時に、剣による鋭い一撃を魔核へ振るった。
パァン!
黒い毒液と一緒に、赤い破片が飛び散る。
ホルンの放った一撃は、見事に黒いドラゴンの魔核を捉えたのだった――
「――まだ終わってない!」
魔核を潰せば魔物は死ぬ。
ベテラン冒険者だからこそ生じた一瞬の気のゆるみに、檄を飛ばしたのはリッセだった。
隣にいるレクストンを強く押してよろめかせると、ちょうど彼のいた場所に液体が飛んできた。
リッセのおかげで、背後から飛び掛かってきた毒液を二人は回避――いや。
飛び掛かる途中で動きを変えた毒液は、リッセの右腕にしっかり付着した。
「な、おい……!?」
「ちょっとなら大丈夫!」
素早く腕を振って大部分を飛ばし、左手で出したハンカチ的な布で肌に付着した毒を拭う。
――それらは一瞬の出来事だった。
だが、全員が再び動き出すには充分な出来事だった。
「そこの赤毛は下がって治療を! ほかは――少し様子を見るから下がれ! 地面の毒に気を付けろ!」
グロックの指示に従い、リッセは肩を貸そうとしたレクストンを手で制し、自分の足で後方待機のサジータたちの元へ下がっていった。
――少し腕が光っているのを見て、エイルはほっと息を吐く。ホルンと同じように「闇狩り」で耐性を上げているようだ。
背筋が凍るような恐怖を感じたが、リッセのあの様子なら大丈夫だろう。
後方にはカロフェロンもセリエもいる。
きっと大丈夫だ。
それより――黒いドラゴンだ。
確かに魔核は割れた。
赤い破片が散ったのを確かに見た。
普通なら、これで魔物は死ぬはずなのだ。
なのに、飛び散った毒液は俄然元気に動き回っていて、本体たるヘドロに戻ってきている。
レクストンが襲われたのも、襲われたというよりは、たまたま本体と飛び散った毒の直線上にいただけだったのかもしれない。
後ろから飛び掛かってきたのも、ただの条件反射的な動きだったのかもしれない。
グロックが様子見を選ぶ理由はよくわかる。
魔核は割れた。
なのに動きが止まらない。
この現象はいったい――いや、これはもっと根本的な問題になってしまう。
血肉をまとわない粘度の高い液体を相手に、魔核という原動力を破壊する以外に、どう対処すればいいのか。
炎で巻いても蒸発しなかった。
そもそも液体であることから、物理的な攻撃はまず効果が望めない。
率直に言ってしまえば、攻撃手段がないことになるが……
飛び散った毒が本体に戻り、黒いドラゴンが再び現れる。
と――
「……おいおいマジか」
もこもこと形を変え始めて何事かと思えば――増えた。
本体たる大きな黒いドラゴンが少し小さくなり、小さくなった分、その両脇に小さな黒いドラゴンが二体現れた。
攻撃手段を欠いているこの現状で、更に敵が二体増えたことになる。
――やはり一筋縄ではいかない相手だったようだ。




