372.朱蜻蛉突破録 2
「私はやはり、リオダインが気にしていたことが引っかかります」
――どうしても朱蜻蛉の群れを抜けて竜人族の里に行きたい、とグロックと話を付けてきた直後。
時々食堂から聞こえてきたよっぱらいの奇声もなくなった、夜も更けてきた頃。
調査隊メンバーはサジータの部屋に集まり、具体的な作戦を話し合っていた。
いろんな意見が出尽くしたところで、エルの姿であるエイルが、結論となる大まかな方針を打ち出した。
「何か……恐らく森に住むドラゴンでしょうが、そのドラゴンに追われて出てきたのであれば、更に追わせてみたらどうでしょう?」
朱蜻蛉が散り散りにならず、森の近くに溜まっているという現象。
これは逆に言うと、「森から離れたくない・離れられない」という意識があるのではないか、と。
「私の予想では、森から朱蜻蛉を捕食するドラゴンを呼び出せれば、今度は森に戻るのではないかと思います」
朱蜻蛉は森から離れない。
そして、今の状態の朱蜻蛉の群れに捕食者が飛び込んだら――当然、捕食者がいなくなった森に戻るのではないか。
そんな予測を立てた。
「――だとすると、エサ……だね?」
カロフェロンの呟きに、エイルは頷く。
「そうです。この策を出した理由は、朱蜻蛉を捕食するドラゴンを森からおびき寄せることができれば、それだけで済む点です。
ドラゴンも、朱蜻蛉も、森から離れようとしない。
特にドラゴンは、人間の足でたった二日の距離にあるこの街を襲おうともせず、大人しく森に住んでいる。
よほどの理由がないと、森から離れることはないはずです。実際これまでは間違いなくそうだったはずですから」
もしそうじゃなければ、今いるハルハの街は、とっくにドラゴンに潰されているだろう。
縄張り意識からなのか、気まぐれなのか、エサを求めてなのかはわからないが。
しかしドラゴンは魔物である。
人間を見たら襲い掛かってくる魔物も多いので、やはり無事ではいられなかったと思う。
――こういうことを考えると、やはり、森の何がドラゴンを惹きつけているのかが非常に気になってくるが……まあ、それは今はいいだろう。
「つまり――蚊柱に突っ込んで散らすように、ドラゴンを朱蜻蛉の群れに誘導する。
それだけで解決するんじゃないか、ってことだな?」
ベルジュの確認にも、エイルは頷く。
「ええ、そうです。
まず逃げる朱蜻蛉は、森に戻ります。天敵である捕食者が森から出てきているなら、その場よりは森の方が安全です。
次に、誘い出したドラゴンも、朱蜻蛉がいなくなれば、森に戻ると思います。
――その後どうなるかはわかりませんが、少なくとも、しばらくは朱蜻蛉がいない場所になるはずです」
そして、だ。
「それに、朱蜻蛉もドラゴンも森から離れない、ということを前提に考えるなら、戦う機会も訪れないはずです。
これで『黒鳥』の方が提示した問題点は解決できると思います」
何せ、やることと言えばエサを投げ込みドラゴンを呼ぶだけである。
これだけで、いずれ朱蜻蛉もドラゴンも、適当に暴れたら森に帰るはずだ。
その後、また朱蜻蛉が森から出てくるのか、それともこれで解決するのかはわからない。
まあそもそも、「朱蜻蛉は追われてきた」という予想も、正解なのかどうかがわからないのだが。
ただ――方針が決まれば、色々試せばいいだけだ。
「カロフェロン。朱蜻蛉が反応しないけど、彼らを捕食するドラゴンが反応するような薬、用意できますか?」
「う、うん。できる、と、思う……というか、朱蜻蛉の臭いをベースにすれば、できると思うよ……」
言われてみればそうだった。
朱蜻蛉は、仲間を食い散らすような習性はないようなので、彼らの臭いが元となるならそれには反応しないだろう。
そして、朱蜻蛉を捕食するドラゴンにとっては、その臭いはエサの臭いである。反応しないはずがない。
「じゃあそれで行こうか」
「私たちができるのは、カロンちゃんの手伝いですね」
「そうだね。必要な素材なんかは僕らが調達しよう」
リッセ、セリエ、リオダインが同意し、大まかな計画が立ち上がった。
――この後、エイルだけ先行しての簡単な試行錯誤を経て、今回の作戦が決定したのだった。
そして今。
カロフェロンが作り出したドラゴン寄せの薬品の臭いを、エイルが「釣り具」として覚えた。
――「魔力の変質」という概念を憶えてから、「エイルの素養」は更に多様性を見出せるようになった。このやり方の、その中の一つである。
そして「釣り師・臭いの撒き餌」をセットした「メガネ」を、いくつか朱蜻蛉の群れと、森の入り口付近に投げ込み――今発動させた。
効果はてきめんだ。
のっそりと森から出てきた赤い鱗のそれは――小型のドラゴンである。
大きさは馬より二回りほど大きい程度で、形は狼にコウモリの翼が生えているような獣型である。
人からすれば大きいが、ドラゴンとすれば小さい方だと言える。
あれは四足紅竜と呼ばれている、地龍の一種である。
古い獣人の言葉で「地を駆けるドラゴン」という意味になる。
四足だけに走ることに長けており、「飛ぶ」というよりは「助走から滑空する」という特徴を持つ。
「――グォォォオオオオオオ!!」
目の前に広がる朱蜻蛉の群れを目視し、四足紅竜が雄叫びを上げた。
その声は、かなり距離を取っているエイルらにもしっかり聞こえ、生物としての格の違いを本能で悟るがごとく、嫌でも恐怖心が込み上げてくる。
それは朱蜻蛉にとっても同じだったようだ。
きっと帰るに帰れない状態で停滞していたのだろう彼らは、捕食者の登場に、蜂の巣を突いたかのように慌ただしく飛び回り始める、が――
雄叫びに反応したのは、朱蜻蛉だけではない。
一番最初に来た四足紅竜を筆頭に、もう一頭、二頭、三頭、ついでに子供のドラゴンもと続き。
あっという間に二十頭以上の四足紅竜が集結し、朱蜻蛉を追いかけ回し始めた。
「……僕もいろんなものを見てきたけど、こんなに多くのドラゴンを一度に見たは初めてだよ」
ドラゴンの群れが、トンボの群れを追いかけ回している光景である。
候補生たちは元より、獣人の国で長く過ごしているサジータでさえ、これほどの数のドラゴンが派手に、伸び伸びと活動している姿は初めて見る。
後ろ姿しか見えないが、「黒鳥」のメンバーも同じである。
混乱を極める朱蜻蛉が右往左往していて。
二十を超える四足紅竜が、朱蜻蛉を追いかけ回している。
遠目で見れば楽しげにも見えるが、実際には人間なんて小さな存在が介入できない、大きな生物たちの命懸けの追いかけっこである。
小規模――端の方で一頭だけ呼び出して試した時もエイルは似たようなものを見たが、規模を大きくするとまるで違うもののようだ。
――読み通り、逃げてくる朱蜻蛉はこちらやよそには行かず、森の方へ飛んでいく。
四足紅竜がジャンプしても届かない上空へ行き、森へと降りていく。
見る見る内に朱蜻蛉の数が減っていく。
食われた者もいるが、多くが右往左往しながら森へと消えていった。
――そして、半数ほどが消えたところで、それは起こった。




